北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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体に優しいパン屋さん

2021-11-30 19:46:46 | グルメ・スイーツ

 

西区八軒に、ショートニング、マーガリン不使用の体に優しいパン屋さんがあると聞いて、ちょこっと行ってきました。

 

 

JR琴似駅から徒歩で10分ほどの所にある「kawakami Bakery ろっぱや」さんというお店です。

 

 

 

 

子供の頃からクリームパンが大好きだったことと、「一番人気」というのに惹かれて手を伸ばしかけたけど、今回はあえてパスしました。

次回に楽しみを取っておこうと思って。

 

 

ということで、今回買ったのは、

 

 

まずは「バターパン」。

ビスケット生地にバターがサンドされていて、適度な甘さで美味しかったです。

 

 

 

そして、この「あんぱんまん」。

こちらもクリーム入りなので、今回はこちらをチョイスしました。

先日、「ロイズ」の記事でも引用しましたが、江差に住んでいた頃によく通っていた「あすなろパン」で売られていたパンを思い出しました。

あちらがバイキンマンで、こちらはアンパンマン。両方揃えると、お子さんにとっては楽しくてよさそう。

 

こちらのお店のことは本で知りましたが、会計をしていると、レジの奥の窓に、見覚えのあるステッカーが。

そう、「発見!タカトシランド」のステッカーが貼ってあったのです。

昨年の夏に放送された八軒エリア編ではここへは来ていなかったので「えっ?」って思ったけれど、実はそれ以前にも、三年前の五月、まだ見ていなかった頃に来ていたのでした(こちら)。

正直、油断できないなあと思いました。

 

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白虎隊士ゆかりの地

2021-11-29 20:15:33 | 札幌

 

札幌市中心部。エリアで言うと、地下鉄東豊線の豊水すすきの駅に近い所にあるホテルの建物。

残念ながら、昨年6月に閉館した「札幌第一ホテル」というホテルの敷地です。

これは今でもはっきり覚えているんだけど、私が小学校5年生のときの、昭和59年(1984年)10月13日土曜日、名前は忘れてしまったけれど、この「第一ホテル」の前身であった宿泊施設に、家族三人で泊まったことがあります。

何ゆえ37年も前のことを、日付までしっかりと覚えているかというと、その日は、当時土曜夕方6時から放送されていた「超電子バイオマン」の第37話「殺し屋シルバ!」という回が放送された日で、その回を自宅ではなくホテルで見たということを今でもはっきり覚えていたので、先ほど放送された日の日付を調べて、ああ10月13日だったんだと思い至ったというわけでした。

て、今日の本題はそんなどうでもいいことではなくて・・・、

 

 

その敷地の一角に、このような碑があります。

白虎隊というと、私も13年前に福島県でゆかりの地巡りをしてきました(こちら)が、戊辰戦争において旧幕府勢力の中心とみなされ、新政府側の仇敵となった、会津藩の、15歳から17歳までの武家の男子で構成されている兵隊のことですね。

この戦争で、会津藩は、若松城(別名「鶴ヶ城」。現在の会津若松市)を死守すべく戦ったものの、兵隊の一つであった白虎隊も各所で苦戦を強いられ、戦死者も出る中、負傷者を抱えながら、飯盛山という山へ落ち延びました。

飯盛山から市中火災の模様を目にした白虎隊氏総勢20名は、その火災を見て若松城が落城したものと誤認し、絶望感に包まれて自刃しましたが、その隊士のゆかりの地が札幌に・・・、どういうことでしょう?

 

 

この「飯沼貞吉」という人物ですが、先ほどリンクした記事の中で、こんなことを書いていました。

 

「自刃したものの、助けられて一命を取り留めた後は、当時の逓信省で電気技師として各地で勤務。明治38年には札幌に郵便局工務課長として赴任し、明治40年の札幌大火の復旧工事などに尽力したとされている。色々と調べていく中で、思いがけず、札幌との繋がりが出てきたのには、ビックリでした。」

 

自刃に及んだ20名のうち、唯一奇跡的に一命をとりとめた飯沼貞吉は、明治維新後、当時の工部省から電信技術者としての辞令を受け、本州各地で勤務したほか、日清戦争では朝鮮に派遣されました。

そして明治38年(1905年)1月、札幌郵便局工務課長として着任し、五年間の在任中、電話交換台の改修工事や新たな電話回線の建設や、先述した札幌大火の復旧工事にも尽力しました。

そんな貞吉の功績を称える碑が、何故この場所にあるのかということですが、冒頭、「小学校5年生のときに泊まったホテルの名前を忘れた」と書いてしまいましたが、調べていて思い出しました。当時ここにあったのは、「札幌電信電話会館」という、電電公社(現NTT。昭和60年(1985年)に民営化)の福利厚生施設で、我が家は、父親が電電公社勤務だった関係で、優待価格で宿泊することができたということなのです。

そして、この辺りに、貞吉が暮らしていたという、逓信局という官庁の宿舎があったのだそうです。

そうか、札幌の電話事業の歴史に大きな足跡を残した人物を称えるという意味があったんですね。なるほどなるほど。

 

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「APIA」の意味と思い出

2021-11-28 16:41:16 | 札幌

 

JR札幌駅と地下鉄南北線さっぽろ駅を結ぶコンコースの途中にある地下ショッピングソーン「APIA(アピア)」。

 

 

 

 

 

全部で5つのゾーン(「〇〇WALK」と名の付く)に分かれています。

 

 

一つ一つ紹介すればきりがないけれど、例えばこちら、パンの店「HOKUO」。

かつては、西区山の手に「北欧館」というミュージアム的施設があり、札幌でパン屋さんと言えばここ!というくらい、市内の各店舗も人気を誇ったお店でしたが、一つまた一つと店舗が閉店を続け、現在、札幌市内では、こちらの「アピア店」のみとなってしまいました。

往時の人気ぶりを知っている世代としては大変驚きですが、それだけに、頑張って営業し続けてほしいなあと思います。

 

 

 

それからもう一つ、こちらの「札幌弘栄堂書店」さん。

この「APIA」は、かつて地下にあった「ステーションデパート」と「札幌駅名店街」がその前身ですが、私が小学生から中学生にかけての頃、「札幌駅名店街」の方に入っていた弘栄堂書店さんにはとにかくよく通っていて、今もまだ持っているこちらの本をはじめ、本当に沢山の本を買った思い出があります。

「札幌駅名店街」のほか、近くにある「国際ビル」といビルの地下にも店舗があり、そこは「文教堂」になった後に閉店してしまったのだけど(こちら)、この店舗は、今も「弘栄堂」のまま残っているというのが、私にとっては何とも嬉しい限り。

札幌駅前は書店の激戦区だけど、こちらも、このまま変わらずに残っていてほしいと思います。

 

ところで、この話題でちらっと名前を出した「札幌駅名店街」について、先日YouTubeを色々見ていたら、こんな懐かしいCMを見つけました。

私が小学校6年生だった昭和60年(1985年)のものだそうで、テーマソングも覚えてました。

 

 

 

地上へ通じる広場。

晴れた日は、光がしっかりと差し込んで、とても明るいです。

 

 

 

と、そこにこんな表示が。

「えっ、APIAってそういう意味だったの?」って思ってしまいました。

というのは、これは記憶違いということになるんだけど、「アピア」の名前って、ローマにある「アッピア街道」に由来していると、何かで読んだような記憶があり、確証がないまま、ずっとそうだと思い続けていたんですよ。

それがそうではなかったと知り、驚くと同時に、これまでこのブログでも、その間違って覚えていた内容を書いていなかったことに安堵しました。

基本的なことだけど、物事の意味はしっかりと調べないといけないなと、改めて強く思いました。

 

 

「太陽の広場」から上を見上げて。

 

 

上はこうなっています。

そのものずばり「アピアドーム」と言うそうで、待ち合わせスポットとしても定番です。

道内のテレビでは、STVの「どさんこワイド179」の中継でもおなじみですね。

 

 

 

地下から通じるエレベーター。

 

 

 

ここはあまり来たことがなかったので、写真撮りがてら下ものぞいてみました。

土日祝日は、多くの買い物客で賑わっています。

 

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時計台の鐘

2021-11-27 15:55:36 | 札幌

まずお知らせ。

ちょっと色々思うところがありまして、このブログのテンプレートを旧式に戻しました。

多分ですけど、当面こちらで行くことになると思うので、皆様引き続き宜しくお願い致します。

 

 

札幌中心部の「北2条通」を歩いていると、このような碑を見つけました。

 

 

「札幌農学校演武場」とは、現在の「札幌時計台」のことですが、元々は、現在地から少し離れた所にありました。

 

 

 

明治11年(1878年)、現在の北海道大学の前身である「札幌農学校」の校庭があった場所に、演武場(屋内体育館)が設置されましたが、それは現在の時計台のある場所から少しばかり北東の、↑の地図の場所でした。

 

 

それが、明治39年(1906年)に現在地に移転していますが、移転に当たっては、取り壊し→再築ではなく、既存の建物をそのまま引っ張って移動する「曳家(ひきや)」という工法が採られたそうです。

 

 

現在、「時計台ビル」という大きなビルが建つこの場所に、かつての「演武場」があったということです。

 

 

場所は変わって、現在の時計台の敷地内。

ここに先日、新たな石碑がお目見えしました。

 

 

これは、今から98年前に作詞作曲された「時計台の鐘」という歌の歌詞を刻んだもの。

札幌市在住の永原利雄さんという方が、たまたまこの曲を耳にした際、この曲の歌碑がどこかにあるかと調べたところ、ないことが分かったため、自ら石材店に制作を依頼し、完成したものを市に寄贈し、先日時計台の敷地内に設置されたということです。

「時計台の鐘」というフレーズは、札幌市民憲章の前文に「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。」とあるとおり、札幌という街を象徴するものとして長い間親しまれてきただけに、これを機に、この曲が広く浸透し、時計台の素晴らしさが語り継がれていくことが祈念されているそうです。

 

 

その他、時計台の敷地内をぶらぶらして見つけた物。

まずはこちらのマンホール。

 

 

 

 

現在、札幌時計台は、「さぁ!まわろうSAPPORO~見どころ施設無料化月間~」というキャンペーンにより、12月19日(日)まで入場無料で開放されています。

皆様、札幌へお越しの際は、ぜひ対象施設を訪れて、札幌の歴史や文化に触れてみてください。

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由来あれこれ

2021-11-26 19:34:01 | 札幌

 

札幌の中心部にある、「高桑ビル」という大きな商業ビル。

かつては、長崎屋系列の大型ディスカウントストア「Big Off」や、「丸井今井南館」が入っていたことでも知られています。

 

 

現在地下2階から地上4階までは、大手書店「ジュンク堂」が入店していますが、先日、たまたまこの「ジュンク堂」について調べてみたところ、面白い(と言っては失礼かな?)事実を知ったので紹介します。

何かというと、この店名の由来なのですが、同社を起業した「工藤恭孝」代表取締役社長の父親である「工藤淳」氏の名前に由来しているのだそうで、父親の経営していた図書販売会社に入社した恭孝氏が、書店部門を任されて独立することとなった際、新たな店名として、色々な名前を父親に提案したものの、どれも駄目だと言われ、苦肉の策で「淳工藤」と父親の名前をひっくり返したら意外に気に入られ決定したということなのだそうです。

ジュンク堂はポイントカードも持っていて、大通へ行くと必ずと言っていいほど立ち寄っているお店ですが、これは、以前フジテレビ系で放送されていた「トリビアの泉」並みの「へぇ~」と言わさる話だと思い、記事にしてみました。

本当、名前の由来って色々ですね。

 

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