龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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鳩山首相が辞任した

2010年06月02日 22時08分39秒 | インポート
鳩山首相が辞任した。

「しろうと」の振りをもうちょっとしても良かったのに。
民主党は大敗するだろうけれど、それで全然かまわない。
もうちょっと時間をかけて何かをやる手はなかったのかな。

ただ、権力の扱い方って本当に難しいね。
正解を誰も知らないみたいで、そこは面白いけれど。
さて、では次の人は、次のシステムは、どんなことを提示してくれるのだろうか。

期待していいのかなあ。私はどんなに愚劣に見えていても、断固「政治」に期待したい。
ただそれが現行のような政党政治なのかどうかには、ほんとうに確信が持てない。
先日朝日新聞の論壇時評で東浩紀が、湯浅と対談した堀江、勝間と対談した西村を評価していた(ネットで圧倒的に支持されている、堀江&西村の「ちゃぶ台返し」的言説に対応できなければダメじゃないか、という意味で)が、なるほど、とも思いつつ、勝間さんと湯浅さんじゃ違うと思うけどねえ、とつい考えてしまう。堀江さんと西村さんももちろん全然違うしなあ。
むろん、敢えてするカテゴライズ、なんでしょうけど。

カントを読んでいても、(アリストテレス以来の?)範疇に感じてしまう「恣意性」(その分類はあんたの匙加減じゃんか?!)が、その後をまじめに読ませてくれない、ということが長く続いた。
たぶん、ぐるっと遠回りしてこないと分からないことがあるんだろう。

でもM政治文化とか、ネット文化とか、迂回している間に寿命が尽きてしまいそうだ。

そんなことに興味ないよ、っていう「ちゃぶ台返し」は、本当なら寿命が短い私たち中年にこそふさわしいのかもしれない、と思うのに、人間年を取ると変化がおっくうになるという悪癖もあるから、ただ「切れて」終わってしまうのかな……。

たぶん、「理性的」なものが作り上げる「理念」の「仮象」から自由になる、という側面と、理性を発動するそのそこの場所の「自由」行使能力の側面とを、どう切り結んでいくか、それを地面から立ち上げていくやり方の違いかもしれない。

何を「地面」なにを「ちゃぶ台」とするか、がこれまた難しいんだけどさっ。

小沢-鳩山が乗っていた民主党というちゃぶ台はひっくり返さないのかな。
かつて自民党の党首交代をコップの中の嵐と見ていた人たちは、今度の交代劇をどう見るのか。

もう少し「あぶりだし」の余裕が日本にあるなら、上手にぐずぐずできるのがいいなあ。
「余裕はない」
って脅すばかりの政治家もどうかと思うし。

でものんびりするだけってのは処世術にすぎないか、やっぱり。
「権力」について、もっともっと学習しないといけないというのは分かりました。

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