北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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ウルトラクイズは永遠なり

2025-01-14 20:00:00 | クイズ番組

 

こんなビデオソフトがあります。

何度も話題にしている伝説のクイズ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」の名場面集で、ウルトラクイズが、「今世紀最後」と銘打って1回限りで復活した1998年(平成10年)にリリースされました。

残念ながらDVD化はされていないのだけど、自宅には、ビデオテープを再生するためだけに残している「テレビデオ」があるので、今でもたまに見返して、懐かしい思い出に浸っています。

 

 

そういえば、年前にこんなニュースが流れてましたね。

HTBでもニュースとして放送していたと思うんだけど、見つけられなかったので、ANN系列の「メ~テレ」から引用しました。

 

2025年問題ですか・・・、テレビデオが壊れない限り大丈夫かなと思っていたんだけど、テープの劣化の問題があるんですね。

まあ一応しっかり保管はしているつもりだけど、注意が必要ということなんですね。分かりました。覚えてきます。覚悟もしておきます。

そしてVAPさん、お願いです。今からでも、このソフトをぜひDVD化してください!

 

ところで、ウルトラクイズといえば、以前こんな記事を書いていました。

 

 

堅実に - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

『ウルトラクイズ』覇者・能勢一幸さん県庁勤務のクイズ王は高額賞金を何に使ってきたのか聞いてみた|マネーポストWEBマネーポストWEB《ニューヨークに行きたいかーっ!?》...

goo blog

 

 

私が特に好きな回の一つである、1991年(平成3年)に放送され第15回大会の覇者、能勢一幸さんのインタビューをリンクさせていましたが、終わりの方でこんなことを書いていました。

 

「第15回の挑戦者では、ニューヨークの一つ手前、ヨークタウンで敗れた、「ジャストミート田中」と呼ばれていた「田中新一」さんが印象に残っていますが、今はどうされているのか、番組のファンとして気になるところです。」

 

この記事から約1年半、正確な近況はわかりませんが、久しぶりに、田中新一さんの現在の姿が掲載されているサイトに行き着きました。

 

「QUIZ JAPAN」第3回ウルトラクイズ合同同窓会レポート

 

昨年10月、ウルトラクイズ全回において成田空港第二次予選以降まで勝ち残った挑戦者限定で大同窓会が開催されており、それを、私もたまに買っているクイズ専門誌「QUIZ JAPAN」がレポートしているのですが、各回ごとの挑戦者が集まった写真が掲載されている中、第15回の集合写真に、田中新一さんで間違いないと思われる男性の方が写っていました。

勿論田中さんだけではありません。各回において、その勇姿に心踊らされた懐かしい挑戦者の皆さんが勢揃いしていて、何度も何度も読み返しています。

当時(33~48年前)と変わっておらずはっきり分かるという方もいれば、ネームプレートを見るまで分からなかったというくらい印象が変わった方など様々ですが、これは大変素晴らしい企画だと思います。

ぜひ今後も定期的に開催していただき、私たちファンを、当時の懐かしい思い出の世界へ引きずりこんでほしいです。

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松尾清三さん

2024-10-13 20:34:34 | クイズ番組

 

 

「アメリカ横断ウルトラクイズ」初代王者・松尾清三さん死去 「レジェンド中のレジェンド」に惜しむ声 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

 日本テレビで1970年代から90年代にかけて放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」の第1回チャンピオンとして知られた松尾清三さんが24日に死去したことがわかった。85歳...

スポニチ Sponichi Annex

 

 

 

(訃報)弊協会特別会員 松尾清三さんのご逝去について|

弊協会特別会員 松尾清三さんが去る2024年5月24日に逝去されました。   弊協会では設立時から特別会員として活動を温かく見守ってくださりました。   ...

一般社団法人 日本クイズ協会

 

 

「アメリカ横断ウルトラクイズ」の初代チャンピオン、松尾清三さん(京都府)の訃報に接し、ウルトラクイズファンの一人として、心からお悔やみの意を表すると共に、今日までファンとして楽しませ続けていただいていることに、心から感謝の意を表したいと思います。

 

もしも第1回大会(1977年(昭和52年))のチャンピオンが松尾さんではなかったとして、ウルトラクイズは、その後何年かは続いたかもしれませんが、16回もの長きに亘って。日本全国のクイズファンを魅了し続け、終了から30年以上経った今日においても、伝説のクイズ番組として広く語り継がれることはなかったであろうと思われます。

何故ならば、第1回大会での松尾さんの勇姿に感銘を受けてウルトラクイズ挑戦を志し、その後、ウルトラクイズのみならず、様々なクイズ番組で活躍を遂げた方が多く現れ、その方たちの活躍を見て更なるクイズファンの裾野が拡大して・・・ということが、80年代から90年代にかけて起こっていたからです。

僭越ながら、私も、第1回大会はリアルタイムでは見ていませんでしたが、松尾さんに続く世代の方々に深い感銘を受け、クイズファンになった一人です。

 

 

第1回大会の本。ウルトラクイズに夢中になりだした、1986年(昭和61年)の冬ごろに買ったと思います。

 

 

第1回大会のニューヨーク決勝、松尾さんが早押しで10ポイントを先取し、チャンピオンとなった問題は、「パチンコ屋でよく聞かれる『軍艦マーチ』、誰の作曲?」という問題でした。

この問題に「瀬戸口藤吉!」と答えて栄冠を勝ち取った松尾さんの勇姿と、あれから47年経った現在でも、未だ耳にする機会の多い「軍艦マーチ」の作曲者である瀬戸口藤吉さんという方のお名前は、私も生涯忘れることはないと思います。

 

 

2014年夏に発刊された、クイズ専門誌「QUIZ JAPAN」の第2巻。

松尾さんのインタビューが収録されています。

もしかすると、いずれ、松尾さんの追悼企画が組まれるかもしれません。しばらく買っていなかったけれど、そのようなことがあったら絶対に買いますよ。

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ウルトラクイズの裏側

2023-05-14 16:45:11 | クイズ番組

先日、オススメ情報として、このニュースがスマホメールで送られてきました。

 

 

伝説の『アメリカ横断ウルトラクイズ』、砂漠を歩いて帰るなど、罰ゲームの“裏側” | fumufumu news -フムフムニュース-

かつて、年に一度、日本テレビの『木曜スペシャル』という番組枠で放送されていた、視聴率20%超の人気番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』。国内予選を勝ち抜いた一般の視聴...

fumufumu news -フムフムニュース-

 

 

 

伝説の番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』に台本はあったのか!? 準優勝者が語る“撮影秘話” | fumufumu news -フムフムニュース-

一般視聴者である挑戦者が、番組名のとおりアメリカ大陸を横断しながらクイズをやり、残った2人がニューヨークで決勝を行うという、日本テレビのかつての人気番組『アメリカ...

fumufumu news -フムフムニュース-

 

 

 

「会場付近で3時間待機」「本番前はずっと目隠し」、『アメリカ横断ウルトラクイズ』準優勝者が明かす収録の“謎” | fumufumu news -フムフムニュース-

かつて、日本テレビ系で毎年、数週間にわたって放送されていた人気番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』。国内予選を勝ち抜いた一般視聴者である挑戦者をアメリカへ連れて行...

fumufumu news -フムフムニュース-

 

 

 

【アメリカ横断ウルトラクイズ裏話】準優勝者が語る、想像を絶する「マラソンクイズ」の過酷な事情 | fumufumu news -フムフムニュース-

かつての大人気番組、『アメリカ横断ウルトラクイズ』(以下、ウルトラクイズ)。その第10回大会(1986年)で、決勝まで行かせていただいた私の体験から、裏話をお話します...

fumufumu news -フムフムニュース-

 

 

昭和61年(1986年)に放送された、「第10回アメリカ横断ウルトラクイズ」。

前年の第9回から見始めた私が、初めて全回ビデオに撮り、何度も何度も繰り返し見て、ウルトラクイズにハマるきっかけとなった回でした。

その第10回の準優勝者で、現在は作家として活躍されている西沢泰生さんが、ウルトラクイズの裏話を語られています。

 

罰ゲームの裏側は、私もずっと興味を持っていました。

砂漠や岩山の中に一人ポツンと取り残されたり、途方もない距離を延々歩かされたりする罰ゲームも数多くありましたが、実際にはどこまで歩かされていたのか、そしてどうやって帰国の途についていたのか。

一部とはいえ、その真相が語られているのは大変興味深いです。

「マラソンクイズ」も、「バラマキクイズ」同様、恒例化された形式で面白かったですね。

私には絶対無理だなと思いながら見ていました。

 

 

リンクしたニュースとは全く関係ありませんが、西沢さんのインタビューは、この本にも掲載されています。

ウルトラクイズだけでなく、西沢さんのクイズプレイヤーとしての戦いの全てが語られています。

 

 

西沢さんがニューヨーク決勝まで進出された第10回は、10周年記念大会ということで、途中から北米と南米にコースが分かれ、各コースのクイズ戦を制した2名がニューヨークで相まみえるという展開でした。

西沢さんは、ディズニーワールド、マイアミ、ナイアガラの滝と進む北米コースを制してニューヨークへ進み、南米代表としてやってきた、当時日本でもトップクラスのクイズプレイヤーだった、森田敬和さんと決勝で戦いました。

実力者同士が相まみえるこの戦いは、最後はタッチの差で森田さんが逃げ切って優勝を果たしましたが、決勝戦に相応しい一進一退の攻防は、日本のクイズ番組史上に残るといっても過言ではない名勝負と言われています。

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30年前の影響未だに

2019-09-22 16:53:02 | クイズ番組

巨人 4年間逃し続けた優勝 原監督のチーム改革で立て直し(NHKニュース)

 

いやあ、巨人ジャイアンツ、やりましたね、リーグ優勝。

えっ、「巨人ジャイアンツ」?正式名称そんなだったっけって?

いやいや、わかってますよ。「読売ジャイアンツ」若しくは「読売巨人軍」ですよね。

実は今から30年前、「第13回アメリカ横断ウルトラクイズ」のとあるチェックポイントで、ジャイアンツが正解の問題が出題された際、回答権を得た挑戦者が、「巨人ジャイアンツ」と口にし、オマケで正解にしてもらったことがありましてね、それ以来、日本のジャイアンツというと、つい「巨人ジャイアンツ」と言ってしまうウルトラクイズファンの人が日本に・・・どれだけいるかわからないけれど、まあそれだけ、好きで繰り返し見ていた番組の影響力というのは恐ろしいものだなということで。

 

 

 

 

※ このとき、福留さんは「『巨人ジャイアンツ・・・』まあいいでしょう」と言っていた。この2年前、「第7回高校生クイズ」で「近鉄バファローズ(当時)」が正解の問題が出た際、ボタンを押した高校生が「近鉄バファロー」と「ズ」をつけなかったときも、同じように正解にしてもらえてました。

 

ところで、第13回ウルトラクイズといえば、先週金曜日にもこんなことが。

 

 

毎週楽しみに見ている「チコちゃんに叱られる!」で、「なんでハンカチは正方形なの?」という問題があったのだけれど、これは、バッチリ正解できました。

理由は、第13回ウルトラクイズで出題されていたから。

それは、ニューヨークでの決勝戦でのこと。

 

問「マリー・アントワネットが、円形や縦長など、形が定まらないことを嫌って正方形に統一させたといわれているものは何?」

 

この問題に、この回で優勝した長戸勇人さんは、「円形が」まで聞いてボタンを押して「ハンカチ!」と答え、福留さんに「凄いぞこれは!」と返されるシーンが大変印象に残っていたので、この問いが出た瞬間、心の中で「やったー!」と叫んでいました。

多分だけど、これが私の「初チコリ」(チコちゃんが出した問いに正解し、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」ではなく「つまんねー奴だなー」と呟かれてしまうこと)だと思います。

ところで、この問題について解説する「NHK多分こうだったんじゃないか劇場」で、観月ありささんがマリー・アントワネットの役を演じていたけれど、これはもしかすると、ゲストで出ていた宮沢りえさんに因んで、かつて「3M」と呼ばれた一人である観月さんにオファーがかかったと見るのが順当かな。

観月さんといえば、デビュー曲の「伝説の少女」がCMソングになっていた、キリンの「シャッセ」という飲み物が好きだったなあ・・・。復刻されないかなあ・・・。

 

※ もう一人は牧瀬里穂さん。今の若者は、このお三方がそんな総称をされていたことなど知らんだろなあ・・・。

 

最後に、第13回ウルトラクイズに関して、大変残念な報せに接してしまいました。

ニューヨークの一つ前の準決勝、ボルチモアで、クイズ番組史上に残る伝説の大激戦の末、惜しくも敗れ去ってしまった挑戦者、田川憲治さんが、先日お亡くなりになられたそうです。

優勝された長戸勇人さんのツイッターで知りました。

第13回の放送から25年経った2014年、クイズ雑誌で、ボルチモアで大激戦を展開した4人(長戸さん、田川さん、準優勝の永田喜彰さん、第3位の秋利美紀雄さん)の座談会が組まれた際、長戸さんの「(25年経ってこうして再会できたけど)25年後にもこんな感じで会いたいよね」という呼びかけに対し、田川さんも「うん」と答えてらしたのですが・・・。

素晴らしい戦いの思い出をありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。

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戦友

2019-08-25 20:54:35 | クイズ番組

「24時間テレビ」。以前ほど楽しみでもなくなったけれど、今日は、「ズームイン!!朝!」の歴代司会者総出演ということで、いつもよりさらに早起きして、4時30分にはテレビの前に座っていた。

一年に一回になってしまっているけれど、「トメさん」こと福留功男さんの元気な姿を見られるのは貴重ですからね。

 

今回の放送でもテーマとして取り上げられていたのが、福留さんと、ズームインの初代司会者にして福留さんの先輩である徳光和夫さんの不仲との噂。

これまでも色々と噂されていたせいか、今回の放送では、とうとう「都市伝説」に分類されていたのは正直笑ってしまったけれど、見ていての感想として、この件に関するお二人へのインタビューの中で、徳光さんの口から出た「(福留さんは)戦友」という言葉に、二人の関係の全てが集約されているのかなと思いました。

お互いに好きとか嫌いとか、そういうことは関係ない、そういうことを超越した存在ということになるのかなということで、そういう位置づけができる相手が身近にいるということは、本当に素晴らしいことなのかなと。

番組の中では、ズームインだけでなく、細切れながら、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の懐かしい映像も流れていたのも、ファンとしては嬉しい限り。

80歳を間近にしても変わらずに活躍されている徳光さんと、テレビでお目にかかる機会は少なくなっても、お目にかかる度に懐かしい思い出を沢山思い起こさせてくれる福留さん。

お二人には、今の関係を保ちつつ、これからもいつまでもお元気でと願わずにはいられません。

 

それと、今回の放送では、ズームインの三代目司会者である福澤朗アナの同期だった、元日本テレビの永井美奈子さんが出ていたのにビックリ。

最近はNHKの女性アナウンサーに気になる方が増えて(増え過ぎて?)しまっているけれど、実は私が最初にファンになった女性アナウンサーは、記憶に間違いがなければ永井さんだったと思うので、こちらもまた、懐かしい映像も出て、正直嬉しかったです。

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