龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

ブログの表紙にしている馬の写真は阿蘇です。

2015年09月15日 21時33分39秒 | 観光
阿蘇山が大規模な噴火をしているという。

ブログの表紙に阿蘇旅行の時の馬の写真を使っていることからも分かるように、私は

「下手の阿蘇好き」

めいた阿蘇ファンである。

夏目漱石の小説『二百十日』

や、

三好達治の詩『大阿蘇』

を読んでから、ずっと行きたいと思っていた。数年前、ロードスター購入を機に、思い切って福島県から熊本県まで往復4000キロほどの旅をした、そのときとった写真だ。

こういうことを書くと、本当に不謹慎だと思われそうだが、火山は噴火するものである。

だから、噴火そのものはそんなに驚くべき事象ではない。少なくても日本に居住している以上、それが私の住む会津磐梯山であれ吾妻山であれ、過去に大規模な噴火もしているし、被害も出ているしまた、現在警戒レベル2の指定がなされていたりもする。
桜島の噴火が生活の中に入ってしまっている鹿児島の方々の「覚悟」というかその日常とは比べるべくもないが、しかし、いつか大きな噴火があるということは日本に住む限り、それなりに「考慮」しておかねばならない。

ただ、箱根の温泉の例を見ても分かるように、その幾分かの危険をはらんだ火山こそが観光資源それ自体だったり、温泉を生み出す源であったりもするから悩ましい。私が大好きな阿蘇の美しい風景も、清らかな湧き水も、間違いなく活火山が作った環境なのだろう。

私は勝手に、退職したら弘前か阿蘇に住みたいという妄想を抱いてきた。
今でもそれは変わっていない。

もう一カ所住んでもいいな、と思っていたのは福島県双葉郡の夜ノ森(浜通り有数の桜の名所がある)だが、これはちょっと無理かも知れないが。

現在阿蘇にお住まいの方はとても大変だろうと察する。
何かできること、必要なことがあったら、支援もしたい。

火山はそれにしても、噴火するものであり、それを押しとどめる力を現在のところ、そして私が生きている間は持たないままだろう。

であるとするならば、どうやって付き合っていくか、の準備と覚悟が大切になる。
覚悟だけではいけないだろうし、準備をしていれば対応しきれる、というものでもない。

東日本大震災と原発事故以降、災害について(考えても仕方の無いかもしれないようなことまでふくめていろいろと)考えるようになった。

阿蘇の噴火がどうか被害を大きくせずに収まってくれることを心から祈る。

同時に、それでもその火山列島の中で生きていくのが日本だ、ということも改めてつくづくと思う。津波も噴火も長い期間を取って観れば避けられない。

私たちの自然観、人生観にそういうことが影響を与えているのかいないのか。



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2015年05月16日 23時08分57秒 | 観光
本当に勘弁してほしい。

私は人を殺したくない。
自分の国であろうが、他国であろうが、国であろうが別の集団であろうが、とにかく人を殺すのが嫌である。殺さなければ殺される、という状況もイヤだ。単に殺される、というのもイヤだが。

中村哲さんの言葉

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/150317/index.html

が胸に染みる。



THE NEXT GENERATION-パトレイバー-を観始めた。誰が観るんだろう、と疑問になる、私は面白いんだけど。

2015年05月16日 22時21分37秒 | 観光

『THE NEXT GENERATION-パトレイバー-』

を7巻いっぺんに借りてきた。

押井守が実写でパトレイバーの三代目(10数年後)を描いたもの。

アニメの自作を実写で模倣&反復していくテイストなんだけど、既視感が先に立って全然面白くないっていう瞬間と、アニメを人間がなぞる「ひどさ」がメチャメチャ面白いって瞬間が「私」の中で交錯しつつ、視聴が進行していく。

もし押井守が気になるなら、必視の作品。

なんだ、『うる星やつら』や『機動警察パトレイバー』のアニメと同じじゃん、って感じもある。まあ「押井守ワールド」を実写でやっちまってるわけですから当然といえば当然。

でも、面白い。
結構面倒くさいが、付き合ってみたくなる。

と同時に、これ、誰が面白いと思うんだろう、とふと思う。

そういえば

『図書館の魔女』高田大介

の時も同じ感想を持った。

どちらも私にとっては問題なく面白いんですが、ね。
それを誰と共有すればいいのだろう。

それも時代かな。自分が懐旧的になったり同じ趣味を反復しているだけになっているのなら、それもしょうがない。時代が既視感を抱え込みだしているのなら、それと付き合うことになるのだろう。

あの押井守がなんでこんなものを作ったのかね。

とりあえず、全巻観ます(笑)


地域興しの切り札

2015年05月04日 23時12分11秒 | 観光
夷隅郡大多喜町を訪ねたところ、
「本田忠勝を大河ドラマに」
という幟が町中に立っていた。

香取市の佐原にいったら、今度は
「伊能忠敬を大河ドラマに」
という幟が。

視聴率衰えたりといえども、田舎の町おこしの切り札として「大河ドラマ」は神通力を失っていないのだなあ、としみじみ。

また、養老渓谷をドライブしていたら、

「アートいちはら2015春」

というイベントに出会った。

廃校になった旧里見小学校・月出小学校や、地元の美術館など複数の海上でアートイベントを行うというもの。

新潟の妻有などでは大規模に行われているし、地元福島県いわき市の田人町でも村全体が、アートの会場になるイベントが続けられている。

自分たちの町の歴史を守りかつ新たな企画も立ち上げながら自分たちの町を動かしていこうとするのは大変でもあるのだろうけれど、実際私たちは「観光」というかあたかも「事故」のようにそういうイベントと様々な、形で出会っていくのが楽しい。

道の駅も何十となく訪れているが、人が集まっていくのには、それだけの理由がある、との印象を持つ。

確かに名所を確認に行くのが長らく私たちの「観光」だったし、今もそれは大筋変わらないのかもしれない。
でも、私たちは「歌枕」の確認作業だけをしに旅行をしているわけでもないだろう。

どこかで何かと、誰かと出会っていくこと。

時には「るるぶ」や「まっぷる」、あるいはネットでの観光案内に身をゆだねたりもしつつ、しかしそんなことだけではなく、ふらっと訪れた街や山が、意外な相貌を見せてくれる瞬間があって、だから旅は止められないわけで。

たとえきっかけはマニュアルからはじまった旅だとしても、ふと目に飛び込んできたり、知人に教えられたり、朝市で地元の人の話を小耳に挟んだり……新鮮な野菜、伝統の行事、できたての食べ物、作りたてのアートを前にすれば自然と会話も弾む。

そして、話を聴いたあとなら、大河ドラマを望む地元の人の気持ちもちょっぴり分かってくる。

ものの本によれば、地方は「消滅」する、のだという。

でも、そういうまとめ方は本を売ったり予算をつけたりするのには便利なのだろうけれど、別に地方はそんなに大々的に栄えなくてもいい、と思っていると思うなあ。
人の生活が完全に消滅するまでは、そこに町や村は、あり続けるだろう。そしてその生活の営みは、そう簡単にはなるなるまい。
お店屋さんのシャッターが下りることはあるだろう。温泉街の旅館が廃業することも有るかもしれない。
でも、じゃあ湯治場が一軒そこにあるだけでは、だめなのか?
道路と電気というインフラの維持のために、どれだけの人数と税収が必要なのだろう?

新しく道を作る計算ではなくて、どんな風に補修しながら持続が可能なのか。

千葉県の小さな町や村を二泊三日で旅しながら、
「千葉の田舎の山の舗装道路は福島に比べて狭い」

という印象を抱きつつ、道路さえつながっていれば、何とかなるのではないか、とも思った。

もちろん地方の集落にとって道路の整備は両刃の刃でもある。

消費を地元ではないどこか別のところにある中核都市や、その郊外のショッピングモールに吸い取られてしまいかねない。

道路一つとってもそうなのだから、雇用の問題も難しい。
役場に勤められないから、地元に雇用がないから、若者が出て行く、という声に応えて役場の職員募集を増やしたが、応募がないという結果が、という話も奥会津では聴いた。

山村が栄える特効薬など、おそらく存在しない。しかし、自分たちがずっと住んできた、そして住み続けている村や町について考えることは、おそらく自然なことだ。

そういう自然さを、おそらく地方小都市のサラリーマン子弟の末裔である私は持ち得ていない。







『督促OL修行日記』榎本まみ 文春文庫 が面白い。

2015年05月01日 07時00分00秒 | 観光
『督促OL修行日記』榎本まみ 文春文庫 が面白い。

カード会社の督促コールセンターに配属された気弱な新入社員のOLが書いた、実録。

めちゃめちゃ面白いです。下手な自己啓発とか能力開発の本よりよほど読ませる。

つまり、自己啓発とか能力開発の本は、ほとんどその手法が間違っているわけです。
「言葉」が大切、といっているのに説教じみている本が世の中にはたくさんあって、そういうノウハウ本ってだいたい信用がおけないわけです。この本は、そういうものを適切に相対化できている。


普通は、結局上から目線でノウハウを持っているのは私だ、と読者を脅すしか能がない本(や講座や講演会)が多いわけですね。

ところがこの本は、世間からブラックと思われてきたカード会社のキャッシングの延滞督促という現場に、最弱のOLが放り込まれたという状況から語り出されるため、業界営業路線からいっても、OL成長物語路線からみても、あるいは実際に(潜在的にではあっても)督促をされる読者の側からいっても、決して説教じみていない、リアルとして受け止めることができる。

そう、この本の文章自体「督促」のノウハウの感触を伝えているという意味でも秀逸なのです。テーマ・素材・文体が響き合っている、というか。

対人感情労働をしている方には圧倒的にお薦めの1冊。




別にこれを読んだからといって、苦手な「感情労働」が「あっという間に」得意になるわけじゃござんせんが、「ほっ」と一息つけることは請け合います。

後半、自尊心はビジネス講座を受けるビルの下に埋めた、という記述があって、ちょっと切なくなります。

善し悪しとは別に「感情労働」は生活の中で普通に育ててきた自尊心はどこかに置いておかなければ成立しない、ということでしょう。
さりげなく書いてあるこの記述に「さもありなん」と腑に落ちました。

とはいえ、 単純な業界内情の閲覧本としても楽しく読めます。

腰巻き惹句と解説が佐藤優、というのもいいですね。督促も有る意味では「インテリジェント」=情報・交渉術でもあるわけでしょうから。

文庫で550円(税別)。1時間弱で読めちゃいます。
読む本に困ったら、ぜひ。




読むべし、國分功一郎『近代政治哲学-自然・主権・行政』ちくま新書

2015年04月13日 22時16分17秒 | 観光
ちくま新書から

國分功一郎『近代政治哲学-自然・主権・行政』

が刊行されました。

これがメチャメチャ面白いんです。
まあ、國分先生のファンである私の言うことだから2割引ぐらいで考えてもらっていいんですけれど、それでも私の中では今年の上四半期ベスト3に入ります。

1位は佐藤正午『鳩の撃退法』(上下)
2位は上村菜穗子『鹿の王』(上下)
3位が國分功一郎『近代政治哲学』

かな。他に何を読んだかあまり覚えていなかったりするんですが(笑)。

あ、でも今読んでいる最中の牧野英二さんの『カントを読む』も楽しい本です。
山内志朗氏の『哲学の誤読』も読み中ですが、例によって『普遍論争』でもおなじみの山内節の抑揚についていけていません。

やっていることはスコトゥスの「存在の一義性」におけるドゥルーズの誤読とか、なんだか面白そうな内容なんですが、さっぱり要領を得ない。

わざと難しく書いている、というのとは違うのは分かるんだけれど、こちらの教養不足は当然としても、それだけじゃなくてその屈曲した文体に「んー!」てなります(笑)。

レオ・シュトラウスの『自然権と歴史』はとっても面白いし、國分さんの講座がベースにあるので理解しやすいけれど、もはや古典扱いだから別格。

というわけで、とりあえず『近代政治哲学』のお話。

ジョン・ボダン→ホッブズ→スピノザ→(ロック)→ルソー→ヒューム→カント

という流れで近代の政治哲学における「自然権」と「主権」について明確な道筋をつけようとする1冊。新書ですから、初学者(まえがきによれば大学1年生対象の講座が基になっているとのこと)にとっても読みやすく、きわめて明快です。

とくに、ホッブズからスピノザへのところと、ルソーからヒュームのところは、個人的に國分先生のスピノザ講座とドゥルーズ講座(&学会発表)の内容から記憶している断片を当てはめていくことができるので、ちょっとした「ライブ」の快楽を感じてしまいました。

ホッブズでよく早わかりでも解説される

希望の平等(みんな似たようなものだ)から自然状態=戦争状態が導き出され、だから「せーの」でその「自然権」(國分せんせによれば「自由という事実」)を放棄(lay down:銃を床に置く、などの意味)して権力を一人の人間もしくは合議体に譲渡する。

という道筋も、

その「設立のコモンウェルス」はむしろホッブズのテキストに内在する論理に従うなら後付けの方便であって、

銃を突きつけられて従うか命を奪うか、と迫られた時、その契約は有効だ

というところから導かれる獲得のコモンウェルスこそがホッブズの権力生成の論理だ、と解説する國分先生の「読み」は、そこからスピノザの書簡にある有名な、
「ホッブズと私の違いは、自然権は放棄できないということです」
につながっていきます。

つまり、自然権が自由という事実なら、放棄などできない、ただlay downしているだけだ、というのですね。

國分先生の論では、そこでホッブズがスピノザにつながっていくのですが、このあたりはホッブズの専門家にも話をちょっと聴いてみたいところです。

確かに自然権を「せーの」で放棄して権力をゆだねるっていう図式よりも、銃をつきつけられたら言うことをきくしかないよね、そうやって国ができたんだから、しょうがないじゃん、っていうことを後から理論づけるための「設立のコモンウェルス」だよっていう説明の方が、腑に落ちる感じはしますけど。

スピノザを近代政治哲学の流れの中に明確に位置づけて論じてもらえたこの本は、個人的には本当にありがたいものでした。

あとはヒュームのところの読みがちょっと個人的には「なーるほど!」だったんですがそれはまた後で。


とりあえず、めちゃめちゃお薦めです。ぜひどうぞ。
特に、私のように政治哲学素人っていう人は、とりあえずの見取り図、考える手がかりとして最適なんじゃないかなあ。

佐藤優×柳澤協二「安保法制の問題点」(3)終

2015年04月05日 11時11分17秒 | 観光
柳澤、佐藤両氏の報告が終わって、質疑応答に。
まず司会からの質問。

佐藤優氏は公明党が頑張っている、と述べている。創価学会と平和主義の関係と集団安全保障の関わりを聞きたい。
また、与党合意がある。今後閣議決定を守れるのか、守られそうにないのか?

佐藤優
木村草太氏が、集団的自衛権についていっていること に、見るべきものがある。

創価学会と平和主義ということでいえば、
2015年11月、創価学会で重要な決定があった。先月教学部の解説が(聖教新聞に?)に載っていた。
そこにあるのは、創価学会が世界宗教になる、ということだ。たとえば、中国でも(いずれ5000万~1億人ぐらいになるだろう。
そして、政教分離でいえび、公明党と学会は明らかに近づいている。そういう意味で学会は歯止めになる、と評価している。


たとえば、『新・人間革命』にこんな話がある。

戦争で人を殺したくない、と第二次大戦中に信者が思ったとき、「お題目を唱えなさい」という教えに従った。すると大砲が壊れて撃てなくなった。その結果1人も人を殺さずに済んだ、と。

まあそれだけをとると「奇蹟かっ!?」ということになってしまうけれども、これはいわば


存在論的平和主義

とでもいうべきだろう。今いる場で何ができるか。ある意味では、むしろ良心的兵役拒否は、別の「精鋭」が戦場にいくだけだ。そうではなく、

今いる場で何ができるか。

それは迎合しているようにみえるが。

柳澤

与党合意というが、結局何も協議していない。話を詰めるつもりもない。公明党は統一地方選まではそんなことをなるはずがない。

終わってから法案がでたときに考える、というつもりだろう。

そして、実質は何も決まらないまま法律は通るんだろう。

その後どうするの?という話しだ。
それで終わりじゃない。

おかしいことはおかしい、と言わなければならない。

そういう意味で公明党は歯止めになっていないとおもう。公明党は妥協している(だけだ)。

個別的自衛権→集団的自衛権

この変化は「独り歩き」をはじめるだろう。

それなのに政府にフリーハンドを与えていいのか?、公明党は不真面目だ。

法案が通ってから、大変なことが始まる。


佐藤優

いいたいことをいわせているだけ、という公明党の役割はある。

 安倍首相の、
個別的自衛権ということばを否定して集団的自衛権にする(ことだま)の要求を満たしただけ。

一発の弾も中東で撃たない選択はある。

逆に、民主党には、集団的自衛権の賛成派と反対派が両方いて、だから民主党を代表した「話者」が信頼されていない。

安倍は自分の思っていることを正直に言っている。つまり、ことばの信頼性はある。

公明党にも言葉の信頼性はある。

社民党と共産党は、現実性の問題があるね。



司会(猿田)
私は法律家だからかもしれませんが、法律の条文にこだわるところがあるんですけれども。

佐藤優
私も13年前なら、猿田さんと同じ意見でした。しかし、私は有罪になった人間です(笑)
本来公共圏には出てこれない。

法というものがどういうものか、拘置所でそして事実を曲げてでも真実を追求する検事との取り調べで私は考えた。

そこでインテグリティとか、宗教者のあり方とが、皮膚感覚で心に届くためには、ということを考えるようになった。

柳澤

安全保障の議論は、世界観・国家観があって、日本はこうあるべき、というそこで考えるというのかあるべき。
つまり、そこでリスクを説明するべきだ。

それなのに、(安倍首相の)心の満足のためにやっていることがなぜ通ってしまうのか?
それを阻止するのは国民だ。

私はイラク以上のことをやってはいけない、という考えだ。
(様々な考えはあると思うが)とのポイントで多くの声を集めて政権批判するのかが大切。

(今の状況は)民主主義の成熟がなっていない。戦争の基準を勝手に決められてはだめ!
それでは法治国家ではない。

今はいろいろな問題が問われている。
それぞれが原点を持って、しかし同時にどこで政権を止めるのか。
止められないかもしれないが、落胆しないでいきながくやっていくことが必要。

佐藤優

立場が違うと、官僚は言えない。
心にぐっと来ても自分の意見を言えない、それが完了。
沖縄の仲井真知事はなぜ追い込まれていったのか、を考えることが重要。
柳澤さんには、折り合いをつけていく強さがある。

質問に答えて
1,自衛隊が29人自殺している。民間人殺傷の危険もある。憲法違反では?「リスクがあるようなことはしない」という答弁があったが、それは考えられないのではないか?

2,目ティアと政府の関係は?

3,容認派には、アメリカに役に立つと思われなければいられないということがあるのではないか?



1,について、
どこまで民間かも分からない、そういうことが常識的に危険としてそこにある、というならまだ分かるが、それすらないのが問題。

3,アメリカの国益についていえば、米軍基地が日本にあるだけで十分。
日本独自の道で外交をすることが尊敬される道だろう。

佐藤
今は内閣法制局=公明党



外務省=(官邸?)

のタッグマッチ。
ミクロの権力維持については、官邸は細心の注意を払っている。人事でそれを押さえてもいる。

マスコミはたんなるメディア。

私の場合も、マスコミに腹も立たないわけではないが、基本は外務省と検察が情報を流した。

そこでスピンコントロールしている。
ただし、マスコミには危機感がある。インターネットも意識している。

信頼が重要だ。人は、多少裏切られてもプライドがあるから、簡単には不信に陥らない。なぜなら、いったん信じてしまった自分が惨めになるから。
だから、ちょっと裏切られたぐらいなら信頼し続ける。

これが壊れたときは本当に大変なことになる。

会場質問(つづき) 

(自衛隊は)いつ出て行くのか?何を考えていけばいいのか?

柳澤
西太平洋・東シナ海・東シナ海・南沙諸島は既に緊張している。
米中もルールを作る努力をしている。
漁民とかはべつとして、中国海軍自体は動いていない。アメリかもストレートには動けない。どこまでいったら本気なのかがわかっていない。

動く理由はシーレーン、資源などいろいろあるだろうが、米中は戦争の敷居を上げようとしている。
そこで日本がアメリカの後方支援をする意味がどこにあるのか?

中国のミサイルはアメリカにはとどかない。日本には届く。誰が最初に殴られるのかは明白。

佐藤

日本の弱点を考えようよ。
異相を変えることが大切。
尖閣で何が起きるか。
尖閣は明らかに日本以前に沖縄だった。現在地、中国では尖閣は台湾省の区域。

だから、ローカル名問題として台湾と沖縄の問題にすれば位相が変わる。
地方レベルでやれることはある。
石原慎太郎のときは言ってるだけだった。
猪瀬は金を集めた。これはまずい。お金が動くと位相が変わる。そういうことが重要。
沖縄が(部分的な)外交権を持つ、ということはありえる。

会場質問(つづき)山梨大の宮川さん

・公明党ばかりここ数年普通の政党になってしまったのでは?
・米軍再編と安保法制のかんけいは?
・翁長知事と菅官房長官の会見はどうなる?
・そして最後に一言。


柳澤
・米軍再編と安保法制は別のものだ。アメリカの財政の問題。集団的自衛権とは全く別のものだ。

最後に、本質的なことは、出てくる法律は納得できるのか?、だ。
納得出来なければ声を一つにしていく必要がある。

佐藤優
今も普通ではなく学会と党はつながっているとおもう。

翁長知事と菅官房長官の会見は、お互いの違いを確認することになるだろう。
ただ、県の代表と会うのだから、県庁で会ってしい。沖縄の記者も、冒頭取材とかブリーフィング方式とかでやろう、と言った方がいい。

国家レベルだけではなく、中間領域(団体戦)のところで考えていくのが大切。

(つるし上げにならないように、ということか?)

 以上、こんな感じでした。
話者が違ってたりするかもです。あくまで個人メモですぅ。






佐藤正午『鳩の撃退法(上・下)』、ただいま下巻の半分まで。

2015年02月09日 21時49分08秒 | 観光
佐藤正午という作家の小説は、どうにも説明しがたい。

物語の筋を説明することはできなくもないような気もするのだが、そんなことをしてみてどうなるのだ、と登場人物で(も)ある「小説家」から早手回しに手を禁じられているようなもので、「作中で小説を書いている小説家」を書いている小説というのは歴史的にそんなに珍しいわけでもなく、確かにメタフィクションは好きだけれども、小説の書き手が小説内に投入されていればそれでおもしろがれる、という底のものでもない。

まあ、読んでみた方がいいか読まない方がいいか、といえば、小説好きなら読んだ方がいい、と思う。
物語というかストーリーの展開が好きな人にとっては、どうだろう?
いらいらしちゃうかなあ。でも、佐藤正午を1作でも読んだことがあれば、そしてそれを面白いと思ったことがあるとすれば、これは必読の一冊、でしょう。

出来事がすらすらと連続して「息をもつかせぬ」という種類の小説ではないから、そこは難しいといえば難しい。
しかし、息をつく暇もないほどだ、といえば息をつく暇もないほど、なんでもなさそうなことを「読ませる」のである。

さて、早く最後1/4を読まないと夜寝られなくなってしまう……。

とりあえず、ここまででいえば「かなり」面白いです。

G-SHOCK GULFMASTERの短針が動く件(しつこい<笑>)

2015年01月24日 17時03分25秒 | 観光
定価6万円ほどの

G-SHOCK GULFMASTER

を買って、短針がプラプラ動くとかいって修理に出したら「この程度は歯車の仕様です」といわれてビックリしている場合ではない、というのは分かっている(笑)。


元々使い捨てに近い2万円以下の時計に対する

「覚悟?覚悟ならないこともない」(『こころ』のKのセリフ)

のだ。

ただ、5万~6万ぐらいの時計を買ったら、カシオは、私にとっての時計概念(長針と短針がきちんと目に見える程度には厳密に連動していて、長針が1回転するごとに、短針が1/12回転する)=常識の範囲に入っていなかった、ということに驚いただけである。

ちなみに、かつてシチズンのアテッサ(定価5万円)を買ったところ、自動で針のズレを直す装置がついておらず、修理に出して直しても、いつのまにか秒針があらぬ方向を指しているという現象に出会ったこともある。

電波時計でなければ秒針の場所などご愛敬なのだが、長針と短針が厳密に動いている分、秒針のズレをいちいち修理しなければならないそのシチズンの5万円の時計は、あり得ないものだった。

だから、カシオだけがおかしいわけではない。

カシオの6万円の時計は短針がいい加減だけれど、シチズンの5万円の時計は秒針がいい加減だったということだ(しつこいね<笑>)。

結局、その程度のことだ、というのが私にとっての教訓。

10万円ぐらいの価格帯だと、とりあえずこのような問題はいまのところ起こっていない。
20万円以上になると、10年無料保証(ザ・シチズン)といったサービスも出てくる。

値段相応に何をどう楽しむか、ということなのだろう。

ここでようやく、機械式の腕時計の魅力を改めて感じる。

電気的・電子的な動作を全く含まず、ゼンマイや、自動巻の分銅の動きという完全に物理的な力によって、機械の動きのみで時を刻み続ける機械式の腕時計は、電波・光・クオーツの「全く時間がずれない」(針はずれるけど<笑>)時計と違って、毎日時間を合わせなければならない。

だが、毎日合わせるというこちらの身体との呼応によって、何十年でも「物理的に」時を刻んでくれる機械式の時計は、「電波・光・クオーツ」の安価で正確な気持ちの良さとは全く質の異なる「快適さ」を運んでくれる。

当然だが、「電波・光・クオーツ」の腕時計のおもしろさは、機械式腕時計のおもしろさとは違う。

値段をつけると一般に機械式の方が高くなるのは、「高級品」としてのブランドで生き延びたという側面もあるのだろうけれど、ブランドが自分の人生よりも長く時計を看取ってくれるなら、そこに対価を払って日々機械式の時計に「水をやっていく」っていうことにはそれだけの価値がありそうだ。

こちらがお金持ちかどうか、その時計が貴金属として高級品かどうか、じゃなくてね。

というわけで、とりあえずは10万円のアテッサに戻ってきました。

機械式の、自分より長生きしそうなブランドのメンテナンスがうけられる腕時計を、これから探そうかな。

もちろんむやみに高くなくていいから(貴金属的ステイタスには興味がない)。


G-SHOCK GULFMASTERが定価より高い件。

2014年10月08日 23時19分38秒 | 観光

カシオ]CASIO 腕時計 G-SHOCK GULFMASTER トリプルセンサーVer.3+スマートアクセス+タフムーブメント搭載 世界6局電波対応ソーラーウオッチ GWN-1000B-1BJF メンズ
っていうのが、

これです。GWN-1000B-1BJF



1,LED照明が2重についているし、
2,ダークブルーの色がいいし、
3,気圧や温度や高度が測れる機能満載だし、

ほしいなあ、と思って検索してみたら、なんと定価よりずっと高い値段が並んでいるのでした。

標準価格は57,000円+税

なのに、76,800円とか82,300円とかだったりして。

G-SHOCKってそういうものなんですねぇ。びっくり。
でも、色って大事なんだよなあ。もちろん電波ソーラーも譲れないし、できればデジタル表示とアナログ表示両方ほしいし。

でも、時計ってだんだん新型になると装飾過剰になっていったりもして、新しければいいってものでもなかったりもするのですよね。
とりあえずはもう少し待ちますか。G-SHOCKとりあず1本あってもいいかなあ、と思ったんだけど。


この秋、大手キャリアの2年縛りをまだ選択していない人は、立ち止まってよく考えるべし!

2014年10月05日 17時13分54秒 | 観光
この秋も、スマホ新機種ラッシュが始まった。

だが、大手キャリアの2年縛りをまだ選んでいない人は、ちょっと立ち止まって考えてみる方がいいのではないか。

電話をほとんど使わず、一人で7Gぐらい通信で使ってしまう、そして端末はできるだけ新型を使いたい、という人にとって、今の大手のプランは決して割安とはいえないし、不自由でもある。

一方、メールとFacebook、それにニュース閲覧ソフトや乗り換え案内程度の人なら、それこそ大手キャリアの2年縛りの高いお金を払わなくても、それこそ格安SIMで十分だ。

電話のかけ放題が必要なら、ガラケーの方が毎月500円も安い。

いずれにしても、大手の新料金体系の二年縛りは、よーく考えてから選んだ方がいいのではないかと思う。


ちなみに私は、
BIGLOBEのSIM 2Gタイプ1625 円 とdocomoガラケーかけ放題 2,379円で、

月4,000円の通信ライフをおくっている。

SIMフリー端末代を2年縛りと同様に月割りにすると、1,500円/月プラスになるから、毎月5,500円ということになる。

思ったより安くない(笑)。

でも、電話はかけ放題で、自分の好きな端末をいつ変えても構わないのだから、選択して良かったと考えている。

通信量が2G/月でも1100円ぐらいのプランも出てきたし、他方電話代も30秒10円と大手キャリアの半額サービスも出てきた。

1,728円/月で通信1G、電話は30秒10円(BIGLOBE)

と音声通話付きのSIMだけでやっていける人も多いんじゃないかなあ。


かけ放題が不要なら、本当に1,700円ちょっとでスマホ生活が送れるのだ。

確かに今はまだ、SIMフリー端末が誰でも使える環境ではない。

だが、ここでさらに2年縛りを選択すると、来年以降、ちょっと選択の幅が狭くてがっかりする危険性も出てきた。

まだ秋の新機種で二年縛りを選択していない人は、ぜひここで少し立ち止まって考えた方がいい。

本当にそう思う。




参加するつもりのイベントです「立憲デモクラシーの危機とアジアの思想文化」

2014年09月15日 22時37分14秒 | 観光
危機意識を共有し、考えるためのキッカケをつかむために参加します。皆さんもいかがですか?

立憲デモクラシーの危機とと東アジアの思想文化

9月21日(日)14:00 - 17:00 東大駒場キャンパス

登壇者:
樋口陽一(憲法学者)
島薗進(上智大学)
國分功一郎(高崎経済大学)
モデレーター:
松平徳仁(神奈川大学)
川村覚文(東京大学UTCP)

申し込み不要、無料のイベントです。



8/24(日)は哲学書deてつがくカフェ@福島です。ぜひおいでください!

2014年08月02日 13時21分31秒 | 観光
【哲学書de てつがくカフェ@ふくしま】

対 象 本:森一郎著『死を超えるもの―3.11以後の哲学の可能性』
日  時:8月24日(日)13:00 ~ 15:00
開催場所: 「福島大学街なかブランチ舟場」

※以前場所が「金谷川」となっていましたが、それは大学所在地です。
街なかブランチは福島市内の松齢橋たもとです。

今回の哲学書deてつがくカフェは、哲学者の森一郎さんの著書『死を超えるもの―3.11後の哲学の可能性』(東京大学出版会)を扱います。提題者として二人の報告者に問題提起をしていただき、その後、著者を含む参加者のみなさんと、「世界への愛」とは何かをテーマに、対話の場を設けたいと思います。
著者によると、3.11の出来事以後、有限な個人の生を超えるもの、つまり「死を超えるもの」への問いは、確実に重みを増したと言います。友人たちとの死別や、勤務校の体育館の解体といった「個人的体験」に立て続けに見舞われ、そこから「世界への気遣い」というテーマを軸に哲学的思索を深めていた著者は、2011年3月11日の太平洋沖地震を東京で経験します。著者は、近代日本の経験した出来事でも屈指の国難、大津波による街の喪失と原発事故による国土の荒廃という筆舌に尽くし難い光景に直面し、「世界への愛」という年来のテーマを鍛え直し本書を世に送り出しました。著者はこの本では、3.11以後の哲学の可能性の一つを、あえて、「原子力をめぐる思考の可能性」にという方向性に見定めるとしています。
「現代日本の置かれた状況のただ中で哲学すること、われわれの日常的現実にひそむ根本問題に身を曝し、そこから思索の事柄を掴みとること」が、私たちに求められている、と著者は言います。この本を私たちひとりひとりに投げかけられた「問い」として、みなさん、そして森さんとの対話を通して、「世界への愛」をいつもの「てつがくカフェ」のスタイルで自由に語り合いたいと思います。どうぞ、みなさまお気軽にお越しください。

対象本:森一郎著『死を超えるもの―3.11以後の哲学の可能性』(東京大学出版会、2013年)
提題者: 島貫 真(福島県立湯本高校教諭)
     深瀬 幸一(福島県立橘高校教諭)
日時:8月24日(日)13:00 ~ 15:00
開催場所:福島県福島市金谷川1番地 「福島大学街なかブランチ舟場」
http://www.fukushima-u.ac.jp/global/institution/funaba.html
※なお、事前に対象本を読んでこられるのが望ましいですが、希望者には対象頁をコピーして郵送いたします。
主催・問い合わせ:てつがくカフェ@ふくしま fukushimacafe@mail.goo.ne.jp   
(世話人:小野原 雅夫・渡部 純・杉岡 伸也)