龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

夏井川の堤にある桜が見たいと思う。

2014年04月18日 20時30分26秒 | 観光
磐越自動車道をいわきから郡山に向かって進んでいくと、山間の上り坂でふと右側に平地が広がっているところがある。その平地の真ん中に小さな川が流れているのだが、その川の両側、堤防に桜が植えられている。小野町のちょっと手前、たぶん夏井の辺りだろうと思う。

桜の名所1000とかいうサイトで調べたところ、「夏井川千本桜」というところのようだ。
確かめてはいないが、独り決めにそうだと決めている。

そこの桜がまたきれいなのだ。

毎年高速道路から眺めるのだから、実際にじっくりクルマを止めて見たことはない。

それだけに、一度はゆっくり見てみたいものだと思っている。
今年はたまたまいろんなところを回って桜を観る機会があったから、どうせならここの桜も観賞しておきたいものだ、と今から狙っている。
先週郡山に出かけたときは、まだ固いつぼみの状態だった。

今週末は三春の滝桜が満開だ、と聞いているけれど、この桜はもう少し遅いかもしれない。

もちろん、桜ばかり追いかけていないで、庭に咲いた桃の花でも活けて、家でゆっくり花見酒などをいただくのも一興なのだが、いかんせん子どもの頃からの「多動児性」が抜けておらず、自分の庭より他所の花、がありがたいらしい。
なにせ動きたくて仕方がない性分は、脳みそとともに神様から授かったものなので、いかんともしがたいのです(笑)。

さて、この土日、やっぱり偵察してこないといけないかな……。


大河原町の、「一目千本桜」を観てきました。

2014年04月14日 18時11分38秒 | 観光

4/13(日)、大河原町の
「一目千本桜」
を観てきました。

全長8キロに及ぶ白石川の桜堤です。
快晴にも恵まれ、桜も満開。
ソメイヨシノの一斉開花は、遺伝子的に当然なのかもしれませんが、これだけの株が一気に開くと、一大スペクタクルです。





月末には弘前公園にも行く予定。

できれば夏井の夏井川堤の桜も見にいきたいな。昨日高速から観たら、まだ固いツボミでした。

ブログトップの写真はトレドです(たぶん)。

2014年04月06日 13時40分49秒 | 観光
とりあえず、なんか横長にふさわしい写真をPICTUREフォルダから引っ張ってきたものです。スペインに旅行したときマドリード近郊にバスで移動したときのものだから、トレドの街並みを川向こうから取った写真(だと思います)です。

最近、震災前のことはあたかも遠い「前世の記憶」のような気がしてしまいます。
そういう意味ではこれも「前世の記憶」の一枚。

都市が長い歴史を経て、私たち共同の記憶の「場所」としての価値を身にまとうことになる、というのは観光地によくあることです。

たとえその城壁や石畳、水路や教会など、当時の身分の高い階層や富裕な人間たちの手で、場合によっては種庶民が搾取されたり虐げられたりもしつつ創り上げたものであっても、長い時を経てそれが私たちが共有しえる「豊かさ」になる、ということはある。

そういう「贅沢」=「遊び」は、その当時は宗教への敬虔な帰依とか、権力の示威行為そのものであったり、富裕層の「堕落」であったりもするのかもしれない。

それでもなお、「贅沢」はすてきだ。

原子力発電所の事故をここに重ねるのは本当にどうかな、とも私自身思うけれど、それならこの「不幸」は、100年単位の時を隔てたなら、私たちが共有できる「贅沢」=「遊び」になり得るだろうか、とついつい考えてしまうのです。

つまりね、原発事故は本当に貧乏くさい、「取り攫われた」精神の無思考の結果ではないのか、と、お金の使われ方からして納得がいかないんです。

ことほど左様に、楽しかったはずのスペイン旅行の一コマ(トレドの写真)を観てすら、私の思考は原発事故から離れられないのでした。