風月庵だより

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なにが是か、なにが非か

2015-02-04 11:38:59 | Weblog

2月4日(水)晴れ 【なにが是か、なにが非か】

このところ、後藤健二さんのニュースを、マスコミは忙しく報道していました。

まことに残念な結果になりました。後藤さんは勇気あるかつ人間愛に溢れたフリージャーナリストであったと思います。しかし、どうして、火中の栗を拾いに行ってしまったのか、それがあまりに残念なことです。

ISILにとって、埒外にあった日本および日本人も、標的にされてしまうような事態を招いてしまった結果になってしまい、自己責任を強調していた後藤さんにとっても辛い結果になってしまいました。

ヨルダンのパイロットがすでに亡くなっていたことは、多くの人が予想していたことでしたし、実際そうであったことを考えますと、どうして、かの死刑囚を解放して、後藤さんを救わなかったのか、悔やまれるところです。

相手には、決して「情」は通じないこと、交渉ごとは知力を要し、謀略もおおいに必要なことになるでしょう。

自分だけ良かれと思って、行動しても、それが他に対して、どのような結果を招くか、また行動された相手はどのように思い、どのような結果を招くか、よくよく考えて行動しないと、とんでもない結果を招くことになってしまうことを、何事においても留意する必要はあると思います。

日本の首相の言動も、全く配慮にかけていたのではないでしょうか。交戦を好む感じの首相にとって、この事件が、事を起こす口実にならなければよいがと危惧するところです。幕末の志士、高杉晋作をお好きで、その銅像を建てるほどの方ですが、まことの憂国の士は、日本国民を危険に陥らせることを回避することに全力を尽くしてくださる人である、と私は考えますが、皆さんはいかがでしょうか。

なにが是か、なにが非かは、一概に判断できないことが多いです。やたらにすぐに解説を加えることは、危ういことです。断定も危ないことです。そうはいってもなんらかの判断を下さなくてはならない場面も生活の中にはあります。絶対ということはないし、いつもフレキシブルな柔軟な姿勢は大事なことと思っています。私の耳には、師匠がいつも仰っていた「何がいいか悪いか、わからんぞ」というお言葉です。担板漢(たんぱんかん)-ものごとを一方だけ見て判断する輩のこと-の弟子に対しての戒めの言葉であったろう、かと今は思っています。師匠の周りにいた他の人たちは、その言葉は聞いたことがない、という話ですから。

とにかく、いろいろな情報に囲まれていますが、自らの生活をしっかりと見据えていきたいと念じています。

〈子猫のモカが旅立った後、ふらりとやってきたフーテンの寅さんならぬ、名付けて2代目「ハッピー」です。自分以外の闖入猫をじっと見据えて追い払う役を担っています。〉