原爆忌 勝手知ったる ニュースかな
馬糞 Bafun
今日は64回目の広島の原爆忌。
いっそ、国民の休日にしてくれたらいい。
国民の休日、敗戦シリーズができたら、怪我の功名であろう。
北朝鮮も、お見舞いのミサイルを打ち上げてくれるのではないか。
ヨッ、北屋~!
だから、謝罪的平和というわけか。
誰に向かって、「核廃絶」と言っているのか。
オバマ大統領にか。
そうではなかった。
「そう言っているオバマ大統領を支持する」だそうである。
誰が言うべき言葉なのか。
誰に言うべきなのか。
まずは、北京政府にあてて言うべきであろう。
何しろ、日米に核弾頭ミサイルをたっぷり配備している国である。
ということも、通用するはずがないか。
腰抜け、腑抜けの日本外交のことである。
原爆忌には、あまり良い連想は浮かばない。
皇族の皆様は、総選挙が終わるまでは、京都御所に疎開されたい。
危のうございます。
【平和とは関係でこそあれ、結果主義ではない】
キムジョンミサイルが打席に入った。
初球は広島原爆忌。
二球目は長崎。
そして、三球目は総選挙。
さて、三球三振してくれればいいけれど。
とにかく、皇族の方々は、京都御所に疎開していただいたほうがよい。
だれも、そんなことは考えていないだろうから、夏休みということで、
京都か那須か、日本伝統の象徴となる「神官」の方々を避難させる
事だ。
問題は、その後の博多の防衛である。
「敵国退散」の額を掲げて退散するような連中ではない。
大量に押し寄せる亡命者たちは、亡命ではなく、占領するつもりか
もしれない。
韓国が九州亡命政府を作り、そのまま韓国にされて仕舞うという
平和的外交も可能なことであろう。
中国がそれを許せば、日本政府もいやとはいえまい。
それが、日本外交の平和主義でもある。
原爆忌の度に、「平和」という言葉のうさんくささにうんざりとさせら
れる。
平和とは、人々の心が和して生き生きとしていることを言うのだ。
気概なくして平和であろうはずがないではないか。
平和とは主義ではないのだ。
平和とは、関係である。
諸行無常の中に現れる調和の恵みのことを言うのである。
心の平和はあれ、国家の平和は、主義として成り立つものではない
ことを肝に銘ずべきである。
事なかれという事であれば、謹慎するか、鎖国することである。
ましてや、危険な国と外交を結ぶべきでも、商売をするべきでもな
い。
「平和」と言う結果的言葉を、主義主張してはなるまい。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi