椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

6月26日 川越氷川神社に出かけて その2

2021-07-09 13:55:22 | 歴史あれこれ

東京や埼玉で太田道灌はあちこちに姿を現すように感じられます。

しかし、神奈川にお墓があったりして・・・・・

系図などもよくわからなかったりなんですよね。

 

川越城や川越氷川神社も縁の地のようで、矢竹の植樹とともに

老いらくの身をつみてこそ武蔵野の草にいつまで残る白雪

という歌が献納されているとか。

ひょっとして、太田道灌は複数いたということなんでしょうか。

そのうちのひとりは謀殺されたけれど、残された人たちは武蔵野で草として生きたとか?

「道灌組」のような土木や建築、戦争、農業に強い集団がいた、ということを想像してしまいました。

 

武蔵七党などともどこかでつながっているような。

道灌の道とは、歴史の中にある道のようにも感じられたりします。

なお「メゾフォルテからあなたへ」で太田道灌についての記事をまとめたものは こちら

 

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