平成湘南日記...一語一絵

あせらずゆっくりのんびりと
花とニャンコとクッキング
時々俳句とデジ散歩
自称カメラ小僧の気まぐれ風まかせ日記

桜桃忌

2008-06-20 22:08:23 | 季節のこと
昨日は、太宰没後60年の桜桃忌。三鷹市の寺にある墓の前には多くのファンがお参りに訪れたとのこと。
太宰治の生誕地、青森県金木町では太宰の誕生日が、奇しくも遺体発見日と同じ、6月19日であった事から、最近、桜桃忌から、「生誕記念祭」と名前を変えて開かれていると聞きました。





――詩篇、第百二十一。
子供より親が大事、と思いたい。...


という書き出しで始まる「桜桃」
桜桃が主題かと思いきや、"桜桃"は最後にしかでてこない。


.....子供よりも、その親のほうが弱いのだ。桜桃が出た。私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。
父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓(つる)を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚(さんご)の首飾りのように見えるだろう。
しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐(は)き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。



太宰は言いたいことを、終りのところで父の桜桃を食べる様(さま)に言い表し集約させたのでしょうか。

作品中に、もうひとつ"ああそういうものか"と思えたくだりを。

いつでも、自分の思っていることをハッキリ主張できるひとは、ヤケ酒なんか飲まない。
(女に酒飲みの少いのは、この理由からである)


*****以上、斜体文字部は太宰治「桜桃」より引用*****


高校時代、「斜陽」の読後感想文が宿題になったことがありました。
当時は太宰の書く人間の苦悩、純粋さゆえの葛藤、というものの表現スタイルに解が及ばず、期日ギリギリまで出来ずに最後はあらすじだけを半徹夜で書いて誤魔化した記憶があります。
「走れメロス」や「富岳百景」などはスンナリ読めていたのになあ、と思ったりしました。
今では勿論読解力が多少なりとも備わってきているので解らなくはありませんが、いま一つ太宰には"食いつき"が良くありません。


●古き書をあかく照らして桜桃忌 楓山人

ふるきしょを あかくてらして おうとうき

太宰の「桜桃」を集録した文庫本を押し入れの奥から探し出した。
桜桃が本を照らすかのようにあかく輝いている。
夏の季語、桜桃忌です。