審判の判定を巡る問題は、どんな競技にもつきものである。サッカーだって然り。接触プレーが多い分、判定とその判定に対する抗議は、他の競技以上にシビアな問題かもしれない。どんな試合を観ていても感じるのは、審判への抗議ほど愚行はないということ。プレーヤーとして、自分は絶対やらないように心がけている。アマチュアの場合、特に下手な審判に対してはそういう配慮が必要になる。抗議を受けると余計に萎縮してしまう場合が多いから。確かに首を傾げたくなるような判定を受けることもある。でも、相手チームだってそういう判定を受ける可能性もあるわけで、そう考えると公平であることには変わりない。
先日、メジャーリーグでデトロイト・タイガースのアルマンド・ガララーガ投手が、9回2死から誤審によって完全試合を逃すという出来事があった。注目すべきは、達成されなかった記録の偉大さや、ビデオ判定の導入云々といったことではもちろんない。誤審によって大記録の達成を阻まれた本人、ガララーガ投手の言動である。あの状況で損得勘定なんかできっこないので、これが彼の本心なのだろうと思う。もし自分が彼の立場だったら、はたしてこういうことが言えるだろうか?プレーヤーとしての度量が試される瞬間である。あらゆる競技の全てのプレーヤーに一石を投じた彼の言動は、完全試合以上の価値がある。偉業は形を変えて達成されたのだ。
「誰にでも間違いはある。彼はシャワーも浴びずに謝罪に来てくれた。称えるべきことだと思う。誰も完全ではない」
先日、メジャーリーグでデトロイト・タイガースのアルマンド・ガララーガ投手が、9回2死から誤審によって完全試合を逃すという出来事があった。注目すべきは、達成されなかった記録の偉大さや、ビデオ判定の導入云々といったことではもちろんない。誤審によって大記録の達成を阻まれた本人、ガララーガ投手の言動である。あの状況で損得勘定なんかできっこないので、これが彼の本心なのだろうと思う。もし自分が彼の立場だったら、はたしてこういうことが言えるだろうか?プレーヤーとしての度量が試される瞬間である。あらゆる競技の全てのプレーヤーに一石を投じた彼の言動は、完全試合以上の価値がある。偉業は形を変えて達成されたのだ。
「誰にでも間違いはある。彼はシャワーも浴びずに謝罪に来てくれた。称えるべきことだと思う。誰も完全ではない」