10月24日(月)雨【大本山總持寺での焼香師】
すっかりご無沙汰してしまいました。曹洞宗の大本山である總持寺は、御両尊御征忌会が12日から15日までありました。14日には「御両尊献供諷経」があり、その焼香師を勤めさせていただきました。
そんなことで、その準備から始まり、当日はもとより、その後の後始末など、とにかく忙しくしておりましたので、ご無沙汰お許しくださいませ。
また、本年は本師余語翠巖老師の二十七回忌にあたり、總持寺の禅師様にご親香をお願いしまして、ご供養をしていただきました。
焼香師は、香語という漢詩をおとなえしなくてはなりません。その香語の中に本師の絶筆の言葉「虚空行脚」という文言を、なんとか入れたいと思いまして、漢詩作りは得手ではありませんが、努力してみました。なんとか平仄の約束事は守って、香語を作成できました。
本師の絶筆となりました「虚空行脚」の一文を紹介させてください。
「虚空行脚
東印度の国王、般若多羅尊者を請して齋す。尊者、国王の為にお経を読んで供養せず。王曰く何ぞ看経せざる。尊者曰く、吾が出る息入る息悉くこれ経巻なり。特に看経を要せずと。これは『従容録』第三則の大意である。世の多くは、般若多羅と云われるほどのすぐれた人なるが故にこの言ありと。これ個人崇拝のよって出ずる所以である。よく考えてみるに、お互い様の出る息入る息は一体何の所以ぞ。自分でやっているつもりであろうが、自らやめるわけにも休めるわけにもいかぬ。全く天地のすがたそのものである。是非を越えた世界の出来事であることに気付いてみると、人生などと云うよりも天地一切の万物は、虚空行脚のすがたそのものである。諸人安じられよ、自らの虚空行脚のすがたに。その綾もようの美しさに。」
これは大雄山最乗寺の『大雄』平成8年錦秋号に掲載された絶筆です。また私が駒澤大学の大学院時代に編集させていただいた『宗教の風光ー余語翠巖老師遺稿集』に転載させていただいた一文です。
ご訪問の皆様にも噛みしめていただければと存じます。