エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

エルソル大阪物語■67■「独立を決意」

2018年02月02日 | エルソル大阪物語

■67■


コラージュのサンタさんが相談に来ました。

サンタ「実は私、もうすぐお店辞めます。吉福店長も知っています」
   「独立してブライダル関係の仕事をしようと思います」
   「ヘア・メイク、そしてシェービングを取り入れたいんです」
   「シェービング講習していただけませんか?」

サンタさんはOPEN時からの仲です。
一つ返事で引き受けました。

連日閉店後、シェービングレッスンをしました。
さすが「コラージュ」のスタッフ、集中力が違います。
メモまでとりながら学ぶ姿勢が見え、教えた事がどんどん吸収され、身に付いていきました。

「独立か・・・、自分もそろそろやな・・」

冬になり、
田舎に帰ってお店を出すことを決心しました。

初夏6月に退社することを社長に申し出ました。

社長「そう、それはいい話ねェ、頑張って!応援するから」

ヘアテックのみんなにも報告しました。

 藤「【30にして立つ】か・・、やるな~」

上田「藤!後は任すからな!」

実家を取り壊し、3階建の店舗兼住宅を建てることになり、
銀行回ったり、設計士・工務店・業者とのやりとりの為、月に2・3回、田舎を往復しました。

春になり、
大相撲の季節です。
「お世話になりました」
呼出しカツユキさんに頭を下げました。

カツユキ「高知かあ、巡業で行ったら会えるね」

「店長が辞める」という事態に不安を感じ取った坂田君が、
お店を辞めると言いはじめました。
自分に止める権利はないが、次期店長藤に苦労させるわけにいかずに説得しました。

しかし、辞めたい理由の内容が変わり、「コラージュに入りたい」になりました。
理容師が美容室に入れるわけありません。
美容学校からやり直しです。
もちろん吉福店長もこれはNGで、それでも諦めきれない坂口君は、
「他の美容室に行く」と言います。
「頑固さ」は相変わらずで、もう説得も無駄でした。
坂田君は3月いっぱいで辞めました。

4月になり、
学校から新人が送り込まれました。

『中田ススム』、インターン(男)
鳥取出身、明朗活発、何事もスマートにこなす。

そして5月になり、
「四藤君」が帰ってくることになりました。
親父さんが病気になり、お店を続けることが出来ず、出戻りです。

5月は上田・藤・四藤・中田と『4人体制』になり、売上も過去最高になりました。

常連のお客さんにも徐々にお別れの挨拶をしていきました。

ショットバー3軒を持つオーナー田野上さん、
「店長、店の名前は絶対ラテン語にしとき!」

若手建築デザイナー水谷さん、
「僕にお店のロゴ、デザインさせてください!」

超常連、ご近所若者の新君、
「いつか必ず高知に散髪行きますんで・・」

同じく常連若者の荒木君、
「親の里が中村の近所なんで里帰りの時に寄らしていただきます!」

みなさんありがたいことを言ってくれます。

なかでも凄かったのは、高島屋事業部統括町田さん、
「今度高島屋新宿店ができるんだけど、」
「実は店長をスカウトしようと思っていたんやけど・・」
「店長、あの話、覚えてる?あれ、イケるで!」
「でもまあ頑張ってや」

ビックリしました。
田舎に帰る予定が無ければ、間違いなく新宿の話に乗っかっていました。
「あの話」とは、「シェービング専門店」です。

「男性版」は
忙しいビジネスマン相手に30分のリラクゼーション、
これを散髪屋としてやるんじゃなくて、
クイックマッサージのように「専門店」としてやるというもの。

「女性版」は
レディースシェーブそのもの、
フェイシャルエステ、ブライダルシェーブ、
これも散髪屋としてやるんじゃなくて、スタッフも女性オンリーの「専門店」としてやるというもの。

町田さんが注目したのは『女性版』でした。

「チャンスというものは、こうやって訪れるもんなんや!・・・」

しかし、田舎に帰る腹はもう固まっていました。

■67■

レッスン、四藤君・中田君


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