北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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報徳神社

2025-01-05 19:20:25 | 札幌

昨日、HTBで、ドラマ版「弁当屋さんのおもてなし」が、シーズン1からシーズン2まで一挙に再放送されていましたが、その直後から、このブログの「弁当屋さんのおもてなし」関連の記事が軒並みアクセス数が増えています。

アクセスしてくださった皆様、ありがとうございます。

昨日、今年の豊富として「旅」という文字を挙げましたが、「弁当屋さんのおもてなし」関連で、昨年からの積み残しとして、シーズン2第2話のロケ地が、1箇所未特定となっているということがあるので、今年こそは特定できるよう、目標として挙げたいと思います。

場所は大通公園、特定のポイントは、一瞬だけ画面に映る「じょうてつバス」だと思っています。

狙いは雪の融けたGWです。

 

 

全然話は変わりますが、札幌滞在中、自宅からも近い「琴似神社」にふらっと立ち寄ったところ、境内社の社殿が新しくなっていたのを発見しました。

 

 

琴似神社~2~ - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

「琴似神社」には、所謂「境内社」が幾つかあります。じっくり見て歩くのは初めてなので、全く意識したことはありませんでしたが、この機会にチェックしてみます。まずはこ...

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↑の記事の冒頭で紹介している「報徳神社」の社殿が新しくなっていました。

 

 

 

この「報徳神社」の創建について、明確に記されている資料はないようですが、一説によると、幕末に箱館奉行が設けた「石狩御手作場」という、幕府が北方防衛のために開いた開墾農場から材料が運ばれてきたとされています。
 

「報徳」という言葉は、「経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元される」とされる「報徳思想」に由来するもので、これは、かの二宮尊徳が独学で学んだ神道、仏教、儒教などと、農業の実践から編み出した、豊かに生きるための知恵であるとされています。

その思想を信条とする「大日本報徳社」という法人の総意により、神奈川県小田原市に「報徳二宮神社」という神社が創建され、同名の神社が、北海道でも、十勝の豊頃町に存在します。

先程の「石狩御手作場」の主管は、創成川を開いた「大友亀太郎」であり、大友亀は尊徳の直弟子であったことから、その関連で「報徳神社」という社号となったという説もあるそうです。

琴似にある「報徳神社」は、昨年4月から12月にかけて改修工事が行われていました。これからまた、琴似神社を参拝する人たちの目に留まり、琴似の町を見守り続けていくことでしょう。

 

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札幌諏訪神社~2024年終詣~

2024-12-30 16:42:20 | 札幌

 

2か月ぶりの参拝となる「札幌諏訪神社」。

今年は1月2日に初詣に来ていましたが、今回は、混雑を避ける目的もあり、年末の「終詣」としました。

 

 

 

 

おなじみの花手水。

 

 

破魔矢や正月飾りのブース。

 

 

御守も多く並んでいました。

 

 

 

札幌諏訪神社は、御神籤の種類が豊富なことでも知られています。

この御神籤は、今回初めて見たと思います。

 

 

 

「終詣」ということで、今年一年を無事に過ごせたことへの感謝の意を表してきました。

来年も、札幌に帰省したときには、必ず参拝しようと思います。

 

 

皆さんの願い事も叶いますように。

 

 

参拝の後は、おなじみ、「お諏訪さん茶房」こと「COFFEE PICTURES」さんのブースへ。

 

 

以前は現金のみでしたが、キャッシュレス対応になっていました。

 

 

寒いので、今回はこちらを。

 

 

 

また来年も、参拝のときにはお世話になります。

 

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札幌諏訪神社~2024年10月~

2024-10-15 20:05:22 | 札幌

 

夏休みに帰省したときは行けなかった「札幌諏訪神社」へ、GW以来5か月ぶりに行ってきました。

函館では、まだ「行きつけの神社」を見つけられていないこともあり、行くのがとても楽しみでした。

 

 

 

 

 

綺麗な花笠がお出迎え。

 

 

 

 

カエルの口から手水が流れてくる造りになっています。

 

 

 

 

お楽しみの「花手水」。

今月は、写真にもあるバラがPRポイントだそうです。

 

 

 

 

 

 

狛犬の周りにも綺麗な花が。

花手水もそうだけど、見ていて癒されます。

 

 

 

このような物が置かれていました。

思ったよりも軽いか重いかで、願い事が早く叶うか遅く叶うかが分かれるそうです。

 

 

正直に言います。

思ったよりも重かったです。

でも、「願いが叶うのが遅い」と言っているだけで、叶うことには変わらないと思うので、日頃の行いをしっかりして、叶う日をしっかりと待っていたいと思います。

因みに、今回の願い事は、詳細は控えますが、再来年あたり叶うといいなと思っていることです。

 

 

この日は、境内で小さなマルシェが開催されていて、ハンドメイドの雑貨などが販売されていました。

 

 

 

 

 

 

毎度本当に圧倒されるお神籤の数。

願い事に適したお神籤を引くのが一番なんでしょうけど、どれもこれも魅力的に映ってしまって、願い事が何だったか忘れてしまいそうな気もします。

 

 

お神籤だけでなく、御守も豊富です。

サッカー御守なんてあるんですね。

そのうち、北海道日本ハムファイターズにあやかって、野球御守なんてのもできるかも。

 

 

 

 

最後は、可愛いヒヨコのキャラ。

鳥居をくぐってすぐの所にいますが、入って来る参拝客だけでなく、参拝を終えて出て行くお客さんのことも、優しく見送ってくれているように思います。

 

 

これから寒い季節になると見られる「シマエナガ」。

ぜひ一度、実物を間近で見てみたいです。

 

次回の札幌帰省は、法事のある12月中旬の予定だけど、このときは時間が取れないと思うので、年末年始の帰省時に参拝しようと思います。

初詣だと大変な混雑なので、終詣にしようかな。

 

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札幌市交通資料館~3~

2024-08-26 20:14:52 | 札幌

 

3回に亘った「札幌市交通資料館」の紹介。

最後は屋外の展示を紹介します。

 

 

昭和36年(1961年)に製造されたという2両連結車。

2両連結車は、現在も札幌や函館で見られますが、当時から既にあったんですね。

でも、この解説板を見ると、日中の閑散字には1両のみで運行していたということで、そちらの方が何だか便利な気がします。

今の2両連結車と違って車内では車両を相互に行き来できないということで、安全面でもそちらの方がいいような気がします。

 

 

 

同じく2両連結車ですが、「新琴似~北24条」という運行区間に魅かれました。

JR新琴似駅の側にあったという新琴似停留所跡地を散策したことがあったので、自分が物心つくまえに廃止された路線であるにも関わらず、何だか懐かしいとさえ思います。

 

 

市電跡地~新琴似~ - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

JR学園都市線の「新琴似」駅。地下鉄南北線の「麻生」駅からも近く、駅前には繁華街も広がっていて、賑わいのあるエリアの一つです。駅前には、このとおり「新琴似駅前」と...

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これは、現在も営業している「丸井今井」前を意味する停留所表記です。

公営交通が、このように民間企業の名前を停留所名に冠することは、当時も今も大変珍しいとされていますが、それくらい、「丸井さん」と呼ばれて札幌市民の生活に深く根差している「丸井今井」の影響力の強さが窺えます。

 

 

乗車可能だったので、中に入って見ました。

椅子やつり革の配置は現在と変わっていませんが、木製の床がやはりレトロ感があっていいなと思います。

 

 

これは、車掌さんの待機スペースでしょうかね。

 

 

 

日本唯一の低床式路面ディーゼル自動車。

北欧ムードと言われてもピンと来ませんが、意識して見るようにすれば、また見方が違ってくるように思います。

 

 

 

昔ながらの除雪車。

現在は「ササラ電車」が活躍中ですが、こちらが元祖だったんですね。

 

 

 

これもまた除雪車です。

実は札幌でも函館でも、「ササラ電車」を間近で見たことが一度もないのです。

大雪にはならないにこしたことはないけれど、一度見てみたいと思います。

 

 

続いては地下鉄。

これは、私が小学生の頃まで運行していた、懐かしい南北線の車両です。

 

 

現在は麻生までですが、かつては北24条が北端でした。

麻生まで延長されたのは私が4歳のときなので、北24条までだったときのことは記憶にありませんが、それでもやはり、先程の市電の新琴似までの区間と同様、なぜだか懐かしいと思ってしまうから不思議です。

 

 

 

そう、南北線の車両連結部分といえば、この丸みなんですよ。

小学生の頃は麻生駅が最寄りの場所に住んでいて、地下鉄といえば南北線だったので、その頃の記憶が一気に蘇ってきます。

 

 

車内広告も残っていました。

「ル・マキノ」というのは知りませんが、「maLsa」というのは懐かしい響きですね。

最近の若い人は知らないかもしれませんが、丸井今井の子会社が経営していた運営していたデパートです。

 

 

こういうのも、電車好きのお子さんにはたまらない魅力なんでしょうね。

 

 

これは見慣れない車両ですが・・・、

 

 

 

なるほど試験車両というのがあったんですね。

 

 

 

 

これも試験車両だそうで、石炭とかを運搬していそうな車両に見えてしまいますが、実際には、変電所新設に伴う電気運転及び転轍機の新設に伴うポイント走行の試験を行うことを目的としたもので、営業運転を想定したものとなっています。

 

ということで、ざっと3回に亘って紹介してきた「札幌市交通資料館」。

現在51歳の私も、小学生の頃に戻ったような気持ちで楽しむことができました。

また何かイベントでも開催されるときに、ぜひ行ってみようと思います。

 

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札幌市交通資料館~2~

2024-08-25 16:46:36 | 札幌

 

昨日の記事で、「札幌市交通資料館」が、お子さん(大人も?)の自由研究にオススメと書きましたが、現在の状況だけではなく、その歴史を調べてみることも、大変よい学習になると思います。

そんな歴史学習に最適なコーナーが、資料館の展示スペースにありました。

 

 

明治時代の札幌市内の交通。

最初は馬車鉄道からのスタートだったんですね。

1879年(明治2年)に、開拓使によって札幌本府の建設が進められましたが、1885年(同8年)には、石山での軟石の採掘が始められたのが大きなきっかけとなり、馬車鉄道の運行が開始されたというのがその始まりです。

その後徐々に路線が拡張され、1912年(明治45年)には「札幌市街馬車軌道株式会社」のもと、札幌区内の各地域に、馬50頭、馬鉄18台が常時運行していました。

 

 

 

続いて大正時代。

所謂「チンチン電車」の時代です。

1918年(大正7年)、中島公園で、開道50周年を記念する「大博覧会」が開催され、そのときに電車の運行が始まりました。

 

 

黄緑が、札幌駅前~中島公園の「停公線」の区間、青が南1条西15丁目~南1条東2丁目の「南1条線」、黒が、南4条西3丁目~南4条東3丁目の「南4条線」の区間です。

現在の「南1条通」は、かつて「銭函街道」と呼ばれ、小樽方面へ向けて整備された主要街道でした。

電車が最初に開通したということからも、地域における重要路線としての位置付けが窺えると思います。

 

 

南1条通の歴史 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

今日はいきなり地図の貼り付けから。市電の「西4丁目」から「西15丁目」までの停留所がある「南1条通」を、「西15丁目」停留所からやや西へ行った地点です。今では、...

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ここにも書かれていますが、札幌の市営交通には、地下鉄、電車の他に、かつては市営バスというのがありました。

高校生のときは、市営バスが主たる通学手段だったので、それが一番の思い出ですね。

 

札幌市営バス - Wikipedia

札幌市営バス - Wikipedia

 

 

 

この赤色の入った車体が特徴的でした。

2004年(平成16年)3月で廃止となってしまったことが、今更ながら残念でなりません。

 

 

藻岩山のロープウェイも、かつては市営だったんですね。

これは知らないという人も多いと思います。

因みに、函館山のロープウェイは、開業当初から民間事業者だったそうです。

 

 

そして、地下鉄の開業は1971年(昭和46年)。

南北線の、北24条~真駒内間です。

東西線は、1976年(同51年)に、琴似~白石間で開業し、東豊線は、1988年(同63年)に、栄町~豊水すすきの間で開業しています。

 

 

平成の札幌市営交通で思い出として残っているのは「ウィズユーカード」ですね。

これはプリペイドカードで、普通に改札口に入れて入退場できるんだけど、乗るときに、乗った駅名が裏面に表示されるので、全ての駅名が表示されるよう、コンプリートを目指して歩いていた人が多くいたそうです。

私もそれを考えてはいたのだけど、今から思えば、やっておいて、カードを記念に残しておけばよかったと後悔です。

 

可動式ホームの設置は2008年(平成20年)だったんですね。その頃は全道を転々としていて、札幌には年に数回しか帰っていなかったこともあり、可動式ホームも、いつの間にか設置されていたという印象しかありませんでした。

 

2015年に市電の新型車両導入と書かれていますが、この年には、西4丁目~すすきの間が結ばれてループ化されるという大きな出来事がありました。

よ~く見ると、小さい文字でそのことについて触れていますが、これは大きな文字で強調すべき出来事だと思います。

 

 

市電地下鉄開業50周年を過ぎ、これからの市営交通はどう変化し、どう市民生活(観光もか)と共存していくのでしょうか。

「未来をつくるのは、私たちです」の言葉を、しっかりと意識して利用していかねばなりませんね。

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