7月11日(木)雨【『仏遺教経』に学ぶ】
先週の金曜日に、現職教育講師として、仙台に行ってきました。母のご葬儀が3日でしたので、なんとか一日だけ学び直す時間をとれまして、翌日は講演を勤めさせていただきました。
内容は、『曹洞禅グラフ』に連載させていただいた『仏遺教経』の解説でした。この講演のために改めて学び直して、つくづく考え至ったことは、『阿含経典』を学び直す必要性です。あまりに学ぶことが多すぎて、『阿含経典』まで手が出ないと、思っていましたが、釈尊が説かれた修行を怠らないようにという『仏遺教経』の中の大事な文言ですが、はたしてどのような修行だったのか、また初転法輪で、アヌルッダを度し、とありますが、どのように度されたのか、そこを私は知りたいと思いました。
道元禅師も『正法眼蔵』の中に「三十七品菩提分法」巻をお説きです。「只管打坐」にあまりに重点を置くあまり、釈尊が説かれた、道元禅師も説かれている三十七の修行方法を改めて見ていなかったということに、我がことながら、気が付きました。
釈尊の教えは、どこまでも、一人一人、お前のことだよ、ほかの人のことではないよ、自分自身を観なさい、ということであると、改めて気が付いた次第です。
仏弟子の修行方法について書かれているのは、『阿含経典』だけのようです。これを見落としていたと気が付きました。
講演の機会を頂いたお蔭で、考えの足りなかったことを学ぶことができました。母の介護で全く時間は取れませんでしたが、一日だけ時間を与えられて、まことに有難いことでした。母の御葬儀に関しましては喪主をはじめて勤めましたので、喪主の仕事はかなりこまごまとありました。それでも母が一日の時間を与えてくれたのだと思っています。
釈尊が、涅槃に入られようという最期の最期まで、弟子のことを思い、説法をしてくださった場面が目に浮かびます。他人ごとではなく、仏弟子である私にも、説き続けてくださっていることに感謝し、もっとしっかりと修行しなければと思った次第です。ここに書ききれませんが、来年までには一冊にまとめさせてもらいたいと思っています。学ぶことが山ほどありますね。来世も僧侶として生まれたいと願っています。