椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

[MV]あいさつメタル / ザ・リーサルウェポンズ & マーク・ハドソン(DragonForce)

2024-11-19 12:25:37 | 母の家
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絶望をぶっ飛ばしたい人たちがあちこちにいるんですね。

2024年10月 神戸 その2

2024-11-17 15:51:19 | 女性について
上の姉が亡くなってから、義姉は義母と下で暮らすことにして
増築した2階部分を学生に貸しておりました。
以前の記事 義姉の場合 〔7〕 は https://blog.goo.ne.jp/dorci/e/63ef7061b3fb8f1f2ae5919d54819a3a

このときは写真のアップができませんでしたので
読みにくいかもしれませんが・・・・


義姉の人生を考えてみると、このときが最も印象深かった瞬間なのだ
と思ったりします。
それまでは母親に対してもっと健康で美人に産んでくれたらよかったのに
と不満をぶつけていたようでしたが、仮設住宅に入居したあたりには
若いときよりも美しいと思える写真がありました。

女は愛嬌 とは差別的に感じられる方もいるかもしれませんが
自分だけではなく周辺にとっても大事なことのように思います。

日本の景気回復のために、笑う門には福来たる 
を忘れないようにお願いします。

2024年10月 神戸 その1

2024-11-12 01:38:33 | 高齢化社会
義姉が亡くなって1年が過ぎ、神戸の家をどうしたらよいか
息子たちとも相談して、売却することにしましたが・・・・さて。

義姉はアルバムを整理してあって、手元に残した数枚の写真は
家族のものでした。
考えてみれば両親と4人の子どものうち、義姉は最後になったんですね。
80年ほど前の写真です。
父親と。
母親と。両親は共に小学校教員でした。
姉と。この姉は59歳で亡くなりました。

弟が震災前の家の玄関に。これが私の主人の子どものころになります。
共働きで両親が建てた家で当時は平屋だったようです。
妹はたまたま親類に預けられていたときに神戸の水害で亡くなったとのこと。
4歳になる少し前の可愛い盛りだったようで、つらい思い出だったからか、妹の写真は以前にも見たことがありません。
義母は晩年、その妹の死のつらさを何度か語っていました。
親類の女性とその孫と妹の3人が亡くなったそうですが、親類の女性は孫を抱いていて、妹は1人だった・・・・

義母は娘2人を小学校の教員にしようと思わず、それぞれ編み物と洋裁の学校に入れたようです。
ところが戦争で2人とも結婚相手が見つからず、独身で過ごすことになりました。仕事もあって顔を合わせたくなかったらしく、下の姉は2階を増築して
そちらで暮らすことにしたようです。

私が主人と結婚したときに、この姉たちに手編みのスーツとウエディング・ドレスを作ってもらいました。
そのすぐ後、上の姉は乳ガンで入院し、2人の甥が生まれたのを喜んでくれたのちにこの家の近くの病院で亡くなりました。

母に看取られ、また私は子どもが小さかったので参列できなかったのですが
親類の人たちがまだ若くて独身の割には盛大な葬儀となったようです。

下の義姉は、二女で不公平感みたいなものをずっと感じていたようでした。

2024年10月 広島 その10

2024-11-04 19:29:07 | 食を考える
広島駅に到着し、レンタカーを返却してそれぞれが夜のうちに新幹線に乗るため ekie で食事をすることにしました。

旅行中は生ものは控えるようにしているのですが、広島にやってきたからには、ということで鮨広島あじろやekie店へ。
 

あれこれおいしくいただきました。
広島は穴子がとりわけおいしく感じられます。

魚の研究をしている二男には、魚の養殖の話をよくきいたりします。
最近は、錦鯉についても研究しているとか。

外国人観光客ばかりが日本の食を楽しみ、国民はインスタントの食品や輸入食品での食事が多くなっているということでありませんように。

女性の社会進出のためには、安心な材料による定食を食べられるような地域の食堂が必要なのではないでしょうか。

2024年10月 広島 その9

2024-11-02 10:25:00 | 日本を元気に
広島市内のどこかを見学する時間はあまりなくて、最近長男の設計事務所が手掛けた建物の外観をみるだけにしました。
経験の乏しい設計事務所に依頼していただけるのは本当にありがたいことだと思います。

広島は水の都ともいわれて、1945年の8月に原爆投下、9月には台風による水害があったとのこと。
たいへんな時期を経て広島は不況にも負けないような都市になったようにも見えたりします。

なるほど橋を架ける技術は昔からのものであったんですね。
広島が橋を架けるスキルをもっている、ということも国際的に知られてよさそうです。