どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

「もりやすじ童画展」対談トークイベント(6)

2018年08月20日 20時38分00秒 | イベント・ライブ
前回からの続きです。

なみきさんは、これからもアニメ関連の出版は続けたく、小田部さんにも(資料や絵を)出してもらいたい...と暗にプッシュを(笑)

小田部さん曰く「いやボク案外もってないんだよねぇ...あれ(『アラビアンナイトの冒険』の悪大臣)だけだなぁ...」

なみきさんの疑わしい目(*^o^*)

小田部さんも隠している意識はないと思うんですが、価値を感じるのって本人ではなく(鑑定力を有する)他人なんですよね(^_^;

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森さんは本当にアニメの神様みたいな人だった...どうしてあんな人間になれたんだろう。東映動画の時代、昼休みになると仕上げの人とか森さんのところに集まって何か楽しそうにしていた。

昔、東映で事務と彩色をやっていたある女性から連絡があり、森さんが小さなミニチュアの椅子を作って皆に配り自分ももらったが、年を取ったので誰かに託したいと。

今こうしてアニメーション以外の(展示されている)絵を見ても...小さいハガキの4分の1くらいなのにちゃんと世界を作っている。

なみきさんによれば、丸善の図録を作ったときに迷わず大きく(1カットを1ページずつに)して載せたらしいです。Tシャツまで作ったと...。小さく描かれているのに大きくしても問題ないクオリティ...本当にそう思います、それだけ洗練されているということなんですよね。

続けて、なみきさんによる告知みたいな感じになったのですが、来年、小田部さんのご夫人でもある故・奥山玲子さんと、「太陽の王子ホルス」の本を出す構想があると...もちろん小田部さんによる監修で(*^o^*)

来年のNHK・朝ドラは奥山さんがモデルになっている。主演が広瀬すずさんでシナリオはドンドン進んでいるらしい。当時の自分を含めたアニメーター仲間にもインタビューを受けているが、あの時代を描くのは難しいだろうなぁと。今のデジタル処理とは違い、紙・鉛筆・セル・絵の具の時代をどこまで再現できるのか。広瀬さんが演じる主役も奥山さんに寄せると、出身地や入社した時期も違うようで、どこまでやるかは分からないが、実際のアニメーションの世界とは懸け離れていくだろうなと感じている。

なみきさんからは奥山さんの本は広瀬すずさん(の写真を帯に載せて)で売ろうと(笑)

NHK・朝ドラの百本目を記念する作品らしいが、これも高畑さんや宮崎さんのお陰だろうと思う。アニメーション業界なんて貧乏の代名詞みたいなものだが...。

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いろんな意味で来年の朝ドラ、楽しみですね!よく知ってる業界だけに作業風景などの微妙な描かれ方の違いに気持ち悪さを感じそうですが(^_^;

なみきさんはドラマの制作に一切協力していないと強調してましたけど、考証とかドンドン食い込んで少しでもリアリティあるものにしてほしかったなぁと...まぁテレビ屋に期待できないってのも分かりますけどね(^_^;

森康二さんの個展はこれで二度目ですが、また小田部さんのトークショーもやりましょう!と言う事で、お開きとなりました。

実体験に基づく...というか東映動画時代からのお話しを直にお聞きできた夢のような1時間半でした(*^o^*)

昨年、大病されたとは思えない壮健ぶりで本当に嬉しかったです(^_^)

来年は是非とも出版記念でお話しを!\(^o^)/



セロ弾きのゴーシュ、鑑賞+なみきさんのトークイベント(2)

2018年08月19日 19時30分00秒 | イベント・ライブ
前回からの続きです。

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「セロ弾きのゴーシュ」の制作費は8千万くらいで、村田耕一さんと小松原一男さんが私費で3千万ずつ出していた。絵コンテ作成は高畑さんと才田俊次さんだけで、書き始めたのは「アルプスの少女ハイジ」の後、エンディングや大事な部分は「母をたずねて三千里」を終えた後に書き終えていて、長い時間かけていた。

高畑家に押しかけて数日泊まりがけでやったり、予告編においては自分が担当ということになってしまい、高畑さんは自分のマンションに来て一週間泊まりがけで作業もした。βデッキを2台つないで編集し、こんな感じかと見てもらった。納得いかないようで「う〜む」と一週間言われ続け、結局最初に自分が作ったもので行こうと(笑)

だからといって高畑さんは無茶な要求は決してしなかったし、会社の規模・実力や予算を見極めて対応してくれたと思う。才田さんの用意したレイアウトなどが上手くて良いスタートになったのが大きかった。

椋尾篁さんの参加は最後の方で決まり「母をたずねて三千里」の後くらいだった。意気に感じて参加してくれたと思う。

椋尾さんの描く背景は緻密で細かいので、作風に合わないと思っていた。高畑さんからはそんなに強い要求は無かったと思うが、椋尾さんもよく考えて描いてくれた。椋尾さんの絵を展示でやりたいと思っているが、隅っこの画面外の...塗った先の方を見てもらいたいのでフレームを大きく取りたい。

村田さんと椋尾さんは飲み友達で、荻窪の怪しげな中華料理店でギトギトしたものを二人で食べ飲んでいた。

椋尾さんは「銀河鉄道999」もやっているが、普通の軽めなものだが、「さよなら」の方は緻密でタッチが違う。「ゴーシュ」を境にして椋尾さんにも進化を感じている。

原画の方は原画だけ描いて、動画は進めずに溜め込んでいた。才田さんは一年間勉強のために仕事を休みたいと言ったのがキッカケだが、ただ遊ばせず何かやらせようと、それが「ゴーシュ」だった。なので他のアニメーターが仕事している中、才田さん一人だけに「ゴーシュ」の原画を描かせた。そして「母をたずねて三千里」の後で溜まった原画を放出して動画を一斉に始めた。合間に仕事があったので、動画終わっても彩色や撮影など、それぞれに間が空いたりしていた。何日までにやるとか締め切りも無かったので、預けっぱなしでゆっくり進めていった。撮影フィルムも余ったものとか端尺を繋いでだりしていた。

そのため、所々セルが光ったり影が出ていたりで、どこか仕上がりに緩いところがある。セルも何度も撮影しているとキズがついて行く。

例えば、作中たぬき汁のシーンで、包丁がなぜかピカッと光るコマがあって、何故光るのかと思って4Kスキャンで拡大してチェックしたら、塗りミスを指示するメモを剥いだ跡だった。BD版では処理されて消してある。

4Kデジタルリマスターでキレイになっているが、前の方がフィルムっぽくて懐かしいという見方もある。高畑さんもその必要はないと言っていたし、「ゴーシュ」の良さはそういうことでもないのかも。

音楽・アフレコは半々な感じで分けて収録している。高畑さん同様に才田さんも音楽好きで上手くいっている。楽器の動きと音がうまくマッチングしている。

たぬきが叩くところの動画は自分もやっている。1コマ撮り作画なので、動画は自分でもできた。

そして完成した折に、まず自分のところに来て感想を求めたのは高畑さんが「母をたずねて三千里」の時からしょっちゅうオープロに来ていてた。作品が素晴らしいのでアニドウ研究誌を作りたいと、小田部羊一さんや宮崎駿さんにもお願いして、最後に高畑さんに頼んだら「インタビューとはどういうことでしょうか?」と言われた。他の方は素直に応じてきれたのに、困ったが最終的には応じてくれた。だが掲載写真には怒られてしまった。どうしてなのかはわからないが、そういう経緯もあって仲良くさせてもらうようになった。長くやっているのが良いねと言われた。

感想を求められたのはそういうこともあっての上だと思う。

作品の完成には小松原さんの強い意志も大きく作用していたからだったと思う。制作自体には絵の一枚すら描く事は無かったが、宮沢賢治をやりたかったし岩手・花巻にも同行したりと、いろんな形で応援してくれた。

今の時代では難しい企画だったと思う。

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他にもいろいろやってるんだけど、ゴーシュだけで終わってるなぁ...とぼやかれてましたが(^_^;、同社にとってもアニメ業界においても大きな金字塔になっていると...それは時代を経ることに高まりを感じています。

来年にはフルオーケストラ生演奏で上映やるかも...いや冗談ですが(笑)って仰ってましたけど、なんだか実現しそうな気もしています(^_^)

野外音楽堂なんかでやったら最高!\(^o^)/期待しましょう!



8月18日(土)のつぶやき

2018年08月19日 06時01分50秒 | 事件・事故・災害

「もりやすじ童画展」対談トークイベント(5)

2018年08月18日 20時10分00秒 | イベント・ライブ
前回からの続き...。

小田部さんが「アルプスの少女ハイジ」の一件で、森康二さんへの悔恨の気持ちを述べた後、なみきさん待ってましたとばかり、いたずらっぽい表情を浮かべ、森さんの本「もぐらノート」を取り出し、その中の一文である小田部さんへのメッセージを読み上げます。

「私は今でも『ハイジ』のフィルムを見るとつい涙が出てきてしまいます。ハイジのほっぺやお尻を突くときっとポヨンポヨンするだろうなと想うのです。でも悲しいことに小田部さんはアニメーションから手を引かれ、ファミコンの会社に行ってしまいました。<中略>小田部さん、またアニメに戻ってこいよ!」

ここからテーマは小田部さんご自身のゲーム業界転身の経緯となります。

なみきさんから一撃をくらった小田部さん(^_^;、その言葉に「う〜む...」と唸りつつ、お話しを続けます。
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その頃(80年代あたりですね)のアニメーションは本当につまらなかった。フリーになっていて作画を引き受けたりしていたが、どんどん動かさなくて良いんだという作品ばかりになって仕事が面白くないと想っていたところに、東映動画時代・同期の池田宏さんが任天堂でマリオを開発する部署の部長になっていた。池田さんからゲームはこれからアニメーションに近づき、そのノウハウが必要になるから来てくれないかと誘われた。ゲームの事は何も知らなかったが、何か役に立つなるならと任天堂に行ってみて、マリオのゲームも始めて見て「なんだ!?面白い!!」と思ってしまった。

動きもあるし、あんな小さいものなのにキャラクターを感じられた。背景にも広さや深さも。アニメのことなど知らない人たちなのに細かい動きをつけようとしていて、ここだったら役に立てるかなと...。

その後、マリオはどんどん人気が出て、キャラクター設計も...ディズニーの影響を受けたゲームデザイナーがいて、「マリオは何をやっても良いが、人殺しだけはやらないでほしい」と言われ、あぁなるほどと思い、色々描いて選んでもらった。

最初は2年くらいかなぁと思ってたら、21年もやっていた。面白いし、楽だった。その内に3Dの時代になり自分でもやってみようと思ったが、制約も多いので自分ではやらない方が良いと言われ、それならと口だけ出す役に徹した。そしたら21年にもなっていた。

みんなからアニメに戻ってこいよと言われたが、未練のある作品もないし、そういう自分の気持ちを分かっていたジブリも呼んでくれなかった。

でも任天堂に行って良かったと思う。長生きも出来たし、楽しかったから。

アニメをやっている頃、監督というものはアニメーターの生き血を吸って生きていると言われていた(笑)

だから自分みたいなウルサイのはいらないやって思われたんじゃないかと...。

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この話しは私にとっても身につまされるお話しでした(´д`)

その経緯も立場も小田部さんとは全く違いますけど、80年代のアニメに希望を持てなくなっていて、新興のゲーム業界に託す気持ち...私も同じでしたね。ここなら居場所があり、表現を発展させていく成長と大きな希望があったんです。

この後再び、今回の森さんについてのトーク締めくくりのまとめへと。

次回に続きます。



8月17日(金)のつぶやき

2018年08月18日 05時58分10秒 | 事件・事故・災害

「もりやすじ童画展」対談トークイベント(4)

2018年08月17日 20時52分00秒 | イベント・ライブ
前回からの続き、ここから森康二さんの話題に...。
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「小田部羊一アニメーション画集」の冒頭に森さんの絵が載っていて、自分の宝物と言えるもの。「アラビアンナイトの冒険」のもので、その時初めてスタッフに登場キャラクターのデザインを公募した。皆で描いて壁に貼りだし、森さん・大工原章さんを中心に検討会をやった。

その時に森さんが描いた「悪大臣」を見てビックリした。


自分のは如何にも悪そうな感じで描いたが、森さんのは地位・知識・威厳・気位まで備えているものだった。

結局、それは選ばれなかったが、森さんにくださいと頼み快く頂いた。アニメーション(人物)というのはサッと考えるだけじゃなく、裏の裏まで深く考える必要があると教えてくれた絵。

クロス張りの表紙は真ん中がエンボスになっていて、イラストを手張りしたもの。ハイジの他に、三千里バージョンもあって、購入時に選択できるようにした。

「どうぶつ宝島」では森さんが全てのキャラクターデザインをやった。作品の準備は森さん・宮崎さん・自分と三人だけ。作監修正はほとんど無かったと思う。

「ながぐつ三銃士」を作ってる頃、同様に宮崎さんとレイアウトも描いていた。その頃、東映動画社内では、高畑さんも「ホルス」で不信を招き、みなチャンスを失わされていた。マンガの原作をアニメにする風潮もあった。

先に東映動画を辞していた大塚康生さんは児童文学の「ムーミン」に関わっていて、外部ではそういうものが作れると感じ、会社の言いなりではなく良い作品を作りたいという思いが強くなった。自分に初めて仕事を教えてくれた先輩の楠部大吉郎さんがAプロダクションを起こしていて、大塚さんもいた。

そこで「長靴下のピッピ」を作るという話しを聞き、高畑・小田部・宮崎三人で来ないかと誘われ、本気を感じ、森さんにキチンと挨拶しないまま辞めてしまった。

その頃の森さんも組合闘争の中、管理職の立場だが現場の仲間を裏切れないという想いから組合活動を黙認し、会社から目を付けられ辞め、ズイヨーへ。

「長靴下のピッピ」も許諾が得られずダメになったが、その代わりとして「パンダコパンダ」2本を作ったが、その後続かなかった。

その後、高畑さんを通じてズイヨーから「アルプスの少女ハイジ」を作らないかと宮崎さんと一緒に誘われた。監督としての高畑さんを信用し、全てを預けた。

森さんに対してとても申し訳ないという気持ちが残っている。それ以前の話しだが「ハイジ」のパイロットフィルムは森さんを中心に作成された。だが若かった自分たちは、その頃から体調が良くなかった森さんが1年も続く作品に携われる筈がないと思い込んでしまい、平気で無視するように「ハイジ」を作っていた。

「ハイジ」完成して暫くして森さんが現れ「とても良かった」といってくれた。外された森さんは口惜しいはずなのに、作品について何一つ文句も言わず褒めてくれた。森さんをいたわっているつもりだったが逆になってしまった...本当に反省している。

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東映動画時代、お世話になり尊敬する人だったのに、冷たくあしらうような態度をとってしまった...森さんへの拭いきれない悔恨のお話しでした。

自分にも人生の中で、そんな事をいっぱいやってきたような気もします。でもその時って自分でも気がつかないものなんですよね...。

途中ノドがかれ、差し出された水を飲むこともなく...どこか懺悔するように語る小田部さん...切なく、重いお話しでした。

次回に続きます。

ようやく普通な感じの夏に...

2018年08月17日 16時03分00秒 | 日記
ちょっと風が強めですが、カラッと晴れて気持ち良い...(^_^)

これくらいな感じなんですよね...今までが酷すぎた。

これから先は落ち着いてくれることを祈るばかりです。

自宅エアコンの室外機を見たら、配管が悲惨な状態に...。

これは自然に劣化したもんじゃないな...猫が爪でガリガリ引っ掻いたような(^_^;

このままにしておくのは良くない...設置工事した時にもらっておいたビニールテープがあったのを思いだし、補修しましたよ。

ちょっとグチャグチャ気味で職人さんみたいにキレイにいかなかったけど、まぁなんとか補修できた次第。



8月16日(木)のつぶやき

2018年08月17日 06時00分04秒 | 事件・事故・災害