草野心平が戦後すぐ、昭和23年に発表した詩集『日本砂漠』の中の「わが抒情詩」という詩に千原英喜という人が曲をつけたものである。
>立正大学グリークラブが2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて委託初演された作品。
(「合唱道楽 歌い人」のブログより)
だそうだ。
今日、淀川混声合唱団の演奏CDが届いた。聴いているうちに泣けてきた。
会津若松市の一箕中の演(フルコーラス)はこちら。
(YOUTUBEの演奏が削除されていたので、別の演奏の方のurlに切り替えました。)
YouTubeの淀川混声合唱団(一部のみ)「わが抒情詩」はこちら(冒頭部分のみ)
http://www.youtube.com/watch?v=2h48wJc0Qzo
https://www.youtube.com/watch?v=UvFGu-fQ2lI
中国から引き揚げてきて、戦後の日本に向き合った心平の詩の抒情が、そのまま震災後の「今」を生きる私に直接届いた、ということだろうか。
慌てて本棚から取り出した岩波文庫版「草野心平詩集」に解説(入沢康夫)によれば、
「昭和21年春に帰国し、故郷上小川村で三カ年弱を過ごしたのち、東京へ居を移す。」
とある。
そして『日本砂漠』の初出は昭和23年5月。
いわき市の小川村に住みつつ、故郷と東京を行き来しながら出版した詩集の中の一編ということになる。
もちろん、内容からしても中国から帰国してからの作だ。
その事実を知ってから、ちょっとましなステレオセットでもう一度聞き直し、改めて泣けてきた。
東日本大震災とそれによる原発事故はやはり「第2の敗戦」であったのだ、ということを、草野心平は60年以上まえに、いかにも彼の詩らしい抒情によって既に指し示していた......そんな乱暴なことさえ思ってみたくなる。
むろん、草野心平は「世界観」の人ではない。屈折は世界の側ではなく常に「詩人の不可避」(高村光太郎)の側にあったと見るべきところだろう。
でも、少なくてもその抒情の「屈折率」は、今の私の心のそれと響き合っている。
原詩はかなり長いもので、曲にはそこから抄録した言葉が使われているのだが、むしろシンプルかつ力強くなった印象もある。
よろしかったらぜひ一度。
「道だかなんだかわからない。」
「ここは日本のどこかのはて」
が沁みます。個人的に、愛唱曲になりました。
わが抒情詩(抄)
くらあい天(そら)だ底なしの。
くらあい道だはてのない。
どこまでつづくまつ暗な。
くらあい道を歩いてゆく。
どこまでつづくこの暗い。
道だかなんだかわからない。
うたつておれは歩いているが。
うたつておれは歩いているが。
おれのこころは。
どこいつた。
おれのこころはどこにいる。
きのふはおれもめしをくひ。
けふまたおれは。
わらつていた。
ここは日本のどこかのはてで。
きのふもけふも暮らしている。
都のまんなかかもしれないが。
どこをみたつてまっくらだ。
去年はおれも酒をのみ。
きのふもおれはのんだのだ。
こころの穴ががらんとあき。
めうちきりん、めうちきりんに
にいたむのだ。
ここは日本のどこかのはてで。
きのふもけふも暮らしている。
都のまんなかかもしれないが。
どこをみたつてまっくらだ。
どこをみたつてまっくらだ。
詩の全文はこちらに。
わが抒情詩:草野心平の詩集「日本砂漠」から
http://japanese.hix05.com/Literature/Kusano/kusano14.jojoshi.html
>立正大学グリークラブが2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて委託初演された作品。
(「合唱道楽 歌い人」のブログより)
だそうだ。
今日、淀川混声合唱団の演奏CDが届いた。聴いているうちに泣けてきた。
会津若松市の一箕中の演(フルコーラス)はこちら。
(YOUTUBEの演奏が削除されていたので、別の演奏の方のurlに切り替えました。)
YouTubeの淀川混声合唱団(一部のみ)「わが抒情詩」はこちら(冒頭部分のみ)
http://www.youtube.com/watch?v=2h48wJc0Qzo
https://www.youtube.com/watch?v=UvFGu-fQ2lI
中国から引き揚げてきて、戦後の日本に向き合った心平の詩の抒情が、そのまま震災後の「今」を生きる私に直接届いた、ということだろうか。
慌てて本棚から取り出した岩波文庫版「草野心平詩集」に解説(入沢康夫)によれば、
「昭和21年春に帰国し、故郷上小川村で三カ年弱を過ごしたのち、東京へ居を移す。」
とある。
そして『日本砂漠』の初出は昭和23年5月。
いわき市の小川村に住みつつ、故郷と東京を行き来しながら出版した詩集の中の一編ということになる。
もちろん、内容からしても中国から帰国してからの作だ。
その事実を知ってから、ちょっとましなステレオセットでもう一度聞き直し、改めて泣けてきた。
東日本大震災とそれによる原発事故はやはり「第2の敗戦」であったのだ、ということを、草野心平は60年以上まえに、いかにも彼の詩らしい抒情によって既に指し示していた......そんな乱暴なことさえ思ってみたくなる。
むろん、草野心平は「世界観」の人ではない。屈折は世界の側ではなく常に「詩人の不可避」(高村光太郎)の側にあったと見るべきところだろう。
でも、少なくてもその抒情の「屈折率」は、今の私の心のそれと響き合っている。
原詩はかなり長いもので、曲にはそこから抄録した言葉が使われているのだが、むしろシンプルかつ力強くなった印象もある。
よろしかったらぜひ一度。
「道だかなんだかわからない。」
「ここは日本のどこかのはて」
が沁みます。個人的に、愛唱曲になりました。
わが抒情詩(抄)
くらあい天(そら)だ底なしの。
くらあい道だはてのない。
どこまでつづくまつ暗な。
くらあい道を歩いてゆく。
どこまでつづくこの暗い。
道だかなんだかわからない。
うたつておれは歩いているが。
うたつておれは歩いているが。
おれのこころは。
どこいつた。
おれのこころはどこにいる。
きのふはおれもめしをくひ。
けふまたおれは。
わらつていた。
ここは日本のどこかのはてで。
きのふもけふも暮らしている。
都のまんなかかもしれないが。
どこをみたつてまっくらだ。
去年はおれも酒をのみ。
きのふもおれはのんだのだ。
こころの穴ががらんとあき。
めうちきりん、めうちきりんに
にいたむのだ。
ここは日本のどこかのはてで。
きのふもけふも暮らしている。
都のまんなかかもしれないが。
どこをみたつてまっくらだ。
どこをみたつてまっくらだ。
詩の全文はこちらに。
わが抒情詩:草野心平の詩集「日本砂漠」から
http://japanese.hix05.com/Literature/Kusano/kusano14.jojoshi.html
果てしないではなく果てのない
うたっておれは歩いているが、も一回だけではないですか?
もし曲の方で繰り返し歌っているのでしたらすみません。
なおします!