1月11日(土)晴れ【『地球の履歴書』を読んで】
私の出家の引き金となったのは、ギリシャのロドス島に滞在していた時、地球人類の滅亡と、現在のロドス島はかつて海の中にあったという啓示を受けたことでした。
それだけではなく、一個の人間として、人生上の種々の経験も含まれてはいますが。
この度、大河内直彦氏の『地球の履歴書』を読んで、ロドス島での啓示の裏付けを得ました。なぜこの本を購入しようと思ったかと言いますと、白亜紀になぜ恐竜が絶滅したか、というようなことが書かれていると宣伝文を読んだことだったと思います。生物の絶滅は、やがてありうる人類の絶滅を解き明かしてくれるだろう、と思ったからです。
地球は46億年前くらいに現在の地球の形になったようです。地軸も逆転するということは、50年前から聞かされていましたが、この本の中にも地軸の逆転は既にあったことが書かれていました。今から78万年前からは今の地軸のようです。それより258万年前までは地軸は逆だったそうです。
白亜紀は1億4,500万年前から6,600万年前をいいますが、その前はジュラ紀、その前は三畳紀になりますが、この白亜紀は、地球の生物の中でも、最大の爬虫類である恐竜が、この地球上を歩き回っていた時代です。実に不思議ですね。現代、あちこちにビルが建ち、道路が通り、飛行機も飛び交うような中を、テクノサウルスやティラノサウルスやステゴサウルス等々が闊歩していたことがあったのです。日本列島も大陸と陸続きであり、恐竜の化石が見つかっていますね。白亜紀は地球が極端に温暖化していたのだそうです。二酸化炭素の量が今より一桁高く、2000ppm(0.2%)もあったそうです。(この頃は、火山の爆発や人間による二酸化炭素の量が増えていますので、これがひどくなれば、人間は地球上に生息不可能となり、またもテトラドンなどが住むようになるかも)
しかし、恐竜の絶滅の時がやってきたのです。巨大隕石が地球に衝突したのです。メキシコユカタン半島の先端だそうです。(今日のNIKKEI STYLEで配信されていましたが、「チクシュルーブ衝突」と命名されているようです。衝突したときのクレーターの研究をしているチームがあるようです。)巨大隕石が落ちた場所は海だったので、大津波が起き、地球を何度も津波が周回した、と、この書に書かれています。恐竜のみならず多くの生物がこの期に絶滅していますが、これが巨大隕石の衝突によると、ある物理学者やその息子の地質学者が論文を発表しましたが、その論文に対して反論をとなえる多くの論争があったそうです。しかし、1980年6月6日に、隕石衝突の痕跡が発見されて、この説が認められることになったのだそうです。このチクシュルーブ・クレーターを掘削したのは、2016年であると、今日のNIKKEI STYLEで配信されていましたので、これからますます、この情報は、地球の履歴書の中に書き込まれていくことでしょう。
今から2万年前の海面は、今より130メートルも低かったそうです。さらに10万年前は海面は今と同じ位だったそうです。地球の歴史の中で、海面は上昇したり、下降したりを繰り返しているようです。海底火山も年中爆発しているようですし、とにかく地球は生き物なのだということを、あらためてこの書から学びました。
今も二酸化炭素の増加により、地球はますます温暖化を加速していくことでしょうが、一番、人類の滅亡に関係のありそうな可能性は、巨大隕石の衝突ではなかろうか、と、この書を読んで考えました。
それまでの間、地球上の生物、人間も含め、すべての生物は、この地球上で遊ぶことを許されてあるのだ、と受け取りました。どなたもいろいろな問題はあるでしょうが、こうして人間として今生、生きていることの不思議をあらためて思い返したいと思います。私自身も、なかなか払拭できない苦しみもあります。一番は母のこと、次は僧堂に修行に出していた弟子を、そこの僧堂長が自分の弟子にしてしまったことです。理不尽ではなかろうか、という義憤をなかなかすっきりと払いぬぐうことをしかねています。その道場長は50人もご自分の弟子がいると自慢していたそうですが、修行僧として預けた、私のたった一人の弟子があまりに優れている子なので、僧堂長が自分の弟子にしてしまったのです。蹴とばしてやりたいほどです。世の中に素晴らしい方と崇められている尼僧がそのようなことをしています。そうして白亜紀の恐竜の絶滅に興味を持っているような私なのに、身近な自分の問題をスッキリと拭いさることができないでいたりする訳です。おかしいですね。そのうちに時が来たらこの義憤からも、私も抜け出られる時がやってくるでしょう。
皆さんもご自分の人生でいろいろと悩みや苦しみがおありでしょうが、お互いに苦しみつつ、生き抜いてまいりましょう。巨大隕石が衝突すれば、一瞬にしてすべては終わりですが、あのこともこのことも皆、この地球上で遊ばせてもらっている一つの姿です。
きな臭いこの頃です。平和でありますように。平和であればこその悩みや苦しみも多いと思います。人類も全ての生物も、グレイト・サムシングの創造物でしょうか。
今日は39才であの世に帰った方の法事を勤めさせていただきました。3歳の遺児が元気な子で、パパはきっと、あの世から見守っていてくれていると信じます。
少々長い、且ついろいろと書きつらねまして、ここまでお読みくださった方には、御礼申し上げます。
ところで失礼を承知で言いますが取られたというお弟子さん御本人の意向もあったのではないでしょうか?一歩的に出来ることでもないのでは?
地球人類の滅亡については、だれも自分の時ではなかろうと思うから生きていけるのですが、そういうこともある今の命だ、と受け取ることが大事ではないかと思います。
弟子のことは、勿論本人の意思があります。が、そのように仕向け、諭さない僧堂長は大人なのですから、私から言わせれば、無慈悲だということです。負け犬の遠吠えであることと、弟子はまだ子供なので、あまり悪くは言いたくないのです。愚石さんのように正当論を言われると、君はそういう奴か、と、言うことですね。