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+ 川面の百日紅・・・ 二大政党制の不当性  自由とは多様性である。 

2009年08月27日 21時18分19秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

   

  夕涼み  川面に扇ぎ  百日紅

   馬糞 Bafun

 

 

 

  

 人間は愚かであるが、それゆえに多様でもある。

 その多様さこそは面白く、考える材料を与え、繁栄の

資源にもなっている。

 植物もそうであり、昆虫もそうである。

 

 昆虫といえば、実家に帰って玄米の米を見ると、米食

い虫が蛾になってわが世の夏を謳歌していた。 

 ところが、それをものともせずに虫ごと精米機にかけ

て食っていた。

 戦中派の母にとって、虫ごときに米を奪われるような

やわではなかったというわけである。


 虫も糠の一種と思えばどうということもないのだろう

が、たくましさとはこういうものかと恐れ入ったことで

あった。

 

 選挙でも、共産党が消費税ゼロとか言い始めたが、何

のことはない、消費税分は、軍事費の削減と、金持ちや

企業から取れという。

 嫉妬、ねたみ、たかりとは、こういうことを言うので

ある。

 

 それでも、枯れ木も山の賑わい、多様性の一角の微力

を尽くしているのであろう。

 これに対して、二大政党制などと、アメリカの真似を

して、それこそが民主主義だとばかりに言っている民主

党の愚かなことよ。

 二大政党に入らない共産党や何とか党はなぜ反対しな

いのか不思議な「友愛」であるとよ。

 

 そういう、非論理が政治だというならば、非科学的政

治の正当性をよく言って聞かせるべきである。

 ごまかすのは、やはりよくない。

 それを世の中では偽装というのだ。

 政治もまた、コンプライアンスが問われていることが

分からないのか。

 

 いやいや、百日紅に扇がれていると、つい、井戸端会

議が盛り上がるものである。

 井戸端会議でも、議題は天下国家の安寧であるのだ。

 

 

 

 

二大政党制の邪見


 二大政党制の言葉が生まれたのは英国であろう。

 トーリー党とホイッグ党の歴史的な二大政党の時代が

あったからである。

 しかし、それも長くは続かなかった。

 

 イギリスは二大政党制だと教えられていたが、実際に

はすでに多党制の時代に入っていた。

 民主主義とは、自由を前提とするから、当然個性を尊

重し、結果、多様性がその特色となるものである。

 

 民主主義の国アメリカが二大政党制というが、今日の

自民党と同様、共和党といい、民主党といい、組織とし

てかっちりとしているわけではないし、その中身は多様

である。


 自民党も派閥政治と揶揄されるが、派閥によって、多

様性を内包しているのである。

 その多様性がたんぽぽのように散らばって、芽の出な

い岩場に落ちたのがミンシュ党と言うべきであろう。 

 その「民主党」と称する左翼政党が二大政党制を主張

するのは、自由主義を否定する本音を現しているのであ

る。

 

 その多様性を秩序あらしめて統合するマネージメント

の根源こそは、信仰なのである。 

 神の下にあってこそ、人は一体感を共有するものであ

る。

 だからこそ、政治と宗教は一体でなければならないの

である。


 その神でさえもまた、多様である。

 多様性もまた、神の愛というべきであろう。

 

 しかし、無神論国家が繁栄したためしはないであろう。

 それこそが、中国だとでも言うのか。 

 それこそが、ユートピアとういなら、そのように宣言

して、国籍を移すべきであろう。

 日本には無用の人間である。

 

 共産党は、日の丸を憎み、日本を軽蔑しながら、なぜ、

日本にいるのか。

 亡国の自由はない、ということを、その信奉する「日

本国憲法」には書いていないとでも言うのであろうか。

 

 そうであるならば、一日も早く、「日本国憲法」の無

効宣言をするべきであろう。

 それが、多様性の中に温存されている共産党が示唆す

る悟りと言うべきものではないのか。 

 


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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