朝顔や インクをつけし 月明かり
馬糞 Bafun
風がたくさん吹いた一日だった。
それが、二百十八日くらいから見ていた台風13号の裾
衣のような風だった。
その間、仕事のことがぐるぐると頭をめぐっていた。
まさに、頭の中は嵐であった。
そのテーマは、言の葉の性質についてであった。
人がまとう言の葉は、よくも悪くも、言霊が宿るもの
である。
朝顔や 朝一番の 夢の後
馬糞 Bafun
【言の葉の心と形】
言葉には、心と形がある。
呪いの言葉であっても、その心の底では助けを求めて
泣いている。
呪いの形のままに受け取ってはならないのだ。
それは、真意ではない。
言葉でどんなにえらそうに指揮しているようでも、軽
蔑されていることが少なくない。
部下であればなおさらのこと、信頼できる人間か、尊
敬に値する人間かを観察しているものである。
苦労をともにせず、上司特権とばかりに楽をしている
者が信頼されるはずがない。
仲間でさえもない。
そのような思いをさせて、部下を苦しめている。
その不快な言葉にさらされている部下たちよ、その言
葉の中にも、大事な仕事のヒントがある。
反省すべきこともある。
裁かないことだ。
裁き心は苦しみであり、不幸である。
言葉の形に囚われてはならないのである。
言葉には心があり、その真意を読み取ることが大切な
ことである。
呪いの言葉であってさえ、その真意は、幸福への願い
にこそあるはずなのだ。
心地よい言葉であっても、その真意は、騙そうとして
いる悪魔の囁きであることもある。
なのに、なぜか人は不幸をつかみたがる。
相手に対する裁き心なのか、自暴自棄なのか。
子供になじられ、土下座しろと言われて、土下座する
親がいる。
退職金ごと渡せと言われて、渡す親がいる。
その結果、家庭内暴力はさらに荒れ狂う。
なぜ、その子供に、罪を犯させるのか。
子供は、助けてくれと叫んでいるのに・・・。
死ねと言われて死ぬ者がいる。
不幸に対して、不幸をもって裁こうとしているのだろ
う。
そんな呪いの言葉の形に囚われた不幸である。
悪い言葉は、呪いの言葉であっても、騙そうとはして
いない。
その心は、苦しみであり、助けを求めていることが多
い。
逆に、心地よく、都合の良い言葉は、騙そうとしてい
ることが多い。
その言葉を発している人の心をよくよく読み取る必要
がある。
穢れた言葉をそのままに受け取ってはならない。
言葉には、解釈する余裕と理性が必要である。
言葉を発している自分に対しては、邪心がないかを反
省する必要がある。
苦労をともにしていないのに、えらそうなことを言っ
てはなるまい。
軽蔑され、人の心が離れるばかりである。
ああ、言葉で人を傷つけたくはないものだ。
言葉で傷つきたくもない。
愛があれば、克服できることである。
しかし、軽蔑すべき言葉、騙そうとしている言葉には
いかにあるべきか。
毅然として、自らの反省をし、自ら光を発し続けるこ
とだ。
言葉の責任は、他人の裁きによってではなく、自らの
良心によって裁かれるものである。
愛のある言葉で、言の葉の癒しを楽しめる世の中にし
たいものである。
梅士 Baishi