秋祭り 旅所の海の 鯛平目
馬糞 Bafun
各地の神社で秋祭りがにぎわう季節である。
秋祭りの主役はもちろん神様であるが、その次は子供
たちである。
宮地嶽神社の秋祭りもそのようであった。
万葉時代のように、古式の着物姿の子供たちが輝いて
いた。
宮地嶽神社のお旅所は津屋崎の浜である。
万葉の時代もたくさんの船が出て、海の安全を願い、
神をもてなしたことであろう。
お旅所にたどり着いたときにはもう、神様はお上り行
列の先にあったが、まだ、ぬくもりが残っていた。
その海では、もう、魚が取れなくなったという。
旅所の浜には、インベーダのように、大小の不気味な
くらげが押し寄せている。
軍事の海、貿易の海、猟師の海であったが、今は、地
球異変の海となった。
神もまた、天に祈らざるをえなかったであろう。
海温上昇と大陸の海洋汚染をどうするか。
地球意識が法則であり、法則とは単純であるならば、
地上の人類を激減するほかはあるまい。
高天原の神々も、願わくば、やまとの国たみを守りた
まえと願うばかりであろう。
そのやまとの国たみは、どこまで神の心をわが心とす
ることができるのであろうか。
神の立たれた後のお旅所のように、何かしら大きな空
白を感じるのである。
日本の国を、神なき国としてはなるまい。
やまとには 神が子供と 秋祭り
馬糞 Bafun
【聖職商売】
聖職という言葉がある。
かつての、医療や教育、救貧事業を言ったものである。
「教育はそろばん勘定だけではない」とも言われる。
確かにそうだろう。
しかし、教育は・・・という意識が間違っている。
そもそも、商売とは、そろばん勘定だけではない聖職
なのである。
そもそも、経済活動の本質が、聖職なのである。
そろばん勘定が合わなければ仕事を続けることができ
ない。
そろばん勘定とは、仕事を継続するための帳尻のこと
を言うのだ。
「聖職意識の普遍化」こそは、21世紀文明の柱とされ
るべきであろう。
梅士 Baishi