11月25日から28日まで神戸に出かけてきました。
95歳の義姉の認知症が進んで、今後をどうするかの相談のためです。
新幹線は空いていて、いつものように富士山の見える席の指定券を購入。
何とか頭だけの富士山を撮りました。
コロナ感染者数が増えていて、旅行中に発熱でもしたら、とか義姉に感染させることになったら、とか心配しておりましたが、何とか今のところ無事に済んだといえそうです。
義姉は独身で自宅で洋裁の仕事を長くして、また神戸の震災では親の代からの古い家だったため全壊したのに助かり、自力で小さな家を建てて暮らしてきた人です。
ほんとうにしっかりした人でしたが、耳が聞こえなくなってから少しずつ認知症が進んできたようにも思います。
対人関係が苦手で、若いころ幼稚園に就職してすぐ辞めてしまったとか、友人と旅行に出かけると必ずといっていいほどケンカして帰ってくるとか。
主人の解説によると、4人兄弟 女 女 男 女 の二女であって、小さい時からの不満がたまってしまったのだとか。
神戸の大震災で義姉の自宅が全壊したとき、我が家では高3、高2の息子がいて、私は初めてかつただ一度のフルタイムの産休代替の高校教師として1年間勤めていた時期でした。
とても義姉をこちらに呼べる状況にはなくて、まだ現役で忙しい仕事があった主人が出かけて親戚の方や知人の方に短期間同居をお願いしたりしました。
事情を想像できない義姉にしてみれば話を聞いてもらえないなど不満がたまった、そういうタイミングの悪さみたいなこともありました。
多くの親戚の方や知人の方がほんとうに親切にしてくださったのだと思いますが、完ぺき主義的な義姉としては不満を持つことがけっこうあったように感じられました。
神戸の震災の1年前に、主人の母は亡くなっていて、また義姉は震災で家屋が全壊したのに中にいてケガをすることもなかったということが不幸中の幸いとして感じられたことを思い出します。
また長男が生まれて、友人の孫と比べて大きめだったとかで、「勝った」と思ったとか。
私が娘みたいな気持ちであった部分があるのかもしれません。
義母と主人の2人の姉がいました。
一番上の姉はその後ガンで亡くなりました。
時代のせいで、2人とも独身だったんですよね。
仲があまり良くなかったようです。
人生はバラ色ではなく、明暗のあるさまざまな色合いを感じます。
片づけをしたら、40歳前後の写真が出てきて・・・だいぶ疲れているような写真でした。
何が必要なのか・・・・
労働時間の短縮と高賃金と余暇
でしょうか。
これは在宅で介護する場合もいえるような気がします。
あまり偉そうなことはいえませんが・・・・
非常勤の高校教員と教材の作成の在宅の仕事を掛け持ちした時期があって、休日がほしい、あるいはぐっすり眠りたいと思っていました。
ある意味では、今の状況を先取りした働き方だったと思ったりします。
昔とあまり変わりない授業に疑問も。
教科書を工夫するとかして、効率のよい学習というものが必要なのかもしれませんし、受験勉強だけでは思考力が鍛えられない?
昔の高等小学校の教科書になるほど
と思ったりします。
塾や有名私立校で効率的な受験勉強ができたとしても、転換期のようなときは応用力みたいなものにはならない?
11月25日に撮ったものです。
三島由紀夫の命日だったんですね。
三島由紀夫のこのペンネームは
富士山の雪から
ということだったそうです。