戦前からの家が震災で全壊し、義姉が建てた簡素な小さな平家は、昔でいえば隠居所のような感じで、在宅介護に向いているといえるのかもしれません。
11月26日午後には、義姉の家へ。
ヘルパーさんはきびきびとした方で、ご自分の母親も同年齢でグループホームに入所しているとか。
手際よく洗濯をしたり掃除をし食事の支度をしてくださって義姉との関係はよいようです。
義姉については、そろそろ在宅では限界ではないかと考えておられるようでした。
介護の見直しで在宅介護推奨になったようですが、家族の介護者がいない場合には在宅介護の方が手がかかるように感じられたりします。
訪問介護では移動がたいへんではないか、と思われたりします。
移動の時間は労働時間には入らない?
介護ヘルパーさんたちの悩みについては こちら
スウェーデンの介護については こちら
公務員の介護職員が多いようですね。また、子どもが親の介護を引き受けることはないようです。
参考にする点は多いのではないでしょうか。
介護職の待遇の改善は、早急な課題のように思われます。
主人の在宅介護をしたときには、私は60歳代前半でした。
(記事は2014年1月から3月にあります)
主人については余命半年といわれていて(主人には知らせていませんでしたが)、延命治療はせず、また医療も点滴などはしないことにしていただきました。
主人は痛みに関してだけは何とかしてほしいと語っていましたが、その必要がなかったのはありがたかったと思います。
元気なうちに、夫婦で希望を話し合っておく必要があると思います。
在宅の介護ができそうだと思える場合には、ぜひどうぞ。多くの支えてもらえる仕組みがありました。
義姉の場合、寝ている時間が多くなっているようですが、何らかの痛みなどがあった場合は不安を感じるのではないか、聴覚がなく、電話もできないので、その点が問題の1つとして感じられます。
社会全体で、終わりよければすべてよし、のためには最期の看取りをどのような形にするのがいいのかを具体的に考える必要があると思います。
ホテルの周辺を散歩してみたいと思いつつ、なかなかできません。
BE KOBE の文字が写っていました。
もしかしたら、神戸のような土地柄なら、北欧のような合理的な介護といったことができるのかもしれない、と思ったりします。
合理的な高齢化社会のシステムのためなら、お金を提供するのを惜しまない方たちも多そうですから。
介護職員がすぐやめてしまうようでは安心して介護を受けられない?
あるいは宗教によっては、自前の介護施設を運営できていたのに、あふれてきたとか?
景色の良いところは災害のリスクもあったりする?
その後に、父、母と亡くなりましたが、遠距離もあり、まだだと思っていたりして、看取ることはできませんでした。
自身が健康であればでしょうが
看取りは見えない力を得られる機会であるような気もします。
その後、盲腸とか肺炎とかで入退院を繰り返しておりました。
最期の介護は2ヵ月半ほど。
85歳で、二男の就職が決まって、思い残すことはないと繰り返していました。
亡くなり方としては上手であった
といえるのかもしれません。
苦労して倹約して楽しいことがなかった、といった愚痴を聞くことがなかったのはありがたいことであったといえます。
自分の人生を何とか満足したものにする
にはどうしたらよいのか・・・・・
戦時中などでもそれはできたか・・・・
などなど考えてしまいます。
環境の最先端技術などは、基礎研究の充実から出てくる?
目先に少しばかりの支援では、日本の学術研究は遅れていくのでは?