龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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根津美術館に行ってきた。

2012年02月12日 16時53分03秒 | 大震災の中で
IMG_9230.jpg
「百椿図 椿を巡る文雅の世界」
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html

という企画展最終日でもあり、実は改装されてから行ったことがなかったので、リニューアルした美術館それ自体も見がてら日帰りで。

2月の寒い日曜日はあまり車で動く人もいないらしく、早朝ということもあって、家を出てから2時間も経たないうちに都内に着いてしまった。

美術館が開くのは10時なので、築地の場外市場をひと回りして、卵焼きと鯨を食してから青山へ。

美術館入り口は竹林をイメージした「和」のテイストになっていて、すぐとなりは普通の道路なのに、歩いているとしだいに別世界感覚になっていく。

こういうアプローチはまるで「もてなしの宿」みたいだ(笑)

「百椿図」は、江戸初期の大名が椿の絵を沢山絵師(狩野山楽ともその弟子山雪とも)に書かせ、一枚一枚の絵に当時の有名人たちの讃を書いてもらうプ未完のロジェクトだったという。
林羅山、烏丸光広、西山宗因、松永貞徳、水戸光圀など、有名人がずらり。
皇族・大名・僧侶・連歌師・儒学者・歌学者ら錚々たるメンバー(たぶん、ね)が、様々な種類の椿の絵に和歌や漢詩、発句と落款(および落款印)を寄せている。
そしてそれが二巻モノの巻物にされた、というわけ。
モノホンの絵にそれぞれ有名人が自ら書き込むわけだから、手間も時間もかかったにちがいない。
図録の解説にもあったように、そこには文芸サロン的ネットワークの存在が想定されねばならないだろう。

絵のことは分からないが、西山宗因と松永貞徳の名前があったのが気になった。
明らかに次の世代は元禄の芭蕉と西鶴。

「百椿図」は、私たちが普段江戸前期の文化的な大潮流、元禄の直前、椿図をモチーフとして炙り出されたエスタブリッシュメントの文芸サロンの成果だったわけだ。

私は(いやたぶん私たちと言ってもいいだろうけれど)江戸前期の文化といえば元禄から始まってしまいがちだが、当然そんなはずはない。

学校で教わらない歴史を少し味わった気がした。

この根津美術館は庭も有名だ。
今日はゆっくり庭も散策して、カフェでお茶を飲んでから、刀剣骨董屋さんにも顔を出してみた。

ここでも、
「いわゆる江戸になってからは美術品としての刀になってしまうから、むしろその前の方が」
なんて話を聞いたりして、一本100万ちょっととかいう鎌倉末の刀を見せてもらった。
たしかに美しい。

江戸の超高い刀よりはずっとシンプルだが、「機能美」(刀の機能美というのもちともんだいかもしれないが)を感じる。

ナマの刀を生まれて初めて手にした。怖いのは怖いが、が、神経が集中していくのを感じる。

不思議なものだ。

教科書に載る歴史ではないのかもしれないけれど、モノのリアルを感じる1日だった。

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