斎藤環の『オープンダイアローグがひらく精神医療』を読み始めた。
自分にとって重要な本になる、という感触がある。
つまり、全く「終わコン」として扱われている印象すらある?ポストモダン的なスタンスを、開かれた対話として拾い直せる可能性を感じる、ということでもある。
一体何を言っているのか、という話だが、「あの」斎藤環がオープンダイアローグ(OD)に入れ込んでいるというだけでも興味深い(偉そうですいません。そうじゃなくてね)。
自由は余白にある、のだとしたら、枠組みと同時に余白が確保されねばならない、、しかし、余白は予め固定化され用意されているものではなく、そこに見いだされるものだろう。そしてしかるべきプロセスを経て消えて行くものでもあるかもしれない。
べてるの家の「当事者研究」の時もびっくりだったし、『中動態の世界』も衝撃だったが、この本も刺激的だ。
いろいろと楽しみな本だ。
自分にとって重要な本になる、という感触がある。
つまり、全く「終わコン」として扱われている印象すらある?ポストモダン的なスタンスを、開かれた対話として拾い直せる可能性を感じる、ということでもある。
一体何を言っているのか、という話だが、「あの」斎藤環がオープンダイアローグ(OD)に入れ込んでいるというだけでも興味深い(偉そうですいません。そうじゃなくてね)。
自由は余白にある、のだとしたら、枠組みと同時に余白が確保されねばならない、、しかし、余白は予め固定化され用意されているものではなく、そこに見いだされるものだろう。そしてしかるべきプロセスを経て消えて行くものでもあるかもしれない。
べてるの家の「当事者研究」の時もびっくりだったし、『中動態の世界』も衝撃だったが、この本も刺激的だ。
いろいろと楽しみな本だ。