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良い「聞き役」でいたいけど・・・

児玉清さんが生前TVで、「自分のことは自分が一番わかってない、だから何か気になる事があれば
誰かに話しをしてみると良い解決方法が得られることがある」というような事を話していのを、今朝
何かの番組で放送していた。



自分のことは自分が一番わかってない・・・本当に。



と考えると、あまり自己主張をするのは止めようと、少し反省。



そもそも100人いれば100通りの考え方があって当たり前。





特に最近、東京に送り出した長男をみてきて、感じる事がある。

明らかに自分に非がある場合、自分を正当化しようとすると、まず自分以外の否定から始まる。

確かに自分にとって痛い所をつつかれても、それを認めたくなければ、そこに適当な理由をこじつけ、
結果、他の非難に結びつき、強引に自分は正しいんだ、と。


まさに今、その状態にあるね、と長男に言った事があるが、でもよく考えてみると、これがそのまま
自分に跳ね返ってくる。


大反省。






そしてもう一つの側面として、誰かに話して安心する、というのもある。

いわゆる「愚痴、悩みを聞いてもらう」っていうヤツ。

話してスッキリする、という意味で、酒を飲みながらであればベストか。



逆に自分だけで抱え込んでしまうと大変だ。

その行き着く所は・・・





酒を飲みながら愚痴をこぼす、そしてスッキリ、というと、妻の得意技か。

そんな時はひたすら聞き役に徹するわけだが、こちらが酒を飲めないだけに辛いものもある・・・かな。






「聞き役」、これは非常に重要だと思う。

いつも、誰からも、良い「聞き役」でいたいというのは若い頃から思っていたこと。



でも、


なんでも話せる親友・・・きっと誰にもいるだろうけど、本当に究極に困ったことって、案外、親友
であるがゆえに話せなかったりする様な気もする。






今年、大切な友人を亡くした。

親友という存在ではなかったにしろ、もし、彼にとって良い「聞き役」でいられたならどうだったか、
という思いはある。






夫婦とか家族とか、友人とかのくくりでなく、そういうのを超えた「聞き役」、大事な存在だと思う。

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