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病人の長い一日~その2(病院の夜編)

先日4月1日、117円/㍑でガソリンを入れることができました。



・・・・・・

病人の夜は長い。


発病し入院するまで、夜9時に就寝するという感覚がまったく無かった。

9時に寝るなんて子供の時のいつ以来だろう。

ただ体調が悪ければ8時だろうが9時だろうが、とにかく横になっていた
いのは当たり前だが。



入院生活を振り返ると、就寝時間帯の状況は大きく3つに分かれる。



肝炎を発症し初めて入院、転院した病院での透析治療の一ヶ月間は【不安】。


先がまったく見えない状態で、夜通し不安感で満たされ、眠れない事も多か
った。
開き直っていられる時と、考えれば考えるほど落ち込んでしまう時が交互に
やってきた。


又、慣れないベッドに腰を痛くして、寝返りが辛くなったのはこの頃。



H大病院に転院し、移植後の数ヶ月は【恐怖】。

今思い出しても不思議でたまらない感覚の「肝性脳症」の期間だ。

おそらく「肝性脳症」を未体験の人には(医師や看護師さんも含めて)、
きっと「肝性脳症」を説明するのに「夢」「幻覚」という言葉で表現する
ことだろう。

でも実際にあの体験をした人には、それは確かに「現実」なのだ。

この「現実」ではない「現実」というのは、本当に超恐ろしい。


ICUで体験した「時間の逆戻り」はとても夢や幻覚では説明付かない。

だって、こんなはずはない、と冷静に判断している(つもり)自分を、し
っかり認識しているのだから。

苦しみの中で、ベッド脇の父に何度も日にちを確認し、帰ってくる返事は
いつも「11日」だった。
本当にもう戻れない(死ぬ)かと思ったものだ。


今考えても、意識レベルだけが本当に逆行(一種のタイムスリップ)した
としか思えない。


この体験をこの後ずっと引きずり、どんなに眠たくても眠るのが恐ろしく
て恐ろしくて、「あんな体験をするぐらいなら眠らなくてもいいや」と
暫らくの期間、睡眠恐怖症だった。

これが、なかなか「肝性脳症」が治らなかった原因の一つかもしれない。



肝性脳症が覚め、大部屋に移り、入退院を繰り返したその後の10ヶ月間
は【苦痛】。

それはずっと痛みとの闘いだった。

腹痛に加え、途中からは腹に穴を開けドレンが通されたので真上を向いて
寝る事しかできない。

熟睡できたのはたったの一日も無かった。



大部屋に移ってからは何十人もの人と同室になった。

実に様々な人がいる。

消灯とともにいびきをかいて眠ってしまう人、11時近くまでテレビを見
ている人、逆に朝早く起きて静かに音楽を聞いている人、不思議と自分と
トイレに行くタイミングが同じ人、同じように痛んで唸っている人・・・。


皆同じように言っていたのは、「夜は嫌だねぇ」。

皆きっと、自分の先のことや家族のこと、医療費のことや検査のこと、手
術のことなど、あれこれ考えて眠れない夜を過ごしていに違いない。

大多数の人が睡眠剤を使用していたようだ。



ベッドの硬さにも慣れた。廊下の明るさにも慣れた。
大きないびきや同じ病棟の小さな子供達の泣き声も気にならなくなった。

だけどひたすら感じた寂しさだけはずっと消える事はなかった。

やっぱり我が家が一番だという事だ。


騒ぐわけにもいかず、NSに行っても看護師さんの邪魔になるだけ。
徘徊するわけにもいかず、せいぜいラジオや音楽を聞きながら朝を待つ。

早ければ2時頃には目覚め、大体が4時頃には目覚める。


色々と余計なことを思いながら自分勝手に黄昏れていると、何度も聞いた、

♪「起床の時間になりました。今日は○月○日、○曜日です。」

という院内放送を聞くことになる。



朝6時になり、又長~い病院の一日が始まる。
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