群れ雀 柿の数ほど 鈴になり
馬糞 Bafun
室内気温13℃、外気温6℃、寒い。
どんよりと曇ったような日陰の朝にも、ビルを乗り越
えた朝陽がさし始める。
今日も晴れ。
メジロや鶯が来てくれるのが楽しみで、柿やみかんや
蜂蜜を並べているが、今年は、群れ雀の見つけるところ
となって、見事に食べつくしてゆくようになった。
どうしたものかと困惑したが、まあ、雀との近所付き
合いも大切にすることにした。
昔話によると雀の恩返しもあるらしいし、何より賑や
かさは繁栄の印でもある。
一膳飯でも盛るとするか。
子供の頃かわいがった雀のチュン子の供養にもなろう。
【子が親を恨むという不幸をどう克服するか】
『「この糞虫が、おまえのために何んで金ば払わんと
いけんとか~」
父親にそう罵られてきた。相談しても妄想だと言われ
るのは見えているから相談もできない・・・』。
それが、22歳の「脅迫者」の心の傷だった。
「いつの間にか気がつくと、自殺スポットに足が向い
ているんです。そう気がついて走り抜けることがありま
した。自分でないものが来て、頭が痛くなる」と告白し
た。
厳しく育てるのは良いが、心を傷つけてはいけない。
親は、子供の心の痛みを察知して守ってやらなければ
ならない。
高校のとき、部活のならず者集団のいじめにあったと
いう。
そのとき、親は学校に相談したが、部活をやめるとい
じめがさらにエスカレートするからそのままのほうが良
いといって対処しなかったという。
学校はすでに無法地帯である。
教師も「犯罪でないかもしれない」と、生徒を護らな
い。
親も護れないなら、子供はどうすればよいのか。
そういう心の叫びは痛々しかった。
しかし、だからといって他人を傷つけてはいけない。
その言い訳に、他人のせいにしてはいけない。
人生は自己責任、自助努力の修行なのだ。
辛いことであったが、その分鍛えられてもいるのだ。
悪いことばかりではない。
人間は、みんな不恰好に滑稽に生きているものである。
親は間違ったことをしたが、愛情からそうしたのだ。
親を恨むのではなく、自立せよ。
許しという悟りが、子供たちに求められている。
家庭のせい、環境のせい、世の中のせいにしては不幸
になる。
ああ、それにしても、家庭崩壊、学校崩壊の犠牲の大
きさよ。
『許しとは、人間の、修行者としての未熟さを思いや
ることである』。
その修行を善導することができるようになれば、それ
が菩薩の愛となる。
子供も、親の未熟を思いやるべきである。
居心地の悪い家であるならば、家を出て、自立するこ
とだ。
それまでは、修行である。
辛抱するほかはないのだ。
いかに、心を明るく辛抱することができるかという一
流の課題である。
自らを鍛えて世に出でよ!
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi