今年の2月にだいぶ衰弱しているのでそろそろ準備をという連絡を受け、義姉は長く生協の宅配を利用していたので神戸の生協関連の葬儀社を調べました。家族葬では「クレリ灘ホール」というところがよさそうだと思い、パンフレットを取り寄せ、連絡のタイミングや大まかな費用の見積もりなど教えてもらうことができました。
その後、回復して行事に参加したりしている、発熱している、といったよくなったり、悪くなったりの報告を受けて、洋裁の弟子で娘のような存在であったFさんや息子たちに義姉の見舞いに出かけてもらうことになりました。
グループホームからは毎月の請求書と共に担当の方の報告と医師の治療や必要品の領収書などが郵送され、イベントの写真もあって、丁寧な介護をしていただいて過ごしているのがわかりました。
コロナに感染して施設内で治療を受けたときもありました。
8月末ごろから、夜にTさんを通じて、何度か発熱や痰がからまるなど危篤に近いとの連絡をもらい、9月29日の午後10時過ぎに亡くなったとの知らせがありました。慣れ親しんだ施設の方に看取りをしていただくことになりました。
Tさんご夫婦が駆けつけて、嘱託医の方に死亡診断書を書いていただきました。
この死亡診断書があれば、葬儀社はすぐ寝台車を手配できるとのことでした。
清拭されてその後に着るものについて、2月の段階では厚めの生地のパジャマと長めのベストを用意したのですが、暑い時期となっていたので夏用の作務衣を通販で購入しました。播州織のグレーのものがあり、ちょうどよかったと思います。
午前2時過ぎに寝台車に乗せられて安置場所に、ということになったようです。
その日の朝、電話で葬儀についての打ち合わせがあり、火葬場の関係やTさんご夫婦、長男、二男の予定などを聞き、日取りは10月4日、1日葬、無宗教で湯灌をしてもらう、玉串奉奠(たまぐしほうてん)、お花を多め、ということでお願いしました。
義姉の洋裁の弟子であったFさんに出てもらえるか聞いたところ、その日は予定があって、前日にお別れをしたいとのこと。
そこで10月2日から4泊の予定でホテルを予約しました。こういうときはとりわけ慣れているところが望ましいと思います。
旅行シーズンのため、東京駅では切符売り場もトイレもかなりの行列でした。
うっかりとぎりぎりの出発時間の切符を購入してしまい、久しぶりの東京駅であり、またスーツケースに大きな手提げであったため大急ぎで出発ホームにたどり着くのがたいへんでした。ついつい自分が高齢者であることを忘れてしまうんですね。
雨模様で、残念ながら富士山は見えませんでした。
正直なところ、自粛期間が長かったことで腰が重いというか、そういう気持ちにぴったりな景色でした。