すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 朝採れの風・・・ ねじれ国会という政治捻転を解消するための提言

2008年09月06日 18時06分55秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 


 朝採れの 風吹いており 木槿 mukuge  花  

 

     馬糞 Bafun  

 

     

   

 

 

  二百十日を過ぎても、九州やまと国にはまだ、台風がこない。

 7月からの猛暑で、夏を使い切ってしまったのか、デジタルのよう

に初秋になった。

 朝の涼風は、朝採りの野菜のように新鮮である。

 

 しかし、猛暑とオリンピックからわれに返った日常は、いたるとこ

に狼煙が上がっている。

 いったい、何の合図なのか。

 大小のノアの標ではないのか。

 

 その跡に訪れるのは大洪水か、大地震か、ファンデミックか、侵略

の砲火か、核戦争か・・・。

 狼煙の煙の正体は、おぞましい人間たちの悪想念である。

 

 自己保身が企業をだめにし、国を滅ぼし、人類を滅ぼす。

 命がけで世直しをすること以外に、生きる道はないというのに。

 

 何をなすべきなのか、覚悟を決めなければならない。

 

 大胆かつ潔くあるべきである。  

 

 

 

 

 

ねじれ国会という致命的政治捻転


 二院制というのが、今日の民主党のような党利党略の政党に参議

院を乗っ取られると致命的な政治停滞を生むということを、その事態

になってはじめて気付かされた。

 

 参議院の位置づけが補佐的、シンクタンク的であればよかったのだ

が、立法に拒否権を持つ制度であったことが、重要な政局に立法不

能の麻痺状態をきたすという非常事態を突きつけたのである。

 

 この事態をみれば、早急に打つべき手は三つに絞られる。

 

 一つは、抜本的に「日本国憲法」の無効、不文律憲法状態であるこ

との宣言をして、新憲法制定をするという動きを加速することである。

 

 もう一つは、衆参両院で過半数を制する新政党を再編して衆議院総

選挙に臨むことである。

 このような準備なくして衆議院の解散総選挙を実施することは考えら

れないことである。

 

 その鍵を握るのが、良識を持った民主党議員が参議院における野

党連合の過半数割れをきたす規模で離党して、新政党を旗揚げし、

自民党を離党した新政党と統合して過半数を占める大政党の編成を

目指すことである。

 自民党と連携できない野党の参議院過半数制覇という事態を解消

するほかはないというべきであろう。

 ところが、現状は、民主党議員にそうした良識と勇気を持った保守派

がいないらしいのだ。

 これは何とも危機的な事態といわざるを得ない。

 

 

 

 

 


憲法停止のクーデターも上策である

 

 三つ目は、自民党を中心としてクーデターを起こし、参議院廃止を宣

言することだ。

 これで、事実上、禍の元である『日本国憲法』を葬ることができる。

 しかし、民主党はじめ、主たる議員を処刑することになるであろう。

 

 武力行使が前提にあるので、軍部との連携が欠かせない。

 日本の独立宣言と新憲法定立のためのクーデターである。

 これを機に、日本自衛体制を構築することになる。

 

 最もすっきりとするのは、クーデターである。

 

 日本は、こうした、極めて切羽詰った事態にあることを知らなければ

ならない。

 その責任は、外道のマスコミに踊らされた、私利私欲自己保身の主

権国民に他ならない。

 

 できれば、大衆民主主義の廃止を望む。

 一定の良識ある選挙市民を制度的に選別する政治身分制をとるべ

き段階であるというべきであろう。

 

 明治維新以来の、国家独立をかけた決断を迫られている。

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 道に沿う木槿花・・・ 表現責任制度の法制度化を進めよ

2008年09月06日 11時39分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 風渡る 道しるべをし 木槿mukuge  花 

 
  馬糞 Bafun      

   

 

 

 

 

  通勤は自転車である。

 たいていは、時間ぎりぎりの特急自転車、一刀流で血路を開いて

ゆく。

 だから、風景はレーダーのように記号化されて映るのが常である。

 

 しかし、5分の余裕があれば、道筋を変えて、寺町の中をかくかくに

折れてゆく。

 寺の石畳の道沿いには、ゆったりとした時間の中に咲く草木が植え

られている。

 その中に、初秋の木槿(むくげ)が美しい。

 日差しも風も、ずいぶん柔らかくなったことである。

 

 

 (槿の花)

⇒ http://www.geocities.jp/tsukayan0112/kusaki/zukan2005/mukuge2005-07.html

 

 

 

 

 

 

 

福田総理引退劇に見るおぞましいシロアリ記者ども


 シロアリは、ゴキブリの仲間である。

 住宅の大敵として、世界中で駆除の対象となっている。

 しかし、シロアリが食いつくすのは住宅ばかりではない。

 民主主義に巣くって粉々に腐敗するのである。

 

 「福田総理の突然の引退表明にはびっくりしました。しかし、それ以

上にびっくりしたのは、記者会見の記者たちの無作法でした。

 普通、一国の総理が登場するときは立って出迎えるでしょう。

 そして、終わったら、やはり立って見送るのがどの国でも当然の礼

儀でしょう。」

 

 「十分でない面があったとしても、一生懸命やってこられた総理に

対して、お疲れ様でしたぐらい言ってものいいくらいです。

 しかも、在職中はやめろとコケおろし、やめたら無責任だと誹謗中

傷するんですから、分けがわかりません。

 ここまでひどい国になったのかと、そっちのほうがびっくりです。」

 

 元、校長の朝の第一声であった。

 

 マスコミの記者とかカメラマンとかは、日本の知性なんかではあり

えない。

 もちろん、「表現の自由」で他人の不幸を笑いものにし、ののしって

食っている連中であるから、表現責任なんて意識はもうとう持ち合わ

せない外道である。

 

 その外道どもが、自分たちの無責任な悪口雑言を「世論」だと抜か

しやがる。

 この上ない無責任の外道が、「無責任な引退」などと抜かす。

 これが、日本の民主主義を支える「言論の自由」の制度の中枢だ

というのだから、憲法学者の良識もまた外道のものであろう。

 

 次の総理は、マスコミに巣くう外道の輩を駆除する断固たる対策を

講じていただきたい。

 日本の恥さらしだからである。

 

 たとえば、NHKの視聴料徴収権を撤廃していただきたい。

 放送権料を高額に設定していただきたい。

 誹謗中傷をする外道の番組や記事については、厳しい制裁処置

をとり、放送権料についても取り上げるなども検討していただきたい。

 

 放送施設についても、公設民営化を進めてほしい。

 放送権については、3年ごとにリセットする審査をし、ディレクターや

記者などについては、誓約書と国家資格試験を課すなどの選別をす

るべきであろう。

 公益にかかわる重い表現責任があるからである。

 

 『民主主義といえども、神と法の下にあり』

 責任なきマスコミを許すことは民主主義の腐敗である。

 立法・行政よ、マスコミ・司法と戦ってほしい。

 

                                梅士 Baishi

 

 記者会見を行う福田総理

             福田総理、お疲れ様でした。

              ※(首相官邸HPより引用)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 白露の豊作・・・ 特権的マネージメントの愚

2008年09月06日 10時34分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 五つ目の 朝顔みつけ 豊作し

 

     馬糞 Bafun  

 

     

   

 

 

 朝一番に窓を開ける。

 朝顔が咲いているかと、ガラッとあける。

 ああ、よかった、三つも咲いている。

 白露の風が心地よい。

 

 絡まった朝顔のつるをたどっては、その風景に満足する。

 至福の一時である。

 あれっ、四つ咲いている。

 空の色に似ていたから気がつかなかった。

 

 あ~、もう一個あった!

 今朝はなんて豊作なんだろう!

 

 

 

 

 

馬糞、へそを曲げる


 お偉い人が、なんか話に来るという。

 「もしよかったら出てください。」

 傍聴?

 

 末席に加わったが、睡魔に襲われた。

 趣旨不明の流暢な話であった。

 「お疲れの向きもあるようですから5分ほど・・・」と休憩になった。

 

 ずっと休憩することにしたが、呼び出しがきた。

 「どのような趣旨でお話をなさっているのでしょうか」

 「あっ、これは失礼しました。前提の話があったとばかり思っておりました。」

 

 これで目が覚めて、本音の話になった。

 本物教育論である。

 

 

 お偉方が引き上げるというので深々と頭を下げた。

 「よかったら、あの店に行っていますから」

  

 もう、さよならと頭下げたんだから行かない!

 

 なぜ、馬糞のへそが曲がったのか。

 お偉いがたの集まりという身分差別を感じたからである。

 「みんなで行きましょう」という声がかからないなら、動かざること馬糞の

如しである。

 

 一部の人のという特権的マネージメントでは、人はついて来ない。

 そのような実験であった。

 もちろん、「馬糞」は、上層階級に媚びない下層階級である。

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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