初めて青森の郊外にある三内丸山遺跡に出かけてみました。
縄文前期から中期(約5500年~4000年前)の大規模な集落跡とのこと。
1995年(平成7年)から遺跡の整備、公開が行われたようです。
2002年(平成14年)に建てられた縄文時遊館という建物がありました。ミュージアム、シアター、体験工房、レストラン、土産物店などがあります。
発見された土器の展示です。
この時遊館から時遊トンネルを抜けると遺跡公園へと出ます。そこはなだらかな丘陵地帯で、そばには沖館川があり、海に出られるところです。
遺跡をボランティアガイドの方に案内していただきました。
上の写真の右にあるドーム状の施設に発掘された大型建物跡が保存されていて
6本柱で、柱穴は直径・深さとも約2メートル、穴の間隔はすべて4.2メートル
中には直径約1メートルのクリの柱が残っていたとのこと。
隣に復元した建物があります。クリ材の柱はロシアの間伐材だとのこと。
岡田康博著「日本の遺跡48 三内丸山遺跡 復元された東北大集落」同成社 2014年 より
・この六本柱については現在のところ建物説と非建物説がある。建物説は、弥生時代の吉野ケ里遺跡に見られる望楼のような、高層の建物とするものであり、非建物説は、諏訪の御柱や柱を立ててまつりを行った北米北西海岸のトーテムポールとか、柱を建て聖なる空間を作ったという、木柱説である。
・調査所見からは単に巨木を建てたトーテムポールや御柱のような巨木柱ではなく、上屋構造のある大型高床建物と考えるのが妥当で、しかも相当の高さを想定する必要がある。物見やぐら、灯台、祭祀施設などが想定されるが、やはりムラ全体の構造の中で検討する必要がある。ただ、他に例を見ない大型建物であり、特別な用途を考えるべきで、祭祀に関係する施設である可能性は高い。今後、周辺の調査が進むことによってその用途・目的が具体的に見えてくるものと期待される。
北海道開拓銀行や山一証券が倒産したんですよね。
青森は公共施設建設でバブル崩壊を調整するような役割でもあったんでしょうか。
地方にはこういった大きな建物があちこちにある?
世界遺産となるためには、バブル建築がもしかしたら目障りになってしまった?
この際、広く若者たちにこういった建物の利用のアイデアを出してもらわないと、維持管理で負の遺産となってしまうと思います。
円高だったりするなら買い戻すなり寄付を募ったりして展示品を大いに充実させることができればいいでしょうね。
まさか棺に入れてほしいという人たちが増えたりすることはないと思いますが・・・・・
資産形成や脱税に使われたりすることがあったりする?
包み隠さず観光ガイドの解説に盛り込んで
教訓にしてもらう、ということもアリではないでしょうか。
ただし、さまざまな視点からということを心掛けて偏った印象を持たれない配慮が要ると思います。
意見交換ができる観光というのはこれから有望だと思います。
ガイドの方はしっかりした女性の方で、上手にかわして黙らせていましたが・・・・・
こういった男性本人は悠々の人生で何が悪い、みたいな考えかもしれませんが、自分は日本売りの口実になっているかもしれない、ぐらいは想像していただきたいと思います。
ここには医師大高興さんが寄付された縄文時代出土品の風韻堂コレクションがあります。
たいへん価値のあるもののようですので、ぜひ合わせてご見学ください。
なお郷土館についてデジタルでも見ることができます。
被害にあった場合の損害は大きいと思います。
こういったパトロールなり監視を地域の仕事にできるのではないでしょうか。
不必要な仕事は減らして、必要な仕事へと切り替えるスピードが必要だと思います。