東京や埼玉で太田道灌はあちこちに姿を現すように感じられます。
しかし、神奈川にお墓があったりして・・・・・
系図などもよくわからなかったりなんですよね。
川越城や川越氷川神社も縁の地のようで、矢竹の植樹とともに
老いらくの身をつみてこそ武蔵野の草にいつまで残る白雪
という歌が献納されているとか。
ひょっとして、太田道灌は複数いたということなんでしょうか。
そのうちのひとりは謀殺されたけれど、残された人たちは武蔵野で草として生きたとか?
「道灌組」のような土木や建築、戦争、農業に強い集団がいた、ということを想像してしまいました。
武蔵七党などともどこかでつながっているような。
道灌の道とは、歴史の中にある道のようにも感じられたりします。
なお「メゾフォルテからあなたへ」で太田道灌についての記事をまとめたものは こちら
私のブログを読まれるときには PC版で読んでいただければ幸いです。