龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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中上健次資料収集室〈熊野古道への道(8)〉

2019年09月08日 07時49分24秒 | 相聞歌
☆13:00新宮市図書館

中上健次資料収集室は、新宮市図書館の3階に有る。本当は今年のイベントで坂本龍一が参加するはずだったが、天候のため飛行機が飛ばず、これなかったとこのと。中上健次が本気で地元の活動に関わっていたということは聞いていたが、「熊野大学」という活動が今も続いていたとは知らなかった。

中上健次についてちゃんと読んだといえるのは『枯木灘』だけだ。
そしてその衝撃はかなりのものだった。
それについては
松岡正剛の千夜千冊755夜「中上健次『枯木灘』」
以上のことは言えそうにない。

https://1000ya.isis.ne.jp/0755.html

中上健次といえば「路地」である。
もちろん一義的にはフィクションの中の場所、なのだが、それは作家自身が生まれ育った新宮の被差別の場所でもある。

今回、資料室で、図書館の方から
「中上健次自身がとった路地の8mm映像があります。ごらんになりますか」
と聞いたときには、びっくりして舞い上がりそうだった。
「もちろんです、見せてください」
といいつつも、友人は理系で、人文系には疎いだろうしましてや文学、しかも中上健次など触ったことも観たこともない人だから、ちょっと悪いな、とは思ったが、今回の熊野行の目的の一つでもあったので、一緒に観てもらうことにした。

そのDVDは、20分弱の(8mmから起こしたものなので当然だが)無音映像で、路地の様子が淡々と撮影されていた。
映されているのは、高度成長前の日本の都市部周辺にありそうな密集住宅、のイメージだ。かつてはいろいろな都市の周辺部にこういう人が集まって暮らす場所があった、という記憶がある。

私自身は父が応募に当選した市営の郊外分譲住宅で育ったので、住宅としては一世代後の「郊外」的な生活になるのだが、それでもお風呂は薪だったし、煮炊きするコンロは七輪か石油コンロだった。だから、地続きだが、そのままではない。
自分史に置き換えて考えると、母が戦前に住んでいたという写真で見た借家に近い、だろうか。

戦後のバラック、っぽい感じとでもいえばいいだろうか。

それは、次第にアジアの都市周辺から消えていった場所、でもある。
韓国でも、中国でも、そういう場所はあったはずだ。オリンピックなどの「発展」によって消えていくわけだが。

中上健次がその小説作品の根源に据えた「路地」という場所は、そういう意味では「世界」に地下茎のように繋がっていた、とも言えるのかもしれない。
研究者でも良い読者でもないが、そんなことをぼんやり考えながら映像を見ていた。

分かるのはその頃のクルマだ。
スカイラインのケンメリが映っている。当時か少し前に人気だったクルマだ。
あとは一度だけ、フラッシャーランプのついたローレルがちらっと見えたような気がする(私が子どもの頃好きだった車種だ)。

図書館の方が地図で説明してくれたが、今はその路地はすっかりなくなって、そのあたりは市営のアパートになっているそうだ。
「熊野誌」という郷土資料雑誌のバックナンバーを分けてもらう。









中上健次の自筆原稿も見せてもらった(写真不可)。
A3横の罫線紙(縦書罫線)に、特徴的な文字一つ一つが四角い筆跡で、びっしりと書かれている。訂正は多くなく、線を引欄外にいて書く形式。

「自筆で読む『坊ちゃん」という新書だ漱石の自筆写真本を読んだことがあるが、やはり肉筆を見るとしみじみする。
上に引用した松岡正剛の中上健次評も、身体を伴って出会っているから書けたものだろうし。そういう意味ではいつもの松岡正剛とは違っている。
中上健次という作家はそういう人、でもあったのだろう。会って起きたかったな。

さて、図書館で、係の方に地図をもらい、、「路地」のあった場所を教えてもらった。
そこに行ってみる。

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