早いもので11月も終わり。
今日は用事があって午後から休暇を取ったのだけど、その用事をこなしたら、何故だか疲れがどっと出てしまった。
何とか回復したけど、明日から土日なので、今夜はゆっくり休みます。
当たり前だけど、今日で11月が終わりということは、明日から12月。
12月最初の日は、よほどのことがない限り記事の話題は固定なのだけど、その前に、今日11月最後の日に関する話を一つ。

おなじみJR釧路駅。
明治34年(1901年)に釧路~白糠間の鉄道が開業し、現在の駅の前身である「釧路停車場」が開業しましたが、その釧路駅が現在地に移転したのが、大正6年(1917年)の、今日11月30日だったのです。

「釧路停車場跡」の碑が残る「釧路市交流プラザさいわい」。


その向かいにあるNTTの社屋。
以前一度紹介していますが、「釧路停車場」は、この位置にありました。
釧路~白糠間の開業から16年、その間、釧路は旭川や札幌と鉄道で結ばれ、大正6年(1917年)12月1日に釧路~厚岸間が開業したのを機に、釧路駅は現在地に移転しましたが、現在地への移転に当たっては、各方面から色々と反対の声が挙がっていたようです。

「幣舞公園」から見た釧路駅方面。

釧路中心部のメインストリートである「北大通」。

その「北大通」は、釧路駅で終わり。
釧路駅の向こう側には白糠~帯広方面へ続く道が整備されていますが、現在駅と鉄道によって分断されているその道が、それまでは一本の道で結ばれていたことから、それが分断されることに対する猛反対の声が挙がったことは、想像に難くありません。
また、釧路駅の現在地は湿地であったことから、建築技術者の間でも反対の声が挙がっていたそうです。
しかし、この現在地は、当時の釧路町(大正11年(1922年)に釧路市となった)の中心部であった、幣舞橋よりも向こうの「橋南地区」から遠く、隣接する旧鳥取町(当時は鳥取村)との境界近くでもあったことから、市街地の発展ということを考えると、隣接する村との境界近くに駅を移転させ、そこに向けて発展させていくのがよいとの結論に達したことから、移転が決定したとのことです。
なるほど、突き詰めていけば、釧路市が旧鳥取町とが合併する前だったからこその話だったんですね。
(釧路駅の現在地はこちら。)

最後に、「釧路市交流プラザさいわい」前の歩道に、このようなものを見つけました。
なかなか気付かれないかもしれないけれど、釧路の歴史の一端に触れられる場所として、大切にされていってほしいと思います。
今日は用事があって午後から休暇を取ったのだけど、その用事をこなしたら、何故だか疲れがどっと出てしまった。
何とか回復したけど、明日から土日なので、今夜はゆっくり休みます。
当たり前だけど、今日で11月が終わりということは、明日から12月。
12月最初の日は、よほどのことがない限り記事の話題は固定なのだけど、その前に、今日11月最後の日に関する話を一つ。

おなじみJR釧路駅。
明治34年(1901年)に釧路~白糠間の鉄道が開業し、現在の駅の前身である「釧路停車場」が開業しましたが、その釧路駅が現在地に移転したのが、大正6年(1917年)の、今日11月30日だったのです。

「釧路停車場跡」の碑が残る「釧路市交流プラザさいわい」。


その向かいにあるNTTの社屋。
以前一度紹介していますが、「釧路停車場」は、この位置にありました。
釧路~白糠間の開業から16年、その間、釧路は旭川や札幌と鉄道で結ばれ、大正6年(1917年)12月1日に釧路~厚岸間が開業したのを機に、釧路駅は現在地に移転しましたが、現在地への移転に当たっては、各方面から色々と反対の声が挙がっていたようです。

「幣舞公園」から見た釧路駅方面。

釧路中心部のメインストリートである「北大通」。

その「北大通」は、釧路駅で終わり。
釧路駅の向こう側には白糠~帯広方面へ続く道が整備されていますが、現在駅と鉄道によって分断されているその道が、それまでは一本の道で結ばれていたことから、それが分断されることに対する猛反対の声が挙がったことは、想像に難くありません。
また、釧路駅の現在地は湿地であったことから、建築技術者の間でも反対の声が挙がっていたそうです。
しかし、この現在地は、当時の釧路町(大正11年(1922年)に釧路市となった)の中心部であった、幣舞橋よりも向こうの「橋南地区」から遠く、隣接する旧鳥取町(当時は鳥取村)との境界近くでもあったことから、市街地の発展ということを考えると、隣接する村との境界近くに駅を移転させ、そこに向けて発展させていくのがよいとの結論に達したことから、移転が決定したとのことです。
なるほど、突き詰めていけば、釧路市が旧鳥取町とが合併する前だったからこその話だったんですね。
(釧路駅の現在地はこちら。)

最後に、「釧路市交流プラザさいわい」前の歩道に、このようなものを見つけました。
なかなか気付かれないかもしれないけれど、釧路の歴史の一端に触れられる場所として、大切にされていってほしいと思います。