北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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急すぎる・・・

2024-12-07 16:10:49 | 懐かしの思い出

今年の新語・流行語大賞の候補に、大谷翔平選手の「50-50(フィフティー・フィフティー)」という言葉がノミネートされていましたが、私にとって「フィフティー・フィフティー」といえば、大谷選手関連ではなく、1987年にリリースされた中山美穂さんのシングル曲「50/50」でした。

80年代後半、工藤静香さん、南野陽子さん、浅香唯さんと「アイドル四天王」と呼ばれていた中山美穂さん。特別ファンだったわけではないけれど、1987年のヒット曲は、ジャンルを問わず、今でも思い入れの強い曲が多いので、新語・流行語大賞のニュースを見たとき、真っ先にこのことが頭を過ぎりました。

 

(1987年のヒット曲に関する話)

 

1987年に思いを - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

ご年配の方々はご存知の方も多いだろうけど、私と同世代や、私よりも下の世代は、どれだけの人が知っているだろうかという話。仕事の移動中に聞いていたカーラジオの番組で...

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↑の記事では1987年についてしか触れていないけれど、翌88年のヒット曲も、同じようにジャンルを問わず印象に残っている曲が多く、中山美穂さんのシングル曲では、夏にリリースされた「人魚姫-mermaid」が好きでした。

翌89年の春にリリースされた「ROSÉCOLOR」とか、90年の「愛してるっていわない!」なんかも印象に残ってます。

それから、知っている方がどれだけいるか分からないけれど、96年には、岡本真夜さんとの共作で「未来へのプレゼント」という曲がリリースされていました。しばらく書いていなかったけれど、実は私、以前真夜さんのFCに入っていたことがあるので、これもまた忘れられない思い出の一つです。

 

あまりにも急すぎる報せに、言葉を失ったどころではありませんでした。

中山美穂さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。

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東武デパートに思う

2024-11-12 19:56:01 | 懐かしの思い出

昨日までの旅行記は、週末にゆっくり写真を整理して記事を下書き保存しておき、それ以降一つずつアップしていきます。

「続き希望」をポチっとしていただいた皆さん申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

 

 

池袋駅の西口。

「遠足」で仲間たちと集まるときは、池袋駅地下の「いけふくろう」前が待ち合わせ場所の定番なのだけど、一昨年、少し早く着いて、池袋駅東口界隈を散歩していたので、今回は西口界隈を散歩しようと思って、西口から一旦外に出てきました。

 

池袋駅西口と言えば、写真にも看板が写っている「東武デパート」ですよね。

「西口」なのに「東武」デパート、反対に「東口」なのに「西武」デパートというのがよく話題になっていますが、実は私、東武デパートの社歌を、1番だけ歌えます。

なんでかというと、またそれかと思われるかもしれないけれど、1987年(昭和62年)に放送された「第11回アメリカ横断ウルトラクイズ」で、東武デパートに勤務していた挑戦者が準決勝まで進出し、罰ゲームのシーンのラストで東武デパートの社歌が流れるという、何とも粋な計らいがあったのがすごく印象に残っていたから。

この頃のウルトラクイズは、社会人が1か月もの長い間休みを取って参加することの厳しさがクローズアップされていて、2年前の第9回では、ツアー途中で、欠勤続きを理由にクビを宣告されてしまった挑戦者が出ており、この第11回で見事優勝した挑戦者も、実は会社をクビになりやしないかという瀬戸際状態でクイズに臨んでいたことが放送中でも表に出されていました(結果的に、クビは免れたとのこと)。

しかしながら、東武デパート勤務だった挑戦者は、「人事から(1か月休みを取ることを)許可が下りた」とのことで、常にデパートの名前が入ったハッピを着てクイズに臨み、更に、早押しの代わりに、挑戦者一人一人に与えられたフレーズを絶叫する「大声クイズ」では、東武デパートのライバルを引き合いに出した「打倒西武!」というフレーズを与えられ、その力強い叫びっぷりは、福留さんからも「心がこもっているね~」と絶賛されたものでした。

あれから37年。コアなウルトラクイズのファンで、私と同じようなことを考えてしまうという人はきっと多くいると思うのだけど、私も未だに池袋駅西口に降り立って「TOBU」のロゴを見ると、あのとき放送で流れた社歌が頭の中を流れてくるのです。

 

 

それからもう一つ。このときの罰ゲームのシーンは、社歌が流れ終えた後、福留さんの「でも、野球は西武が優勝したよね~」というナレーションで終わっていました。

当時は西武ライオンズの大黄金期で、私も実はファンだったので、テレビの前で常に声援を送っていたのですが、あれから37年、一体どうしちゃったんでしょう、そんな黄金期があったことが信じられないくらい、西武は激弱になってしまいました。

道民としては北海道日本ハムファイターズを応援したいけど、黄金期を知っている元ライオンズファンとしては、やっぱり残念ですね。

また力を付けて、ぜひ、ファイターズVSライオンズでクライマックスシリーズのファイナルステージを戦ってほしいと思います。

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にわかベイスターズファン?

2024-10-22 20:00:00 | 懐かしの思い出

 

 

DeNA、ソフトバンクと”最大格差対決” 日本シリーズ進出で数々の珍記録、史上最大の下克上なるか :中日スポーツ・東京中日スポーツ

レギュラーシーズン3位のDeNAが、セ・リーグ王者の巨人をクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージで撃破し、歴代最少の貯金2で...

中日スポーツ・東京中日スポーツ

 

 

やりましたですね!

横浜DeNAベイスターズ、日本シリーズ進出!

パ・リーグは我が北海道の日本ハムファイターズが残念な結果に終わったけれど、実は私、セ・リーグでは、ベイスターズの日本シリーズ進出を期待していました。

その理由は、今から30年前、「にわか」ではありましたが、ベイスターズファンだったことがあったため。

 

 

92年の11月20日、当時大ファンだったアイドルグループ、「CoCo」の11枚目のシングル「横浜Boy Style」という曲がリリースされたのだけど、この曲は、ちょうどこの頃、「横浜大洋ホエールズ」から改称したベイスターズのイメージソングとしてリリースされ、さらに、C/Wの「WINNING」という曲は、公式の球団応援歌になっていました。

そんなことがあれば、これはもう、応援しないわけにはいかないなと思ったのです。

応援歌の「WINNING」は、当時、「ズームイン!!朝!」の名物コーナー「プロ野球いれコミ情報」で、ベイスターズの場面では必ずバックで流れていたので、私としては、ぜひともベイスターズに優勝してもらって、CoCoが生出演し、「WINNING」と「横浜Boy Style」を披露してくれるということを期待していましたが、残念ながらそれは叶うことなく、CoCoは、94年の9月末をもって解散してしまいました(ベイスターズの優勝は、それから4年後の98年)。

そんなことがあったもので、前回ベイスターズが日本シリーズに出場した7年前どうだったかは忘れたけれど、今年は当時のことを思い出して、セ・リーグではベイスターズを応援していたというわけなのです。

 

 

しかしまあ、貯金がわずか「2」で、勝率が歴代日本シリーズ出場チームでは最低ですか。

北海道のファイターズファンは、パ・リーグ代表のホークスに、「ファイターズの分まで頑張ってほしい」と願いを込める人もいれば、「ファイターズの仇を取ってほしい」とベイスターズを応援する人もいるなど様々でしょうけど、私は勿論ベイスターズの日本一を期待しています。

だけど、貯金の数と勝率からして、本当にそうなったら伝説として位置づけられるでしょうねきっと。

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「○○○4年」の出来事

2024-01-07 16:13:39 | 懐かしの思い出

6日に放送された、NHKの「タモリと鶴瓶のテレビDEお正月2024」の中で、1954年や1994年など、今年と同じ1の位が4だった年の元日の新聞テレビ欄が紹介されたのを見て、ふと思いました。

 

「そういえば、過去の、『○○○4年』って、結構自分にとって、節目や転機になるような出来事が多かったかも」

 

ということで、ちょっと振り返ってみようと思います。

 

1984年(昭和59年) 11歳

 

この年の4月、それまで住んでいた道南の八雲町から、父親の転勤により札幌に引っ越し。

札幌に引っ越してきたことで、地下鉄やバスに対する興味が芽生え、夏休みの自由研究で、札幌市内の交通機関について色々と調べて出したのだけど、思えばこれが、今に至る、町ブラが趣味となるきっかけだったということで、自分史に残る出来事といってよいかと思います。

 

 

大通にある「中央バスターミナル」。

当時は東区に住んでいて、地下鉄南北線麻生駅まで徒歩15分くらいだったのだけど、中心部へ出るには、地下鉄よりもバスの方が便利だったので、当時、札幌市内のバスルートマップというのを買って、自由研究などで活用したのを覚えています。

 

 

 

 

 

実はこの5枚の写真は2009年に撮ったものなのだけど、84年当時、このバスターミナルで特に印象に残っていたのが、この、JRの駅のような有人の改札口。

84年当時は、ここに係員さんがいて、ターミナルで買った切符に鋏を入れていて、それが珍しく面白く、わざわざここから切符を買って乗ったのを覚えています。

 

1994年(平成6年) 21歳

 

 

一回目の21歳 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

先日42歳になってしまったが、友人から頂いたお祝いのメッセージに、こんなことが書かれていた。「21歳の二倍」「21歳の時に感じた21年より、この21年の方が短か...

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以前、↑の記事でこの年を振り返っていたことがあったので、ここでは簡潔に書きます。

 

・この年は大学3年生。在学中の4年間では、この年が一番いい一年だったと振り返ることができる年。

・大学のゼミでゼミ長を務め、初めて本格的に「人を纏める」ということを経験。この経験は、正直、社会人になっても生きていると実感。

・この年の9月末をもって、FCに入っていた人気アイドルグループ「CoCo」が解散。これは、自分史に残る出来事といってよい。

 

 

学園前駅 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

地下鉄東豊線の「学園前」駅。東豊線は昭和63年(1988年)12月に、栄町~豊水すすきの間で開業しましたが、それから六年後の平成6年(1994年)10月に、豊水...

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もう一つ、10月に、地下鉄東豊線の豊水すすきの~福住間が開業したことで、「学園前」駅が誕生。大学直結の駅ということで、大変な恩恵を受けたものでした。

 

2004年(平成16年) 31歳

 

社会人になって9年目。何があったかというと、

 

・2月に、「特捜戦隊デカレンジャー」が放送開始。当時愛読していた特撮誌で、デカイエロー=ジャスミンこと礼紋茉莉花を演じた木下あゆ美さんを見て秒殺(早い話が一目惚れ)される。これまで沢山のアイドルや女優さん、女子アナなどのファンになってきたけれど、秒殺されたのは、後にも先にもあゆ美さんだけと思われる。

 

ということもありましたが、この年の一番のトピックスは、やはりこちらかと。

 

 

初の1泊オフ。そして改名 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

※遡って書きます。ナナマガラー誕生(?)のきっかけとなった、2004年7月10日~11日の出来事です。つい先程東京から帰ってきた。上京の目的は戦隊ファン仲間による...

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1980年に放送された「電子戦隊デンジマン」で、悪の一味、ベーダー一族の「へドリアン女王」を演じられた曽我町子さんから直々に、今も名乗っている「ナナマガラー」という名前を授けていただきました。

そんな、自分史に残るなんてもんじゃない出来事から、今年の夏で20年になります。早いなあと思うと共に、ここまでこの名前を大切にしてくることができたことに、命名のきっかけを作ってくれた仲間たちは勿論のこと、現在もこのブログで交流させていただいている全ての皆様に、改めて感謝を申し上げたいと思います。

 

2014年(平成26年) 41歳

 

・3月10日。妻との婚姻届を提出。

 

他にも色々ありましたが、この年はこれだけで十分かと。

自分で言うのもなんだけど、今後とも末長く良好にやっていきたいと思います。

 

とまあ、ざっと振り返ると、本当にこれまでの「○○○4年」は、自分史に残る出来事が多くあったことがわかります。

今年はどんな一年になることやら。せめて、「悪い意味で」自分史に残る出来事に見舞われるようなことだけはないようにせねばと思います。

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同窓生との会話

2024-01-05 19:41:28 | 懐かしの思い出
 

中華ダイニングでゆったりと - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

地下鉄琴似駅から徒歩数分の所にある小さな中華料理店に行ってきました。以前はホルモンのお店が入っていた場所で、そこには何度か行ったことがあるのだけど、8月にオープ...

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↑の記事で紹介していた、西区琴似の中華ダイニングのお店で、年前に再び食事をしていました。

 

 

まずはお通しから。

 

 

オーダーしたのは、こちらの「ピリ辛タンタン麺」。

 

 

ラー油(?)がしっかり絡まった麺の色を見ただけでも、ピリ辛の度合いが伝わってくるかと思います。

 

食事を終え、またぜひ行きたいと思って席を立ちましたが、ここで驚いたことが一つ。

なんと、男性の店員さんが、私の高校の後輩とのことでした。

先輩後輩と言っても、どうやら20年以上離れているようなので、在学中のあれやこれやに関する会話はできなかったのだけど、更に驚いたことに、なんとなんと、別な席で食事をしていた女性のお客さんも、同じ高校の出身だったことが判明。

そちらの女性は、私より数学年下のようで、在学期間はかぶっていないようだけど、学校に関する会話ができてとても懐かしい思いをすることができました。

 

 

34年越しの訪問 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

札幌市郊外の閑静な住宅街にあるラーメン屋さんへ行ってきました。「阿里山」と書いて「ありしゃん」と読むお店です。時刻は開店から30分も経っていない、午前11時20...

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先日紹介した、西区平和にあるラーメン屋さん。

このお店も私の在学中からあったので、先日行ってきたという話もしたのだけど、このお店の話から派生して盛り上がったのが、当時このお店の近くにあった小さな商店の話。

 

 

「阿里山」さんの隣にある小さな公園。

この公園の先、写真の一軒家がある辺りだったと思うんだけど、当時、「Hショップ」という小さな個人商店がありました。

今でこそ平和地区にはセブンイレブンとセイコーマートができていますが、当時は、学校から離れた所に「SPAR」しかなかったこともあり、この個人商店は私たち高校生の御用達となっていて、私も学校帰りなどに何度となく寄ったという懐かしい思い出があります。

その女性も同様だったようなので、このお店でジュースやお菓子などを買った話題で盛り上がりました。

 

 

 

そしてもう一つ盛り上がったのが、写真の本屋さんの場所に当時あった「M薬局」という薬局の話。

当時あったと言っても、どうやら閉店後看板だけがそのままになっていたようなのだけど、私のようなバス通学の生徒は、下校時、この横断歩道を渡って左に曲がった所にあるバス停から乗車していたので、ここにあった薬局は必然的に目に入っていたこともあり、閉店していて一度も入ったことがないとはいえ、私にとっては、高校時代を語る上で欠かせないスポットの一つとなっています。

そんなこともあって、その女性に「M薬局が本屋さんに変わっていてビックリした」という話をしたところ、「ですよね~。分かります~」という反応が返ってきて、久しぶりに高校時代に戻ったような気持ちになりました。

この写真は実は4年前のものなんだけど、この本屋さんは今でも変わらず営業していて、本離れが加速し、書店が続々と閉店しているご時世にあって、こうして頑張っているお店というのは、本屋好きの私としては応援したくなるなと思います。

また行く機会を作りたいと思います。

 

 

(4年前の記事)

 

平和を願う町 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

札幌市西区の西端にある「平和」地区へ。ここは、明治17年(1884年)に山口県から、同19年(1886年)に福井県からの移民が入植したことによって開墾され、大正...

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