9月25日(金)雨【寺は誰のものかー霊鷲山】
お寺を住職の所有物と勘違いしている住職は少ないと思いますが、お寺は住職の特権を振りかざせるものではありません。住職は全体の管理を任された管理者です。私はそれを熱い思いを持って管理しています。
仏法を伝える場として、大事な場です。一方から言えば仏法を伝えてもらう場として大事な場です。釈尊が仏法を説かれた現世の霊鷲山なのです。
私が管理者として住職をしているお寺は、最近参道を広げ、白い塀も築き新しい門柱を建てることができましたので、今日は総代さんたちと打ち上げ会をしました。
今は5人になってしまった総代さんたちですが(お一人は雲の上です、お一人は子育てで気が抜けないので休んでいます)、総代さんと檀家さんが一丸になって守ってきてくださったお寺です。いつも住職である私とともにいろいろな行事をともに行じ、なんでもいつも話し合って決めています。
今日は、工事が完成したお祝いです。お祝いの席で、生をあきらめ死をあきらむるは、を共に話し、人間の裏と表の話になり、私の師匠がいつも口になさっていた、裏表のような価値判断をやめようという話を伝えたりします。総代会は時折、そんな話を熱くします。共に学びます。
このお寺は総代さんたちがあってのお寺です。
話はかわりますが、血液型の話になりましたが、B型が4人、O型が一人、A型が一人です。日本人はB型は30パーセントだそうですが、うちの総代会はB型が圧倒的に多いです。
「住職は子どもを育てたことがないでしょうから、お分かりにならないかもしれませんが、子どももそれぞれ違います」と言われましたので、「いえ、私はよくわかりますよ、同じ時に生まれた子猫5匹ですけれど、みなそれぞれ違います」と私は誇らしげに言います。そんなこと、あんなこと。
いろいろなことを話して、いつも話して、総代さんたちと守っているお寺です。
このお寺を次の人につなげていくことがまた大事な事業です。本当は守ってあげたかった青年がいたのですが、私の心を全くわからず、だんまりを決め込まれたので、大変残念に思っています。寺を利権と思ってはいけません。寺は霊鷲山なのです。