仕上げのときを迎えて その3 2022-03-01 23:46:56 | リフォーム 振り返ってみます。 昨年の7月に、1階部分の解体工事がありました。 若い人たちが頑張って働いていたのを思い出します。 解体工事というものがけっこうたいへんなのですね。 リサイクルのために解体しやすい工事も考える必要がないでしょうか。 « 仕上げのときを迎えて その2 | トップ | 仕上げのときを迎えて その4 »
5 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (藤村眞樹子) 2022-03-03 12:03:34 長男の話では解体してみたら思ったよりもしっかりしていて、きっちりした仕事が見えたようです。どのあたりからかわかりませんがバブル期の手抜きとか材料の水増しとか囁かれたりしていましたが・・・・見えない仕事に手を抜かない☆これは本当に大事なことであり、将来の誰かを元気づけることなんですね。 返信する Unknown (藤村眞樹子) 2022-03-05 10:33:21 超高層ビル、マンションといった建物の建材のリサイクルはどのようになっているのかあるいは維持管理のルールの徹底はされているのかといったことに目配りするのはどこのお役所かあるいはどういう職業の人たちなのかといったことに私たちはあまり関心がなかったように思います。スーパーのレジ袋がリサイクルの目玉となるなんて・・・・・戦争もまた、新しいものを破壊するという意味ではリサイクルの敵だと思います。 返信する Unknown (藤村眞樹子) 2022-03-05 10:35:36 ウクライナに支援するが戦争を停止させることにならないのではないか義勇軍に戦争オタクが参加してその人たちの武器供与になったりしたら・・・・その戦争オタクが核を使ってみたいにならないとも限らない。 返信する Unknown (藤村眞樹子) 2022-03-05 10:43:21 平和な日本で自殺者が増え、しかも巻き添え自殺の傾向あったりすることから世界中でももしかしたら?万が一にもそういう人たちが兵士として送り込まれたら・・・・といったことも想像する必要がありそう。若い人たちの絶望に、団塊世代の私たちは気づく必要があるのかもしれません。コストパーフォーマンスといったまやかしできっちりした仕事をやめ、手抜きが行われるとしたら、それは絶望への道ではないでしょうか。 返信する Unknown (藤村眞樹子) 2024-08-30 09:55:21 振り返ってみれば、コロナ禍の中所沢と青森で解体工事をしていて神戸で義姉の施設入居を進めていた・・・・・多くの方たちのお世話になっていたのだと思います。当時はクルクル回っている風車のような気がしていたりしたんですが。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
思ったよりもしっかりしていて、きっちりした仕事が見えたようです。
どのあたりからかわかりませんが
バブル期の手抜きとか材料の水増しとか
囁かれたりしていましたが・・・・
見えない仕事に手を抜かない☆
これは本当に大事なことであり、
将来の誰かを元気づけることなんですね。
あるいは
維持管理のルールの徹底はされているのか
といったことに目配りするのは
どこのお役所か
あるいは
どういう職業の人たちなのか
といったことに私たちはあまり関心がなかったように思います。
スーパーのレジ袋がリサイクルの目玉となるなんて・・・・・
戦争もまた、新しいものを破壊するという意味ではリサイクルの敵だと思います。
が戦争を停止させることにならないのではないか
義勇軍に戦争オタクが参加してその人たちの武器供与になったりしたら・・・・
その戦争オタクが核を使ってみたいにならないとも限らない。
世界中でももしかしたら?
万が一にもそういう人たちが兵士として送り込まれたら・・・・
といったことも想像する必要がありそう。
若い人たちの絶望に、団塊世代の私たちは気づく必要があるのかもしれません。
コストパーフォーマンス
といったまやかしで
きっちりした仕事をやめ、手抜きが行われるとしたら、それは絶望への道ではないでしょうか。
所沢と青森で解体工事をしていて
神戸で義姉の施設入居を進めていた
・・・・・
多くの方たちのお世話になっていたのだと思います。
当時はクルクル回っている風車のような気がしていたりしたんですが。