北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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函館西波止場

2024-08-31 16:22:26 | 函館

 

ベイエリアの「金森赤レンガ倉庫」の向かいに、「函館西波止場」という土産物店があります。

私個人的にもオススメのスポットです。

 

 

 

大きなオススメポイントとしては、海産物系のお土産が充実していること。

 

まずこちらは、いかを麺状に細く切り、醤油やつゆで味付けして、そうめんのように啜って食べる「いかソーメン」。

「函館港まつり」の名物「いか踊り」の歌詞にも、「函館名物いか踊り いか刺し 塩から いかソーメン」とあるくらい、函館の名物料理として位置づけられています。

 

 

近年、とりわけ今年は記録的なスルメイカの不漁に悩まされる函館ですが、イカを用いた製品のお土産としての人気の高さは揺らぐことがなさそうです。

 

 

イカの次はタコ。

「たこしゃぶ」というと、北海道では最北端の稚内の名物として知られているけれど、函館でもこうして製造販売されています。

 

 

「竹田食品」という、函館では有名な珍味メーカーの商品。

「松前漬け」や「三升漬け」は私も大好物です。

 

松前漬 | 函館・竹田食品

 

真いか三升漬 | 函館・竹田食品

 

 

函館から車で1時間ほどの所にある森町の名物「いかめし」が並んでいます。

 

 

 

単品でも売っています。

 

いかめし 北海道 | うちの郷土料理:農林水産省

 

 

海鮮系だけでなく、お菓子のコーナーも充実しています。

 

 

個人的にポイントが高いと思ったのが、道東帯広地方の有名なお菓子メーカー、「柳月」のコーナーがあること。

「柳月」は、かの「六花亭」と並ぶ帯広地方の有名なお菓子メーカーですが、「六花亭」は函館にもお店があるのに対し、「柳月」は函館には進出していないので、こうして大きな土産物店にコーナーがあるというのは、ファンとしてはありがたいのだろうなと思います。

 

 

 

レトルトカレーも多く並んでいます。

やはり人気は「五島軒」のカレーのようです。

 

 

 

海産物に戻りますが、昆布がこのようにして売られています。

2004年(平成16年)に合併して函館市のエリアとなった「南茅部町」は、利尻島や日高地方と並ぶ昆布の名産地で、特に「白口浜真昆布(函館真昆布)」は最高級の品質とされ、松前藩が朝廷や幕府に上納していたことから、「献上昆布」といわれていました。

それが、現在でもこうして名前が残されているということです。

 

 

最後に、こちらはお店の入口にある自動販売機。

一見、クマのデザインかと思ってしまうかもしれませんが、「ごっこ」という魚をデザインしたものです。

我が家でも、冬になると食卓に上る、冬の風物詩とも言える魚です。

 

 

ごっこ | 自然の恵み旬食材 | おいしい函館

 

 

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函館常備倉跡

2024-08-30 20:20:21 | 函館

 

今や国内有数の観光地となっている函館は、必然的にというかホテルの激戦区にもなっており、どこのホテルも、個性的というか、他にはない特色を前面に出して、宿泊客の獲得競争がし烈になっています。

 

 

ベイエリアにある「LA VISTA 函館ベイ」というホテル。

ここは、朝食が美味しくてボリュームがあることで知られ、「朝食が美味しいホテル」で、過去に7年連続北海道で1位に輝いたことがあり、観光客はもとより、函館市民も、その朝食を求めてわざわざ泊まりに行くくらいの人気のホテルです。

だけど、今日は残念ながら、その朝食の話題ではありません。ごめんなさい。

 

 

 

 

すぐ近くにある「金森赤レンガ倉庫」の陰に隠れるような形になってしまっていて、通行型の観光や、ましてや歴史散歩の舞台としてはそれほど注目されていない場所ではありますが、実はこのホテルの現在地には、開拓使が、災害時・非常時の備米(そなえまい)を貯蔵する目的で建設した「常備倉」という倉庫がありました。

昨今、災害を想定した備蓄の大切さが広く呼びかけられていますが、開拓使の時代からそのような取り組みが進められていたということは初めて知りました。

開拓使が設置され、多くの農民が入植する中にあって「蝦夷地」から「北海道」となった北の大地の開拓が進められていきましたが、本州とはレベル違いの寒さ、オオカミやヒグマなどとの戦いなど、厳しい自然に屈する人も多く出たそうです。

そんな状況の中、開拓使が災害時、非常時の救済のために、備米を貯蔵する目的で、道内各地に「常備倉」が建てられたということです。

解説板にもありますが、函館の常備倉は、1万石の常備を目標に、当時としては珍しかったレンガ造りで建てられました。

建築に当たっては、現在の北斗市茂辺地にあった「茂辺地煉瓦石製造所」のレンガが用いられました。この製造所のレンガが用いられた建物は、他には、「元町公園」にある「旧開拓使函館支庁書籍庫」などがあります。

 

 

元町公園 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

歴史的建造物が立ち並ぶ「西部地区」にある「元町公園」。今では市民や観光客の憩いの場ですが、函館(箱館)の行政上の歴史が凝縮されている場所ということで、歴史散策コ...

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開拓使廃止後、常備倉は、当時の函館区に引き継がれた後、函館にも進出していた、かの安田財閥に引き継がれることとなりました。

ホテルの1階には、安田財閥と倉庫の歴史が紹介されているギャラリーがあります。

 

 

 

 

 

 

この写真は、「まちセン」こと「函館市地域交流まちづくりセンター」の階段の途中に展示されていて、まちセンを起点にガイドをするときには、この写真を見ながら、写真が撮影された明治15年(1882年)当時の函館について、お客様に解説するようにしています。

 

 

先程の地図でもわかると思いますが、「金森赤レンガ倉庫」よりも、少しJR函館駅寄りの方です。

 

 

同じ茂辺地製レンガを用いている建物の紹介もあります。

 

 

解体される前の安田財閥の倉庫の写真がありました。

何となくだけど、釧路にある「浪花町十六番倉庫」という赤レンガ倉庫と似た雰囲気があるなと感じます。

 

 

釧路にもあった煉瓦倉庫 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

釧路市中心部に「浪花町」という地域があります。場所はこちらですが、この地域は、幹線道路として、現在の一般国道38号に当たる道路が通じていたことから、昭和7年(1...

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豪華な造りの館内にあって、倉庫だった時代の木造小屋組の一部がそのまま残されている場所があります。

解説がなければ目に留まることもなさそうな気がしますが、貴重な歴史資源だと思います。

 

 

 

 

「旧開拓使函館支庁書籍庫」の赤レンガと同様、製造年が刻まれた刻印が残っています。

この場所は、「はこだて検定」のテキストでも取り上げられていないこともあり、以前函館にいたときから全く何も知りませんでした。

今回も、何気なくぶらりと歩いていて、このような歴史のある場所であったことを知った次第です。

同じような場所が、きっと他にもあると思います。これもまた、町ブラの醍醐味と言っていいでしょう。

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郵便料金値上げ

2024-08-29 19:46:28 | 気になるコト

 

あと1か月なんですねえ・・・。

プライベートではそんなに使わないけれど、仕事では、郵便料金を加味して諸費用を積算する場面があったりするので、切り替えに伴う注意点を記載した通達が先週当たりから下りてきています。

最初は混乱するかもしれないけど、慣れて行かなければいけないのでしょうね。

 

 

なるほど、差額に対応する新しい額面の切手ができるんですね。

私は今のところ、84円切手を2枚持っているのだけど、9月中には使い切らないと思うので、26円切手を1枚購入する機会があると思います。

購入したら紹介したいと思います。

 

昨日の記事で、郵便制度創設者の「前島密」について触れましたが、実は私、小学校の頃に切手収集が趣味だったことがあり、当時(40年前)収集したのが、今でも自宅の書棚にあります。

親からは「売ったら?」と言われたこともあるのだけど、今のところまだその気にはなれないかな。

その以前に、かなりしばらく開いていないので、今度自宅に戻ったら久しぶりに開いてみようと思います。

 

現行の84円切手も色々なデザインがありますが、未だに続いている(今年の秋で丸23年)ペンフレンドとの文通では、私が毎回同じ切手なのに対し、向こうは毎回違うデザインなので、次はどんなかなというのも楽しみだったりしてます。

4月に私が函館に来てからだけでも、こんなデザインの切手で手紙が送られてきました。

 

 

 

 

何かのシリーズものなんだろうなと思います。

秋以降も当然続けるつもりなので、今の84円切手を使い切ったら、私も何かシリーズものの110円切手を買ってみようかなと思います。

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諸術調所跡

2024-08-28 20:10:07 | 函館

今回の記事で、「函館」カテゴリの記事数が、「500」になりました。

函館にいる間はできる限りネタを作って更新していこうと思いますので、お付き合いただけるとありがたいです。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

(最初の「函館」カテゴリはこの記事)

 

津軽海峡と岬 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

昨日のラストで触れたとおり、今日から函館名所巡りを開始しました。「函館」というカテゴリも新設したので、不定期ですが、函館の名所を紹介していきます。まずは、函館市...

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五稜郭について紹介したときに触れていました、五稜郭の設計者である「武田斐三郎(あやさぶろう)」という人物の顕彰碑。

 

 

「東洋のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼ばれたほど、幅広い分野、学問に精通していた人物であったことから、それにあやかって、この碑の頭を撫でると頭が良くなるという、言い伝えというか都市伝説というかという話が広まり、ここを訪れる観光客が、かなりの高確率で、頭(だけでなく顔も)を撫でていくことから、このように照り輝いているものと言われています。

しかし、箱館におけるこの人物に関するエピソードは、これだけではありません。

 

 

「基坂」を上り、「ペリー広場」の手前辺りに、こんな解説板があります。

 

 

解説板のとおり、幕末の頃、「諸術調所」という学問所が、この場所にありました。

「武田斐三郎」は、大洲藩、現在の愛媛県の出身で、福沢諭吉や大村益次郎が学んだ、緒方洪庵の「適塾」で学び、幕府にその才能を認められ、箱館奉行に随行して、蝦夷・樺太を巡検し、箱館にペリーが来港したときには、オランダ語で通訳を務めました。

「日米和親条約」締結により開港された箱館においては、多数の外国船、外国人が来訪し、外国人によって多くの洋書がもたらされ、洋学への関心も高かまっていきましたが、そうした状況の中で、箱館奉行の申請により、1856年、幕府肝いりの研究教育機関として、「諸術調所」という学問所が箱館に開設されました。

その「諸術調所」で教授を務めていたのがこの「武田斐三郎」で、蘭学、測量、航海、造船、砲術、築城、化学を1人で教えていました。

それまでの学問所と異なり、身分(士農工商)に関わらず誰でも門を叩くことができ、また、机上の学問だけでなく実地を学ぶことができたことから、全国様々な地域から学問を志す若者があつまり、数多くの優秀な人材を輩出しました。

門下生としては、郵便制度創設者で、現在も1円切手の肖像であり続けている「前島密」、日本の鉄道制度の創設者である「井上勝」、日銀総裁を務めた「吉原重俊」、開拓使船長となった「蛭子末次郎」などがいます。

後に同志社大学をを創設した「新島襄」も入学目当てで箱館に来たものの、折悪く武田が江戸へ行っていたために、ロシア領事館に身を寄せて、それがきっかけで、国禁を犯して渡米することとなったと言われています。

しかし、その歴史は長くは続かず、1864年、武田が、江戸の学問所「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」の教授として転出しために、わずか8年で廃止となってしまいました。

この「蕃書調所」は、現在の東京大学のルーツとなっていることから、もし、武田が江戸へ赴任した後も「諸術調所」が存続していたら、あるいは函館にも帝国大学(北海道で言えば「北海道大学」)が開設されていたかもしれないと言われています。

 

 

 

「諸術調所」は、元々は五稜郭に設置される計画でしたが、様々な事情から、この地にあった、武田の役宅の隣に設置されました。

その跡地は、かつては「市立函館病院」が建っていましたが、現在は大型バスの駐車場として活用されています。

 

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凄い声量だ・・・

2024-08-27 19:49:04 | 女性アナウンサー・アイドル・タレント

 

こんなイベントがあったんですね。

HTBだけでなく、道内全局の中でも恐らく一番ではないかと思える(個人的にです)元気印の女子アナ、室岡里美アナが堂々の優勝、素晴らしいです。

 

 

HTBアナウンサーズ

室岡 里美アナウンサー

 

 

それにしても凄い声量ですね。出そうと思ってもそうそう出せないレベルだと思います。

日頃の発生練習と実践の賜物なのでしょうかね。

大声のセリフは、「onちゃんみたいに愛されたい」ですか。

いやいや、もう十分愛されてると思いますよ室岡アナは。

今年春に退職した、元同期のアナウンサー、高橋春花さんが「むろたん」と呼んでいたことから、ファンの人たちも自然とそう呼ぶようになったみたいですが、ニックネームからイメージされるような可愛らしい一面もさることながら、元気で率直で裏表がなさそうな人柄が、愛されている秘訣なんだと思います。

もうすぐ「イチモ二!」から「イチオシ!!」に移って一年になるけれど、室岡アナに元気をもらえるという理由で「イチオシ!!」を見ているという人もきっと多いのではないかと思います。

これからも更なるご活躍を期待したいですね。

ということで、今日もこれから、録画した「イチオシ!!」を見ますが、今日は野球中継の関係で、17時台までで終わりとのこと。

ちょっと寂しいけど、昨日は録画予約をし忘れたので(オイオイ)、しっかり楽しませていただこうと思います。

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