1月16日(土)17日(日)と、センター試験の入試応援に行ってきた。
この入試応援、というのも不思議な営みだ。
受験生が各自センター試験会場の大学にいって受験する、その会場の前で、受験生に声をかけるのである。
中学入試とか高校入試で塾の先生がやっていることの大学入試版、といえば言える。
センタ-試験は、受験生のほとんどが受けるという意味では、社会的通過儀礼の側面もある。そして、実力が試される、とはいえ、全国の受験生が「せーの」で一発勝負をする、というのは、さまざまに運や偶然も働くとみるべきだろう。
それをふくめて一発勝負はさばさばと潔いものではあるが、当の本人にとっては時に悔しい思いもするに違いない。
そういう現場に立ち会う切なさは、ある意味で受験の醍醐味。
応援する大人は実質何もできずに、若者を傍から応援し、見送るしかない。
泣いても笑っても本人次第である。
明日は自己採点の日。これもまた悲喜こもごもだ。
この子はほんとうはもっと点数を取ってもいいのにな、と(本人はむやみに同情されても迷惑かもしれないが)そういう思いはこちら側に溢れてもくる。
成功も失敗も含めて成長を見送りつつ、しみじみとする日曜の午後だ。
この入試応援、というのも不思議な営みだ。
受験生が各自センター試験会場の大学にいって受験する、その会場の前で、受験生に声をかけるのである。
中学入試とか高校入試で塾の先生がやっていることの大学入試版、といえば言える。
センタ-試験は、受験生のほとんどが受けるという意味では、社会的通過儀礼の側面もある。そして、実力が試される、とはいえ、全国の受験生が「せーの」で一発勝負をする、というのは、さまざまに運や偶然も働くとみるべきだろう。
それをふくめて一発勝負はさばさばと潔いものではあるが、当の本人にとっては時に悔しい思いもするに違いない。
そういう現場に立ち会う切なさは、ある意味で受験の醍醐味。
応援する大人は実質何もできずに、若者を傍から応援し、見送るしかない。
泣いても笑っても本人次第である。
明日は自己採点の日。これもまた悲喜こもごもだ。
この子はほんとうはもっと点数を取ってもいいのにな、と(本人はむやみに同情されても迷惑かもしれないが)そういう思いはこちら側に溢れてもくる。
成功も失敗も含めて成長を見送りつつ、しみじみとする日曜の午後だ。