60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

散歩とカメラ

2012年10月12日 08時17分24秒 | 散歩(3)
 土曜日曜と出かけ、三連休の最後「体育の日」は家にいた。しかし秋晴れの良い天気である。家でゴロゴロしているのはもったいないと思い近所を散歩することにする。所沢も市街地を少し離れると農地で畑が広がる。そんな田園地帯をただ気の向くままに歩いていると、季節の変化を目で確認することができる。異常に長かった夏だったが、外に出るとそこには彼岸花やコスモスが咲き、柿が色付いている。歩いていても汗もかかず、時折涼しい風が吹いてくると、もうすっかり秋になったのだと実感する。散歩は私にとって日常から離れ、心を癒してくれる一番簡単な手段である。

 本格的に散歩を始めてからもう10年以上が経過するだろう。初めはひたすら歩いていた。しかしただ歩いているだけでは趣向がないと思い、デジカメを持って歩くようになった。デジカメだからプリントアウトしない限り何枚撮ってもお金はかからない。歩きながら自分の気が向いたものにカメラを向けシャッターを切る。3~4時間の散歩なら200~300回程度はシャッターを切っているだろう。それを後でPCに取り込んでその中から自分の気に入ったものだけを抜き取っていく。同じ被写体でも角度を変えて何枚か撮っていると、写真の雰囲気が微妙に違ってくるのが分かる。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる方式である。そして今度は撮るときに少し構図を考えるようになる。

 私の写真の好みは、綺麗な写真ではなく自然な写真である。人物にしてもカメラ目線ではなく、撮られることを意識していない方が面白いと思っている。だから風景写真も、「この一枚」「この一瞬」と言うのではなく、日常の風景のある部分を切り取り、その場の雰囲気を表現できれば良いと思っている。そのためカメラも相手が撮られているという意識が働かないようなに小さなカメラが良い。一眼レフより小型カメラ、小型カメラの中でもレンズが飛び出さないカード型の方が好みである。すばやく起動して軽く小さなもの、散歩の時に手に持って歩いても違和感がないものが良いのである。デジカメもどんどん進化し、小型でも機能は多彩で驚くほど充実しいる。今はソニーのサイバーショットDSC-TX55という機種(上の写真の黒)を使っている。型落ちで14800円で買った品であるが、今はこれが一番のお気に入りである。

 散歩にカメラを持って歩くことで写真を撮るという目的ができる。写真を撮ることで周りを観察する目が養われる。数多く写真を撮ることで、どうすれば雰囲気を織り込めるかを考えるようになる。光や色や構図を考えているということは、写真が単なる記録ではなく「自己表現」の手段になっているのである。今水彩画教室に通っているが、やがてスケッチブックを持って野外に出る日を目標にしている。散歩が健康管理という目的から、写真や水彩画へと広がっていけば、私にとっての老後の楽しいライフワークになっていくのかもしれない。
 仕事をやめたとき、デジカメとスケッチブックを持って日本のあちらこちらを旅して歩く、これが今の私の夢である。

      

      

      
                     カメラの背景ぼかし機能を使う

               
                         鶏頭(ケイトウ)

               

      

      

      
                     蝶にピントを当てて背景をぼかす

               
                            クマ蜂?

               

               

      

      
                           小川

      
                          小手指ヶ原


                       パノラマ機能を使ってみた

      
                       上の風景を絵画調に撮る

      
                     絵画調にすると秋の雰囲気がでる

      

      
                            空が広い 

      
                            蜘蛛と雲

      
                             芋畑

      
                         すっかり秋の空

      
                   無造作に畑の中に落花生が干してあった

      
                          農家の集合地区

      
                            北野神社

      
                        北野神社本堂(絵画調で)

散歩(川崎)

2012年07月25日 09時06分49秒 | 散歩(3)
                           川崎大師 風鈴市

駅からの散歩

No.345         川崎~川崎大師           7月22日

 我々の年代だと「川崎」と聞けば、公害の街のイメージが強い。戦後のモクモクと黒煙を上げる工業地帯の映像が記憶にあり、また「川崎病」という名も水俣病のように川崎市が発祥と混同したりで(本当は発見者の名)、殺伐としたイメージが植えつけられている。
 東京に来て40年以上経過するが、川崎駅に降り立ったのは今回が初めてである。駅は東西の自由通路になったコーンコースがあり、大宮駅に似た雰囲気である。駅前は大きなビルが林立し、その近代的な装いに今まで抱いていたイメージとのギャップを感じる。しかし街を歩くと、どの商店街も寂れて閑散とした様子である。町全体は緑が少なく、川崎競輪、川崎競馬、堀の内のソープ街と、やはり少し荒れた感じがする。これが昔の工業地帯の名残なのであろうか。

      
                             JR川崎駅
                       コーンコースは東西自由通路

      
                         川崎駅東口 アトレ川崎

      
                              西口通り
                        かつては東芝の工場があった

      
                         ミューザ川崎 音楽ホール

               
                           工事が進む駅西口

               

      
                             ハッピーロード

               

      
                   南部鉄道川崎海岸線の跡に出来た「さいわい緑道」

      
                             さいわい緑道
                    生い茂る木々や花壇が目を楽しませてくれる

               

               
                            野生化した朝顔

      
                         国旗がひるがえるニコニコ通り

               

      
                              砂子通り

      
                            六郷の渡し場跡
              1600年徳川家康が橋を架けたが1688年の洪水で流失、
                  以降架橋はされず、もっぱら渡船が用いられた。

      
                              多摩川
                          対岸は東京都大田区

      
                    川が氾濫すると水に浸かりそうな京急線

      
                          堀の内 ソープランド街

               
                       旧川崎宿の色町の名残を伝える

      
                              稲毛神社
                    ビルが並ぶ市街地にあって貴重な鎮守の杜

      
                              稲毛神社

      
                            漫画チックな狛犬

      
                           緑が多い富士見通り

      
                          伊勢町本通商店街

               

      
                      神明神社 盆踊りの準備がしてある

      
                             大師公園

      
                   中国自然散策庭園 藩秀園(しんしゅうえん)

               
                       藩秀園 中国藩陽市から贈られた

      
                           川崎大師 仲見世

               
                              飴切り

      
                              仲見世

      
                      広島風お好み焼きいは行列が出来ている

      
                        日本人は屋台で飲むのが好き

      
                               風鈴市
             全国から900種、3万個の風鈴を一堂に集めた日本一の風鈴市

      

      

      

               
                               風鈴市

      
                              川崎大師

      

      

      
                            川崎大師 本堂

               

                            川崎大師駅へ

散歩(多摩~町田)

2012年07月11日 12時30分03秒 | 散歩(3)
                         布田道 切通し

駅からの散歩

No.344   多摩センター~町田       7月8日

 「むかし道を歩く」、今日は多摩丘陵を縫うように貫く古道を歩く。若き日の近藤勇や沖田総司が、剣術修行に明け暮れて通った布田道から小野路へ。歴史ある古社や憩いの公園が点在する散歩コースである。

      
                         多摩センター駅

               
                      バスで多摩市豊ヶ丘六丁目へ

      
                     バス停から南に歩くと山道に入る。

      
                      小型車がやっと通れる狭い道

      
                   山と畑だけで民家はまったく見当たらない

      

               

               

      

      
                    古道を歩き始めて誰とも出会わない

      
                           布田道

               

      
                           切り通し

      
                  布田道は幕末に近藤勇などが通った道とか

      
                       分かれ道に立つ地蔵

               

      
                自由民権運動で活躍した村野常右衛門の生家

      

                
               中が空洞になったまま立つケンポナシの大木

      

               

      
                         野津田神社

      
                          民権の森
          町田が輩出したした民権運動家の資料を展示した資料館などがある

      
                         町田ぼたん園

      
                     4月下旬から5月上旬が見ごろ

      
                     カフェガーデン風見鶏で一休み

               
                       屋根の上に風見鶏

      
                  アンティーク調の店内は落ち着いた雰囲気

      
                 ステンドグラスや柱時計が雰囲気を醸し出す

      
                  店内は私一人で、間が持てず落ち着かない

      
           オーナーは以前ガーデンデザイナーの仕事をしていたそうである

      
                          町田薬師

      
                           薬師池

      
                          薬師池公園

               
                      薬師池からバスで町田駅に、




思い出の山口

2012年06月29日 08時33分53秒 | 散歩(3)
 親と離れ、初めて旅行したのが山口である。中学生の夏休み、3歳下の弟を連れて山口の叔母(母の妹)の家に遊びに行くことになった。下関から山陽線の汽車に乗って小郡(今は新山口駅)まで、さらに山口線に乗り換えて山口まで、下関からは3時間程度かかったと思う。当時の私には一大決心が要った旅行である。

 母が事前に手紙で連絡しておいてくれたので、従兄弟2人が山口駅まで迎えに来てくれていた。従兄弟は男2人の兄弟で、長男は私と同じ歳、次男は弟と同じ歳である。2人は叔母さんに言われていたのだろう、我々2人を市内観光させながら家まで案内してくれた。駅からバスに乗り、最初にザビエルの塔に案内してくれる。そこから歩いて山口県庁へ、県庁は叔父さんの勤め先である。県庁舎は昔の山口城の跡に建っている。従兄弟の後を付いて歩いた道に、その城跡の石垣を覚えている。県庁から瑠璃光寺の五重塔を見て、トウモロコシ畑の中を歩いて家に着いた。家に着く頃には従兄弟たちとすっかり打ち解けていた。それから一週間、朝起きて寝るが寝るまで、4人は一緒に遊んでいた。もぎたてのトウモロコシの味、スイカやブドウの従兄弟達との早く食い競争、川で泳ぐことの珍しさ、8月7日の七夕の日のちょうちん祭り、自分史の中に鮮明に記憶されているワンダーな夏休みであった。

 私が高校生になった頃、叔父さんは山口県庁の東京事務所に転勤になり、従兄弟達も東京に引っ越していった。叔母夫婦は何年かして山口に帰ってきたが、そのときは従兄弟は大学や就職ということで自宅を離れていた。私も下関を離れ東京に出てきたから、山口を訪れる機会は無くなってしまう。15年前に叔父さんが亡くなり、最後まで山口の家に一人で住み続けていた叔母さんも、昨年2月に亡くなった。今あの家には誰も住んでいない。

 今回、岡山に用事があり、「せっかくここまで来たのだから」と山口を訪れてみることにした。山口に行くのはたぶん55年ぶりだろう。岡山から新幹線で新山口まで、新山口駅に着いたとき、たまたま山口線の津和野行きSL列車の発車時刻が迫っていた。「昔を懐かしむならSLで行こう」、そう思って早速切符を買って飛び乗った。懐かしい汽笛の音、煙のにおい、時速40km程度のSLのスピードは、都会の高速になれた感覚には、反対に新鮮で心地がよい。沿線には植えたばかりの水田が広がり、線路に沿った道路を車が並走している。踏切でカンカンと警報音が鳴り、子供達が列車に向かって手を振っている。

 山口は「西の小京都」と言われている。足利尊氏の時代、周防長門の守護職として勢力を確たるものにした大内弘世は、京に強烈な憧れを抱き、都を模した街づくり始めた。以後約200年、歴代の当主も同じ夢を抱き、名実ともに「西の京」としての町づくりに励んだ。町は京都の何分の一かの規模であろうが、周りは山に囲まれて盆地の中にある。町並みは碁盤の目のようになって、見通しが利く。古い神社仏閣がいたるところに点在していて、歴史とともに街がある。しかも山口は瀬戸内海工業地帯の幹線から外れているため、その発展の波に飲み込まれることがなかった。それが幸いしたのか、街にはビルが少なく、民家も昔ながらの平屋が多く、町全体が緑に包まれている。だからなのか、歩いていても圧迫感がなく、開放的な気分になってくる。

 県庁所在地でありながら時代の流れから取り残された町、そういうことからすれば、山口は今の京都よりはるかに「昔の京」の雰囲気が残っているのではないだろうかと思う。あいにく梅雨の雨降りで一日中傘をさして歩いていたが、しかしその方がしっとりと落ち着いて風情がある。昔、従兄弟に案内されたザビエル聖堂から県庁へ、そして瑠璃光寺の五重塔をたどって懐かしい叔母さんの家へ、久々に都会の喧騒を離れ、SLに乗ってタイムスリップした感じである。

      
                             新山口駅
                新山口と島根県の津和野までを走るSL「やまぐち号」
                     基本的には土日祭日で一日一往復

      
      「C571」は1937年(昭和12年)に製造、女性的なスタイルは「貴婦人」と呼ばれ
      人気があった。全国で蒸気機関車が廃止のあと、1979年この山口線で復活する。

               

      
                          客車は昭和スタイル

               
                          窓の止め具が懐かしい

      
                          JR山口線 山口駅
                    県庁所在地駅としてはさびしい駅である。


               
                         消失した旧ザビエルの塔
       フランスコ・ザビエルの来日(山口での布教活動)400年記念として1952年に
       建てられた。市民にも広く親しまれていたが、1991年9月に失火により全焼した。

      
                      新たに再建されたザビエル記念聖堂
      種々の協会関係機関、山口県の信徒と山口市民、全国から寄せられた募金により
      1998年(平成10年)に再建された。亀山の中腹に立つ50m超の2本の塔は遠く
      からでも眺めることが出来、山口市のランドマーク的な存在にもなっている。

               
     フランシスコ・ザビエルは1506年、6人兄弟の末っ子としてスペインのナバラ王国の
     ザビエル城で誕生する。1549年(天文17年)43歳の時に今の鹿児島に着いた。

      
             礼拝堂は前衛的な雰囲気で、後ろにパイプオルガンがある。

               
                            大聖年の鐘

      
                        井戸端で説教するザビエル


                      亀山公園から山口市内を眺める。
     山口は四方を山に囲まれた盆地の町、樹木が多くしっとりと落ち着いた雰囲気である。

      
                         左の建物が山口県庁
                  写真の右の山裾あたりが叔母の家がある場所

      
                           静かな住宅地

      
                 山に囲まれているから、あちらこちらに川が流れる。

                 
                           山口大神宮

      
                   山口大神宮 手前が外宮、奥が内宮

               
                           山口大神宮

      
                            山口県庁
      この地には元々山口城があり、その後旧山口藩庁が置かれていた。その後旧県庁舎、
     県会議事堂ができる。しかし、手狭になったことから敷地の隣に現山口県庁が整備された。

      
                           旧山口藩庁門
     長州藩主毛利敬親が幕末の有事に備え政事堂建設を着工し、この門は政事堂の門
     として建設された。その後山口藩庁の門として使用されていた。

      
                            旧県庁舎

               
                           旧県庁舎内部

      
                           旧県会議事堂

      
                           旧県会議事堂

      
                            城跡の石垣

      
                      洞春寺 大内持盛の菩提寺

               
                  本堂を使って中学生が合唱の練習をしていた。

      

               

      
                         瑠璃光寺(るりこうじ)

      
                            瑠璃光寺

      
                        国宝・瑠璃光寺五重塔

         
      日本三名塔の一番に数えられ、室町中期における最も秀でた建築物と評される。

               
                           そば寿司で昼食

      
                             木町橋
     子供の頃、従兄弟に宛てた年賀状の住所は山口市木町橋上○軒目、と書いていた。

      
                      木町橋の下を流れる「一の坂川」
                 この川の上流の小さな浅瀬で泳ぐのが楽しみだった。

      
                         叔母の家の前の道、
          昔は舗装されていず、この道を行けば次第に細くなりやがて山道になった。

               
              昨年2月に亡くなった叔母の家、今は誰も住んでいない。

      
                            野田神社

      
                            豊栄神社

      
                             菜香亭
          明治10年ごろ創業し、平成8年までの間、山口の迎賓館として井上馨、
              伊藤博文、佐藤栄作ら時代を担った人々が集まった料亭。

      
                 100畳の大広間には歴代の首相の扁額が並ぶ

               
                            佐藤栄作

               
                            伊藤博文

               
                            安部晋三

               
                            田中角栄

               
                            竹下 登

               
                            山縣有朋

             安部晋三、竹下登の書は線が細い。やはり書は性格を現すのか?

      
                         龍福寺 大内氏館跡

      
                          昔ながらの住宅地

      
                        市街中心を流れる一の坂川

      
                            中心商店街

               
                             かやくうどん
        このあたりのうどんは細い丸麺、「かやくうどん」は最もポピュラーなうどんの名称、
        「かやく」とは「火薬」ではなく「加薬」で漢方の用語、「かやくご飯」など具材が
        加わるときに使う関西地方の方言か?
           

      
                        山陽新幹線 新山口駅