柿右衛門 朱色はかくや うめもどき
馬糞 Bafun
「ウメモドキ」というのだそうである。
絵になる枝振りと柿右衛門のような朱色が美しい。
たしかに、梅のような配列と気品である。
もどきではなく、「ユキミチシルベ」なんて名前が良
いのではないか。
ウメモドキに似て、真っ赤な実を燃えさかる火のよう
につける木がピラカンサスである。
ウメモドキはモチノキ科だが、ピラカンサスはバラ科
で毒がある。
冬の里山には、赤い実が花のように多種多様である。
冬には柿右衛門の赤がよく似合う。
みかんの黄色もおいしい秋冬の色である。
これからしばらくは、小粒のコタツみかんをメジロた
ち一緒に楽しめる。
そういえば、今年はヒヨドリが遊びに来ない。
どうしたのだろうか。
外気温6℃、木枯らしの吹く一日のようである。
【ヨーロッパとは何か】
日本人にとってヨーロッパはブランドのイメージはあ
っても、時事については音痴である。
音痴だということさえもあまり意識することがない。
観光地としては知っていても、政治経済情勢について
はあまり関心がない。
ヒトラー率いるナチスが仕舞えて平和になったという
程度かもしれない。
しかし、渡邊哲也著『本当にヤバイ!欧州経済』を読
むと、ヨーロッパというブランドの城が、砂上の楼閣で
あるように見えてくる。
ヨーロッパ経済を支えている仕掛けが、今最もダメー
ジを受けているマネーゲームであることが分かる。
国ごと金融破綻したアイスランドや、マネーロンダリ
ングのスイスだけではない。
英国も、オランダ、スウェーデン、ドイツまでもが、
虚業というべきマネーゲームのあぶく銭の上に裕福な生
活を浮かべていたことが分かる。
ブランドを隠れ蓑に、ずるがしこく世界の欲深い金や
汚いかねを集め、その運用をサブプライムローン関連の
高リスク高配当の金融商品に振り向けていたようである。
それが今、大破綻し、血しぶきのように吹き出る資金
の始末に追われているのである。
反面、危ぶまれていたリスボン条約が発効し、EU統合
の実質化に向けて足固めができたかのようであるが、所
詮、ブランドで飾った夢物語に終わるのではないか。
病人が集まっても、相互感染こそすれ、強くはならな
いからである。
2009年といえば、世紀末と騒がれた1999年か
らちょうど10年の年回りである。
その世紀末恐怖の予言は分割払いになったのであって、
完済されたわけではない。
世界中から金を集めて「バブル」といわれる一時の繁
栄を誇った中国も、虚業によってサロンを楽しんだヨー
ロッパも、これから大きなツケを払わされることになる。
日本人はヨーロッパの何に憧れているのか。
おそらくは、貴族文化なのではないか。
サロンであり、社交界の高貴と華やかさなのではない
か。
ヨーロッパは産業革命によって近代の覇者となった。
ちょうどその頃、日本は黒船に驚き、維新を向かえ、
文明開化というコンプレクスが憧れのようになった。
しかしやがて、ヨーロッパを脱藩して自由の天地を建
国したアメリカに取って代わられた。
そのアメリカも、元の主人というべき貴族文化には気
後れした。
もはやいつまでもヨーロッパではあるまい。
経済繁栄の原動力は、まず先進の宗教があり、これを
文明の中核とする食糧生産、エネルギー生産、ロボット
や通信、宇宙開発などの産業革命が生み出すものだと思
う。
その根源的宗教も、先進技術も、日本にはある。
そうであるならば、日本が憧れの文化を発信しなけれ
ばなるまい。
文化の中心は芸術である。
芸術とは、仏神を賛美する神聖の表現である。
ファッションも、この神聖と活動性を融合するスポー
ティーファッションがビジネスフォーマルとして普及す
ることになるだろう。
武士の装いは、そうしたものであった。
建築や音楽芸術は、幸福の科学様式が基本となるであ
ろう。
現代に失われつつあった神聖なる感動がそこにあるか
らである。
それこそは、美の極致である。
失業をしてマネーゲームに活路を見出そうとしていた
哀れなヨーロッパの時代は終わった。
もはや復活することはあるまい。
その焦りが、脱税者から集めた金を、生産にではなく、
消費に投資してしまったのである。
生産への投資で最も分かりやすいのは、教育投資であ
る。
人材育成こそは最大のリターンを生む投資である。
「坂の上の雲」を読むと、維新の日本がいかに貧しい
財政の中から教育に投資してきたかが分かる。
西欧に負けない教育者を育てようと、 師範学校を作り、
中学校や小学校を作った。
日本の銀行もまた、どの会社に投資してよいか分から
ないならば、自動車や住宅ローンよりもむしろ、教育ロ
ーンにこそ投資するべきである。
人を育てることこそは、最大の生産だからである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi