今日仕事でお邪魔したお宅で、関係者の方のお孫さんが、「シンケンマル」の玩具を振り回して遊んでいたのが目に止まった。
勿論、伺った用件は、シンケンじゃなくて真剣な話なのだけど、そんなお孫さんの様子は、見ていて凄く微笑ましく感じられ、仕事じゃなかったら、ぜひ一緒に遊びたいとさえ思ってしまった。
来月また伺う予定なんだけど、その時はどうかななんて密かに期待しちゃってますが。(冗談ですよ。勿論仕事最優先ですから)
シンケンジャーと言えば、もう一つこんな話。
昨日の午後、旅先で花粉症を悪化させないよう、予防のために耳鼻科に行ったのだけど、実は昨年から、その耳鼻科に行く度に、ある物に反応してしまっている。
それは、待合室に飾ってある耳の構造図なんだけど、それによると、耳の穴から鼓膜までの通路状の部分のことは、正確には「外耳道(がいじどう)」と呼ぶのだという。
そう、カンのいい方はお気づきかと思うけど、この「外耳道」の表記を見る度に、「耳」を除いた「外」と「道」に反応して、「外道」→「外道衆」と連想しちゃってるというわけでして、これまで何度も見ていて、そういう物があると分かっているのに、昨日もまたまた反応してしまったのだから恐ろしいもの。
なるほど、これだものシンケンジャーをいつまでも引っ張って、ゴセイジャーに感情移入できないわけだなと、自分で自分を納得させてしまいました。(笑)
さ、明日からGWに突入。
今日の函館は物凄い暴風雨だったけど、予報では、明日の午前中まで雨が続くみたいなので、明日はどこにも行かず、旅の準備に専念の予定でいます。
勿論、伺った用件は、シンケンじゃなくて真剣な話なのだけど、そんなお孫さんの様子は、見ていて凄く微笑ましく感じられ、仕事じゃなかったら、ぜひ一緒に遊びたいとさえ思ってしまった。
来月また伺う予定なんだけど、その時はどうかななんて密かに期待しちゃってますが。(冗談ですよ。勿論仕事最優先ですから)
シンケンジャーと言えば、もう一つこんな話。
昨日の午後、旅先で花粉症を悪化させないよう、予防のために耳鼻科に行ったのだけど、実は昨年から、その耳鼻科に行く度に、ある物に反応してしまっている。
それは、待合室に飾ってある耳の構造図なんだけど、それによると、耳の穴から鼓膜までの通路状の部分のことは、正確には「外耳道(がいじどう)」と呼ぶのだという。
そう、カンのいい方はお気づきかと思うけど、この「外耳道」の表記を見る度に、「耳」を除いた「外」と「道」に反応して、「外道」→「外道衆」と連想しちゃってるというわけでして、これまで何度も見ていて、そういう物があると分かっているのに、昨日もまたまた反応してしまったのだから恐ろしいもの。
なるほど、これだものシンケンジャーをいつまでも引っ張って、ゴセイジャーに感情移入できないわけだなと、自分で自分を納得させてしまいました。(笑)
さ、明日からGWに突入。
今日の函館は物凄い暴風雨だったけど、予報では、明日の午前中まで雨が続くみたいなので、明日はどこにも行かず、旅の準備に専念の予定でいます。
今日は午前中外回りだったのだけど、道中、人様の敷地に立ち入る必要が生じたので、インターホン越しに声をかけてみた。
私「ごめんください」
相手「・・・・・」
私「ごめんくださーい!」
相手「・・・・・」
不在だったので、その場で立ち去ることにしたのだけど、この時ふっと頭を過ったのが、
「『ごめんください』って、そもそもどういう意味なんだろう?」
ということ。
気になったので調べてみた。
この間の「しちめんどくさい」に続く、語源シリーズ(そうなのか?)第二弾ということで。
そもそも「ごめん」とは、漢字で「御免」と書くが、これは、「許す」という意味の「免」という字に「御」を付けることで、鎌倉時代から、許す相手を敬う表現として用いられてきたそうなのだが、それが転じて、室町時代には、自ら許しを請う言い方として用いられるようになったとされている。
つまり、挨拶としての「御免ください」というのは、「御免をください」という、自ら謙って許しを乞う表現なのであり、例えば今日の私のようなケースであれば、「人様の土地に部外者が立ち入るということを何とか許してほしい」という意味合いで用いられているのだという。
確かに、「ご検討ください」とか「ご覧ください」などと言った表現が、相手に対して「検討していただく」「見ていただく」という趣旨で用いられているのと同様、「ごめんください」も、「御」をつけることによって、相手に対して謙った表現になるということなのだろう。
また、そもそもこの「免」という字は、古来中国では「許す」という意味の、今で言う動詞として用いられていた物であり、そのことから考えても、「ご検討」や「ご覧」と同列に扱って差し支えない表現ということのなるのだろうと思う。
以上、大変雑駁だったけど、私はこれで何とか納得できたような気がするので、これから仕事で人様のお宅に伺う際には、少し意識して使ってみようと思う。
私「ごめんください」
相手「・・・・・」
私「ごめんくださーい!」
相手「・・・・・」
不在だったので、その場で立ち去ることにしたのだけど、この時ふっと頭を過ったのが、
「『ごめんください』って、そもそもどういう意味なんだろう?」
ということ。
気になったので調べてみた。
この間の「しちめんどくさい」に続く、語源シリーズ(そうなのか?)第二弾ということで。
そもそも「ごめん」とは、漢字で「御免」と書くが、これは、「許す」という意味の「免」という字に「御」を付けることで、鎌倉時代から、許す相手を敬う表現として用いられてきたそうなのだが、それが転じて、室町時代には、自ら許しを請う言い方として用いられるようになったとされている。
つまり、挨拶としての「御免ください」というのは、「御免をください」という、自ら謙って許しを乞う表現なのであり、例えば今日の私のようなケースであれば、「人様の土地に部外者が立ち入るということを何とか許してほしい」という意味合いで用いられているのだという。
確かに、「ご検討ください」とか「ご覧ください」などと言った表現が、相手に対して「検討していただく」「見ていただく」という趣旨で用いられているのと同様、「ごめんください」も、「御」をつけることによって、相手に対して謙った表現になるということなのだろう。
また、そもそもこの「免」という字は、古来中国では「許す」という意味の、今で言う動詞として用いられていた物であり、そのことから考えても、「ご検討」や「ご覧」と同列に扱って差し支えない表現ということのなるのだろうと思う。
以上、大変雑駁だったけど、私はこれで何とか納得できたような気がするので、これから仕事で人様のお宅に伺う際には、少し意識して使ってみようと思う。
あと2日仕事すればGWに突入。
既に心は広島へ飛んでいる。
天気予報見たら、30日から3日までは良好な様子。
気温が20度を超えているようなので、半袖も1~2枚持っていくとしよう。
今回は、昨年の長崎以来の飛行機での旅。
ずっと新幹線でばかり旅行していたので、久しぶりの空港と飛行機が楽しみだ。
実は、函館空港に友人が勤務しているので、30日か、帰ってきた5日にでも、ちょっと探してみようかなという楽しみもある。
会えるかどうかわからないけどね。
そんなこんなで、仕事の方は、先週あたりから、GW前の駆け込みモードになってきたけれど、当初思っていたよりは先に進んでいないなというのが正直なところ。
明日と明後日は、それこそ駆け込みでやっつけようと思っている外回り二連発。
心置きなくGWに突入できるよう、しっかりとかからねば。
GWは広島(と山口)だけど、ぼちぼち、今年の旅行プランも固まりつつある。
夏と年末には、また東京に遊びに行くし、夏休み(多分9月)は、宮崎県を計画中。
他には京都も行きたいし、もしかしたら、昨年11月に続いて、また岩手にも行くかもしれない。
京都は、先日行ってきた友人から話を聞いて、いよいよ行きたい気持ちが強くなってきたし、岩手は、別な友人が盛岡に転勤になったので、会いに行くという楽しみがある。
まずは広島を充実した旅にして、次回以降に繋げていけますように。
既に心は広島へ飛んでいる。
天気予報見たら、30日から3日までは良好な様子。
気温が20度を超えているようなので、半袖も1~2枚持っていくとしよう。
今回は、昨年の長崎以来の飛行機での旅。
ずっと新幹線でばかり旅行していたので、久しぶりの空港と飛行機が楽しみだ。
実は、函館空港に友人が勤務しているので、30日か、帰ってきた5日にでも、ちょっと探してみようかなという楽しみもある。
会えるかどうかわからないけどね。
そんなこんなで、仕事の方は、先週あたりから、GW前の駆け込みモードになってきたけれど、当初思っていたよりは先に進んでいないなというのが正直なところ。
明日と明後日は、それこそ駆け込みでやっつけようと思っている外回り二連発。
心置きなくGWに突入できるよう、しっかりとかからねば。
GWは広島(と山口)だけど、ぼちぼち、今年の旅行プランも固まりつつある。
夏と年末には、また東京に遊びに行くし、夏休み(多分9月)は、宮崎県を計画中。
他には京都も行きたいし、もしかしたら、昨年11月に続いて、また岩手にも行くかもしれない。
京都は、先日行ってきた友人から話を聞いて、いよいよ行きたい気持ちが強くなってきたし、岩手は、別な友人が盛岡に転勤になったので、会いに行くという楽しみがある。
まずは広島を充実した旅にして、次回以降に繋げていけますように。