もう少し 寝ていたくなり 秋の風
馬糞 Bafun
比較的涼しい夏だったとはいえ、がまの油のようにた
らりたらりと汗を流して寝ていた一頃を思うと、最近の
朝晩の涼しさは天国のようである。
あまりの心地よさに、もう一寝入りと、つい、一時間
ほど寝坊してしまう。
まだ八月というのに、秋を楽しんでいることである。
【 公職選挙法の反民主主義的性質 】
幸福実現党は、めげずにがんばっているだろうか。
それにしても、総選挙をあさってに控えて、選挙戦最
中とは思えない静けさである。
こちらも冷夏ということか。
あの公職選挙法を見たら、原則、政治表現活動を禁止
するという文脈である。
選挙期間であるならば、候補者も支持者も思い切り声
を大にして叫んでいたいであろう。
人脈をたどって挨拶して回りたいであろう。
本来、代表民主主義とは、泥臭い選挙表現の自由が最
大限に保障されなければならない。
有権者への政治家や候補者の接近を妨げてはならない。
ところが、原則禁止というべき込み入った規制がなさ
れている。
足し算引き算を繰り返してやっと許可行為が見えてく
るような法規制は、結局は原則禁止なのである。
いかにも、官僚がらみの規正法である。
こうした不自由さが、社会主義の本質なのである。
確かに、潤沢な政治資金があれば、買収をしたり、過
剰な宣伝活動をしたり、金のかかる選挙になると言う懸
念はあるであろう。
しかし、それが自由主義の競争原理ではないか。
お金があると言うことは、それだけ、支持者がいると
言うことでもある。
選挙のモラルは、教育と、買収や強制や偽装の禁止と
処罰で対処すべきことである。
先回りして、怪しい行為すべてを禁止するようでは、
「角を矯めて牛を殺す」ことになる。
自由とは、信頼関係でもあるのだ。
国民の良識に信頼して、原則自由でなければならない。
その上で、特に迷惑な行為について、個別にその責任
を問題にするべきなのである。
実際、現在進行中の選挙は、果たして公正なのか。
マスコミの大衆操作、報道談合だけでも、既に、不正
選挙というべきであろう。
いっそのこと、選挙報道を禁止して口コミ選挙に徹す
るほうがよほど公正選挙となろう。
インターネットが普及した今、マスコミ権力による選
挙介入を禁止しても、問題はなかろう。
足と、口と、インターネットでやってこそ、国民選挙
が賑わいを見せるのではないか。
信用リスクなくして自由なし。
選挙規制を見直すべきである。
公職選挙法の廃止を求める。
立憲女王国 神聖九州やまとの国
梅士 Baishi