だいぶ昔のことになるが、井上光晴という作家の弟子の弟子といった格好で「文学伝習所」というものに参加したことがある。
井上光晴という作家が地方のグループのところにやってきて、一泊二日とかで小説の講座と酒飲み、そして実作の添削を行うというイベントを「文学伝習所」と呼んでいたのだ。
だいたい、純文学なんて今時、書く人は好き好きだからまだ残存しているとしても、読む人なんているのか、といわれそうだ。
だがまあしかし、大江健三郎がノーベル賞を受賞し、村上春樹がその候補に取りざたされ、昨年一番売れた『1Q84』も、まあ一応純文学、なのだろうから、ジャンルが存在しないというわけでもあるまい。
その『文学伝習所』とやらで、昼間っからオールドパーをぐびぐびやりながら、いささかせっかちで甲高い声で、しかし少々べらんめえ的(これはよっていたせいか?)に、あるいは急き込むかのように、
「あのね、みなさんは一日100ページは読みなさい。私は必ず1日250ページは文章を読みますよ。時間がないときは新しいものでなくったっていい。とにかく毎日読むことです。」
「カメラを持って歩くんですよ。実際の情景とか、忘れちゃいますからね。こういうポケットカメラでいいんだ。見たことは写しておくといいんです」
「説明はしちゃだめですよ、描写しなきゃ」
「叙情的なのはいいんです。ただし、清潔でなけりゃいけない。」
なんて警句を次々にたたみかけながら、小説の書き方を白昼堂々、大人たちに教えていく。
今でこそ評論家や小説家がカルチャーセンターで小説志望の人を「教える」のは日常の光景になっているが、当時は普通に考えれば「奇異」のことだったかもしれない。
私の師匠(大学のセンセ)は「うーん、井上光晴はさすがだよ。国からもらう年金とか出版社だのみじゃなくて、自分自身の手で読者を開拓しようとしていたんだから。彼はもともと共産党のオルグでも能力を発揮していたしね」
とコメントしていたが。
ところで、今日思い出してメモしておきたかったのは、毎日読まなくちゃだめだ、という教えのことだった。
正月2日に、私の小説家志望の教え子と飲む機会があって、「やっぱり書かないとどんどん下手になるよね」ということで意見が一致した。
読むこともまた、読まないと下手になる。
昨年は、読むことも書くこともせず、教えることばかりの「アウトプット」が続いてしまった気がする。
「なに、もともと下手なのだから、何をしなくても変わるものか」
という常識論は、いっけん説得力があるが、行為の実情を知らないものの言だ。
続けたからといって上手になるとは限らないが、下手には限界がないのだ。
ちょうど、頭がよいといっても限界があるのに、馬鹿には限界がないのと同じ。
というわけで、今年はできるかぎり毎日本を1冊読み、それについてメモを続けていこうと思います。
1年続ければ365冊になる。
むろん、そんなことは無理だけれど、せめて100冊は。
そういえば、蓮實重彦も映画のゼミ生には年間映画一〇〇本といっていたそうだし、吉本隆明も20年毎日詩を書けば詩人になる、といっていた。たぶん二〇年後にはもうこの世にいないけれど、1年ぐらいそういうことをやってみても悪くはあるまい。
というわけで、よろしかったらこちらも参照してみてください。
http://blog.foxydog.pepper.jp/
井上光晴という作家が地方のグループのところにやってきて、一泊二日とかで小説の講座と酒飲み、そして実作の添削を行うというイベントを「文学伝習所」と呼んでいたのだ。
だいたい、純文学なんて今時、書く人は好き好きだからまだ残存しているとしても、読む人なんているのか、といわれそうだ。
だがまあしかし、大江健三郎がノーベル賞を受賞し、村上春樹がその候補に取りざたされ、昨年一番売れた『1Q84』も、まあ一応純文学、なのだろうから、ジャンルが存在しないというわけでもあるまい。
その『文学伝習所』とやらで、昼間っからオールドパーをぐびぐびやりながら、いささかせっかちで甲高い声で、しかし少々べらんめえ的(これはよっていたせいか?)に、あるいは急き込むかのように、
「あのね、みなさんは一日100ページは読みなさい。私は必ず1日250ページは文章を読みますよ。時間がないときは新しいものでなくったっていい。とにかく毎日読むことです。」
「カメラを持って歩くんですよ。実際の情景とか、忘れちゃいますからね。こういうポケットカメラでいいんだ。見たことは写しておくといいんです」
「説明はしちゃだめですよ、描写しなきゃ」
「叙情的なのはいいんです。ただし、清潔でなけりゃいけない。」
なんて警句を次々にたたみかけながら、小説の書き方を白昼堂々、大人たちに教えていく。
今でこそ評論家や小説家がカルチャーセンターで小説志望の人を「教える」のは日常の光景になっているが、当時は普通に考えれば「奇異」のことだったかもしれない。
私の師匠(大学のセンセ)は「うーん、井上光晴はさすがだよ。国からもらう年金とか出版社だのみじゃなくて、自分自身の手で読者を開拓しようとしていたんだから。彼はもともと共産党のオルグでも能力を発揮していたしね」
とコメントしていたが。
ところで、今日思い出してメモしておきたかったのは、毎日読まなくちゃだめだ、という教えのことだった。
正月2日に、私の小説家志望の教え子と飲む機会があって、「やっぱり書かないとどんどん下手になるよね」ということで意見が一致した。
読むこともまた、読まないと下手になる。
昨年は、読むことも書くこともせず、教えることばかりの「アウトプット」が続いてしまった気がする。
「なに、もともと下手なのだから、何をしなくても変わるものか」
という常識論は、いっけん説得力があるが、行為の実情を知らないものの言だ。
続けたからといって上手になるとは限らないが、下手には限界がないのだ。
ちょうど、頭がよいといっても限界があるのに、馬鹿には限界がないのと同じ。
というわけで、今年はできるかぎり毎日本を1冊読み、それについてメモを続けていこうと思います。
1年続ければ365冊になる。
むろん、そんなことは無理だけれど、せめて100冊は。
そういえば、蓮實重彦も映画のゼミ生には年間映画一〇〇本といっていたそうだし、吉本隆明も20年毎日詩を書けば詩人になる、といっていた。たぶん二〇年後にはもうこの世にいないけれど、1年ぐらいそういうことをやってみても悪くはあるまい。
というわけで、よろしかったらこちらも参照してみてください。
http://blog.foxydog.pepper.jp/