白雪に 足跡を入れ 梅の花
馬糞 Bafun
心親しい友が一人去り、二人去りしていった。
若い日に夢見た屈託のない人生ではなかったかも知れない。
えへっ、と笑って、「こけちゃったよ」と頭かきかき、「じゃあな」と手を
振ってこの世の競技場を去っていったかのようである。
あの世では笑い話であろう。
そんな、潔い人生ではあったと思う。
痛い小石を抱えて真珠を作り、まだ厳しい冷たさの中で梅の花が咲
く。
凛とした美しさである。
人生はやせ我慢なり、お笑いください。
そんな風かもしれない。
だから、思い切りがんばってずっこけてもいいのだ。
あの世で笑い話ができる。
清々しいではないか。
あの世でも笑えないのが、弱い者いじめであり、裏切りであり、卑
劣な暴力である。
嘘つきであり、泥棒であり、恐喝である。
憎悪、嫉妬、自我我欲の人生にはしたくないものだ。
人生とは、潔く生き、潔く去ってゆくものだ。
人生には、自分らしい美学がなければならない。
家庭にも美意識が必要だ。それが、家訓であった。
企業にも、学校にも、美意識がいる。
そして、国家にも。
現代日本の美学とは何か。
今、それが問われている。
日本の美意識を、アメリカにもヨーロッパにも、アジアにも、しっかり
と教えなければならない。
アメリカ連邦議会で、マイケルホンダという日系三世の議員が「従
軍慰安婦」のコリア人のロビー活動で金を得て、「総理大臣は改め
て事実を認めて謝罪せよ」という法案を提出し、可決する勢いだと
いう。
アメリカの民主主義とは商売として成り立っているのだなあと気づ
かされたことだった。
アメリカの議会は議員の政治屋商売を認め、軽く受け流しているの
だろうか。
しかし、この日本に対して、恥知らずな法案を日系議員が出すとい
う醜態はどうしたことか。
日本が美しい国であったならば、美学というものを教えていたなら
ば、恥ずかしくてできないことであったろう。
国家としての美学を、日本の美意識を、粋な感性を、世界に教え
なければならない。
それが、外務省の活動でなければなるまい。
そうのような美学を持った者でなければ、外交官であってはなるま
い。
否、なにより、日本の政治家がその第一責任者である。
世界の人々に、世界の国々に、日本の美学を伝える使命がある
のだから。
それは、潔く生き、潔く死ぬという美意識である。
そうした教育が必要なのである。
それが、倫理道徳である。
【核心を突いていない!教育改革論】
教職課程に必要なのは、増量ではなく、質の改善である。
社会主義的官僚制では、教育改革はできない。
公設民営化を進めるべきである。
切磋琢磨の競争なくして、改善はありえないからである。
公務員は、基本的に社会主義の世界にいる。
だから、必要最小限にしなければならない。
聖徳太子の十七条憲法を理解しなければならない。
日本の美学が分からなければ、社会主義の例外を認めるべきでは
ない。
馬糞 Bafun