龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

C220dのワゴン(2019年型)に乗った。

2019年10月04日 10時03分17秒 | クルマ
C220dセダンの納車から一ヶ月で約2,800km乗った。
だんだん手に馴染んでたところ。
唯、一週間したころから、ダッシュボードが細かく振動する音が時々するようになり、見てもらうのに代車を待っていた。

昨日検査・修理のために工場に入れ、代車に乗っているのだが、それが同じC220dのワゴンである。
おもしろいことに、乗り味が少し違う。ワゴン車の方が少し重いのだろうに、むしろ軽快さを感じるのだ。
それがどう違うのか、自分のセダンが戻ったら改めて確かめてみたい。

もう一つ気になったのは、AMGラインだから同じエアサスだろうと思うのだが、地面から受ける感触が明らかにこのワゴンの方がはっきりしている。ゴツゴツした、というほどではないのたが、細かいところを伝えてくる。セダンの方が穏やかだ(ルーズといえばいいのかどうかは分からない)。素人の私でも分かるぐらい明らかに違う。エアサスじゃない、のなら分かるが……。
と思って降りてから確かめると、タイヤのメーカーが違っていた。

私のセダンは
ブリジストンのポテンザ、
このワゴンは
continentalのエココンタクト6
である。

タイヤの性能や特性がよく分からないから何ともいえないが、乗り心地に与えるタイヤの影響はかなり大きいのかもしれないと改めて思った。

ちなみに、買い手は新車のタイヤのメーカーを選ぶことができないらしい。
それもどうかと思うが。

以前、友人のgolfの乗り味に感嘆したことがあった。ところが、その後いつの間にか「ふつうのクルマ」になっていてびっくりしたところ、パンクしたため、田舎でとりあえずあるものを間に合わせで買ったらしい。

それ以来タイヤを気にするようになったのだが、この違いは車体からくるのか、タイヤなのか、ちょっと興味深いところだ。 

ちなみにこの代車のワゴン、サンルーフ仕様でもある。軽快な感じ、という印象には、車体剛性の影響もあるのかな?

メーカー同じ種類の、別の仕様のクルマを乗るというのは意外におもしろいものだと思った。
個体差であるとしたら、それも興味深い(^_^)
自分の車が戻ってきたらまた確かめてみようと思う。

追記。
自分のクルマ(C220dセダン)と改めて比較すると、コールドスタート時のアイドリングの時、新しいワゴンは明らかに小さいと感じる。私のセダンは明らかにカラカラ音が室内でも聞こえます。

これは改良されているのかなあ。

暖まると、そんなに大きな違いは感じないのですが。

また、エンジンのふけ上がりについても、新しいワゴンの方が軽快に回る印象です。それが「軽さ」の印象と繋がっているのかも。
基本的に同じクルマなだけに。比較するのはおもしろいけれど、何が決定的に違うのか、となると、素人には分からないことも多いですね。



ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書』がスゴい。

2019年10月04日 08時44分22秒 | 今日の日記
今朝から
ルシア・ベルリンのアンソロジー
『掃除婦のための手引書』
を読み始めた。
まだ2編しか読んでいないが、既にその世界に引き込まれている。
乏しい経験しかないのだが、アメリカの短編は、なんだかよむのが難しいということがある。
かかれている立場や状況や時代が分からないからなのか、描き方に慣れていないからなのか、何かもどかしい感じが残ったりする。アメリカじゃなくてもそれは同じなのだろうが、しかし、短編についてはアメリカのものが要警戒、、そんな印象があった。

しかし、ルシア・ベルリンの小説は違う。
分かる分からないではなく、刺さってくる。
リディア・デイヴィスの序文では「むき出しの電線のように」と表現されている。
そう、それは分かるのではなく、皮膚の表面が痛む、のだ。
「痛い小説」というのとは少し違う。もっと表面的だ。つまり表現的だ。むしろだからこそ、その向こう側の「深さ」を味わいたくなる。

そして、
『物語こそがすべて』
というこのアンソロジーの元の本の題名から、ルシア・ベルリンの「物語」の意味について考えてみたくなる。

「トニーは目を開けなかった。他人の苦しみがよくわかるなどと言う人間はみんな阿呆だからだ」P13

そう言うことだ。

おすすめです。その「痛み」、その「帯電」を知るすべての「大人」に強くお勧めします。