60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

希望

2008年12月29日 10時34分54秒 | Weblog
今、日経新聞の文化欄に「オン・ザ・ロード10選」というコラムがある。
そこには有名画家が描いた「道」が取り上げられている。
画家は「道」という題材の中に何かを見いだし、何かを託して描いたのだろう。
来年は自分の歩く先の道に、少しでも明るいきざしが見えてくれればと願うばかりである。

このブログ会社のPCから更新しているため、年末年始はお休みとします。
年明け、9日よりまた再開する予定です。
来る年は皆さまにも良い年でありますようにお祈りしております。



胃痛

2008年12月26日 08時11分29秒 | Weblog
1ヶ月前から少し胃の調子が悪い。胃が特に痛むわけではなく、何となく胃が重たく、いつも張って
いるような感じがする。四六時中、胃がここにあるということを意識し続けているような症状である。
会社の近くの町医者に行ってみたが、医者は症状を聞いて胃薬を出してくれただけである。
この1年半近く健康診断を受けていないから、この歳になるとやはり気になのは胃癌である。
先週もう一度その医者に行き、「まだ症状が変わらないからレントゲン撮ってください」と頼んでみた。
以前はこの医院もレントゲンの設備はあったのだが、今は技師が居ず他の病院へ頼んでいるという。
医者は診療室から直接上野の永寿病院へ電話をして予約を入れてくれる。

翌朝、照会状をもらって永寿病院へ行った。
手続きをして、待つこと20分、レントゲン室に呼ばれ、一通りの手順と注意事項を聞く。
もう何回も経験したがバリュームを飲まされ、レントゲンの前でぐるぐると回転させられるのはきつい。
その後、30分ぐらい待って出来上がったフイルムを持って、町医者に行った。
永寿病院の検査結果を見て「特に、癌とか潰瘍といった目立った症状は出ていませんね。
たぶん胃が荒れているのでしょう。年末だから酒に気をつけてください。薬を出しておきましょう」
ということで、また2週間分の薬の処方箋を書いてもらった。

潰瘍など目立った症状は無くても、現実に胃痛はあるわけで、それには原因があるのだろう。
特に暴飲暴食もしていないし、やはり原因はストレスからであろうか?と思ってみる。
今、営業している仕事は1回の取引量とすれば自分にとっては過去最大の取引金額。
硬質のフィルムの印刷物で、初めて経験する商品で、初めての仕入先でもあり不安がつきまとう。
この仕事でトラブれば、今後の仕事に大きな影響がある。
未知の部分が多いだけに、自分自身の自信のなさが浮き彫りになり、不安はぬぐい切れない。
もう一つは先月から始めた株の購入。自分の蓄財を掛けているのだから、自分の生活に関わる。
度胸を決めているといえ、やはり毎日の価格の変動は気になる。それがストレスなのだろうか?

ストレス、これは生活する上で、大なり小なり、いつもつきまとってくる問題だろう。
今回の胃痛が仕事上の問題にあるとすれば、やはり逃げるに逃げられないストレスである。
何かを実行していく上で掛かる負荷、どこかに誰かにヘッジできれば楽なのだが、そうはいかない。
自分一人でやっているのだから、何をするにもすべて自分の責任である。逃げようがない。
こんな時に、ポジティブに考えられるか、ネガティブに考えるかで、ダメージは大きく違ってくるだろう。
全てを悪い方に考えれば際限なく不安が募る、そして最悪の状況まで想定してしまうのだろう。
自分自身は人と比較しても楽天的に考える方だろうと思っている。
物事の判断に当たっては今までの経験や知識を総動員して出した結論であるはずだ。
だから、その時点で、それ以上の判断はない。だから失敗すればそれはそれでしょうがないだろう。
人の指図で動いたのならば悔いも残る。しかし自分で判断し、決めたことだから納得する。
いつもそんな風に考えようとする。そうでないと自分が自分を追い詰めてしまうから。


2008年12月19日 08時30分38秒 | Weblog
彼は長い間、うつと闘っている。
もう4~5年前からであろうか、朝出社してからでも机にうつ伏して寝ていることが多くなった。
薬の性なのか、それともうつ症状なのか、午前中は自己コントロールが難しいようである。
なかなか改善しないからなのか病院を変え、今は大学病院に通って薬をもらっているようである。
そんな彼がこのところ一段と症状が悪化してきたのか、仕事上のトラブルが多くなったようだ。
先日もお客さんからの注文を聞き、返事をしていたのに忘れてしまっていて大きなクレームになった。
どちらかと言えばアナログタイプ、記憶を頼りの仕事だから、症状の悪化と比例してミスが多くなる。
トラブルが多発すれば、社内外の後処理が多くなって周りの社員や仕入れ先にも負担がかかる。

また、彼の営業手法でもあるのだが、得意先の若い連中と頻繁に酒を飲む。
アルコールを飲む時は薬の服用はまずいのだが、宴席で自分を保つため薬は止めないようである。
すると薬の効き方が過剰になるのか、飲み会が進むに従って異常にハイな状態になるようである。
そのために相手と口論になったり、騒いだりして客先からは顰蹙を買い敬遠されているようでもある。
最近そんな話も色々と聞こえてくる。

彼は会社ではオーナーと隣り合わせで座っている。そのため頻繁にオーナーから声がかかる。
しかし最近はそのオーナーの問いかけに返事を返さない事が多いらしい。
本当に聞こえなかったのか、面倒で無視しするのか、それともとっさに反応できなかったのか、
普段は穏やかなオーナーもその時はきつい口調になるようである。「オイお前、聞いているのか!」
先日は営業会議の席で寝てしまったようだ。
6人のこじんまりした会議、その会議の席で寝られてはさすがにオーナーも皆に示しがつかない。
「やる気がないのなら、この場から出ていけ!」と、その会議室を追い出されてしまったようである。

彼の性格は「強いものに弱く、弱いものに強い」典型的な順列型のタイプである。
だからオーナーの言うことには服従であり、そのことで気に入られ、評価もされてきた。
しかしそれが彼を天狗にさせ「俺こそ、次代を担う男だ!」と自負をし横柄さを助長していった。
彼の実力がそれに伴っていればある程度は会社の中での地位は定まってくるのであろう、
しかしいい加減な仕事ぶりは周りにも敬遠され、次第に浮いた存在になって行ったように思う。
そしてオーナーの依怙贔屓は社内の不満が募り、会社の調和をも乱す結果になっている。
彼の中の妄想にも似た虚像と、地に落ちた実像のギャップは年々大きくなったのかもしれない。
彼を見ていると、人に内在する性質や性格(基本ソフト)が周りの環境や変化について行けなく
なって破綻したとき時、うつは発症していくのだろうということが推察できる。

オーナーは彼に病院も紹介したこともあり、今の状況は充分に承知しているはずである。
当然、鬱に対する知識もあって、彼に対してはなるべく自由にさせ、あまり注意もしていなかった。
そして仕事のミスや客先とのトラブル、はたまた報告書の書き方までもホローしてやっていた。
そんなオーナーも最近は彼の仕事ぶりや言動に苛立ちを隠さず、態度も冷たくなったように思える。
あまりに長く改善がないからなのか、それとも仕事上でのトラブルが頻発してきたからだろうか
オーナーの彼に対しての微妙な変化を感じとった社員は、同じように彼へのスタンスを変えて行く。
今までは「虎の威をかる」横暴な言動に、どちらかと言えば皆が泣き寝入りしていた部分もあった。
しかし最近はあからさまに非難するようになり、責任を追及するようになり、反発し始めたのである。
「あんな奴の仕事は手伝わない」「あいつのために迷惑させられる」「お客さんが怒っているぞ!」
その輪はどんどん広がって行き、彼に対する攻撃の包囲網が出来上がってきたようにも感じる。
そしてますます彼の状況は悪くなっていき、彼も彼で疎外感を募らせていくのだろう。
これが病気による周期的なものであればいいのだが、立ち直れなければやがて仕事も難しくなる。

昔、養鶏場で聞いた話だが、
何十羽も一緒に放し飼いされたニワトリの中の弱った1羽にあるニワトリが突いて傷をつける。
そうすると、周りのニワトリがそれにならって、そのニワトリをつつき始める。つつかれれば逃げる。
だんだんそれが激しくなって、その傷が大きくなり血が出てくる。そうするとさらにつつきが激しくなる。
そのニワトリはおびえ逃げまどい、餌も取れずに弱ってしまい、とうとう死んでしまうそうである。
誰かが、面白がってつつく。それが合図で皆がつつき始める。それがいじめなのだろう。

今回の場合、彼を庇護していたオーナーが彼をたたいた。
それをきっかけにして、誰かが彼のミスを叩く、叩かれても自分のミスだから反発できない。
会社も人間集団、言いかえれば動物の集団でもある。
自分の立場を良くすために、常に自分の障害になる存在を叩いておこうとするのだろう。
それは意識していなくても自然にそうなって行く。やはり本能的なものがそうさせるのだろうと思う。
そんな時彼の性格が災いしているのか、誰もが手を差し伸べず、誰もが彼を助けない。
養鶏場の主人が言った「そうなったらそのニワトリは隔離するしかないですね」
これ以上攻撃がひどくなるようであれば、一時的にでも会社を休ませた方がいいのかもしれない。

東京マーケット

2008年12月16日 09時06分54秒 | Weblog
先週金曜日午前中は8600円をうろうろしていた株価が午後になって一気に下がり始めた。
ビックスリーの救済が上院で不調に終わり、一時円が90円を割って88円をつけたからのようだ。
何かの予兆があれば、株価は敏感に反応する。世界中がビリビリしている感じである。
今まで買っていた株が少し上がって、そろそろ値上がりに転じるかと期待した矢先のことである。
せっかく浮上しかかった投資資金がまた水面下、それも結構奥深く潜ってしまった。

東京マーケット、1日20億株以上が売買され、1兆~2兆円のお金が動く。
金融関係の会社から個人投資家まで国内だけでなく海外から参入して東京マーケットは動く。
誰もが儲けようとして、このマーケットに参加してくるわけである。
会社の業績の見通し、市場予想、政治、経済から気候まで全てのものが読み込まれて動く。
何10万人なのか、何100万人になのか、参加する人々のあらゆる思惑が交差する。
まさしく世界を相手に開帳している鉄火場である。
営業時間は午前は9:00~11:00、午後は12:30~15:00計の4時間半。
その間、勝負している人は刻々の変化に耳目が集まり、株価の上下に一喜一憂する。

親会社のオーナーはこの道40年のベテランで、この世界は知り尽くしていると、自負している。
彼曰く、
安い時に買い、高い時に売る。それができれば大儲である。しかしそんなことはありえない。
安い時にはまだ安くなるのではないかと思い。高くなればまだ上がるのではと思うのが人情である。
株を持っていなければ買い損ねたのではないかと焦り、持っていればいつ下がるかと不安になる。
だから、毎日の株価の乱高下に一喜一憂してしまう。
今まで見ていて、常に株を買ったり売ったりする人で儲けた人を知らない。必ず損をしている。
今年の夏場からのマーケットの状況がいい例である。
夏場までに株の売買していた人は自分の持っている大半の金を株に投資していたはずである。
そして今回のような急な暴落にはほとんどついていけず、大半の投資家が大損してしまった。
今、株価が安くなったから買っておこうとしても、安くなった株を売るに売れないからお金がない。
株をやっていた大半の個人投資家はこの安い株価を指を加えて見ているだけである。
毎日のように株をいじっている個人投資家は何時かは必ず負ける。これが株であり博打である。

では誰が勝つのか?
それはバブルがはじけることを何となく気配として感じ、株を手放し現金で持っていた人達だろう。
そんな人は今株を買うことができる。今はほとんどの株が売られすぎで、安すくなりぎである。
だから今買っておけば大半の人が儲かると思う。ただし2~3年はほっておく覚悟がいる。
今の世界不況は2年もすれば必ず立ち直ってくる。その時に売ればいい。
今度は売る時が問題。人はまだ上がるのではないかと期待する。だからなかなか手放せない。
ではどうするか、それは幾らまで値上がったら売るという目標を持っておくことだろう。
投資金額に対して何割儲かったら売るという目標を決めておく。そしてその時点であっさり手放す。
その後さらに値上がりしてもそれは仕方がない。そして以降は株に手を出さない。勝ち逃げである。
常に株はやらず、時期に応じて株に変え、時期により現金にする。これが株で勝つ方法である。

このことがオーナーが私に言ったご託宣である。
私自身この意見には同感である。だから今現在自分の蓄えの8割まで株につぎ込んできた。
そして後2割で今後の株価に応じて、買い増し、後は2~3年じっくり待っていれば良い。
そして投下資金の1.5倍(50%の利益)が出ればあっさり売ってすっぱり株を止める。
これが今の目標である。
「捕らぬ狸の皮算用」もう儲かった気でいる自分の感覚が自分でも不思議である。
まあそれだけ確信に近いものがあるのだろう。それとももう後には引けない覚悟なのか。
しかしこの世界、何が起こるか分からない。また大きく2転3転することもあるかもしれない。
そう思うと、毎日の世界状況が気にかかる。
昨日はビッグスリー救済見通しがついたという観測からまた株は値を上げていった。
「もっと上がれ!早く上がれ!」そんな心の声がある。
昨日のニューヨーク市況は少し値を下げて終わった。今日の東京マーケットは?
こんな風に世の中の流れが気になる毎日、歳をとった私にはいい刺激になるのではとも思っている。

カイロプラクティック

2008年12月12日 08時18分59秒 | Weblog
Mさんが腰痛で休み始めてもう1ヶ月近くになる。
ここまで長引いているということは、相当重症なのか、今の治療が進んでいないのだろうと思う。
私も以前腰痛で苦しんだことを思い出して、Mさんに電話をかけ様子を聞いてみた。
彼は最初に地元の医者に行ったそうだ。そこではレントゲンを撮って、医者は「レントゲンで見ると
脊椎の一番下の骨と骨の間隔が狭くなっている。したがってヘルニアかもしれませんね。しかし
今は痛みが治まるまで、安静にしておくしかないでしょう。収まってから治療方法を考えましょう」
ということで湿布薬をもらっただけだったそうだ。
それでは埒が明かないと思い、同僚から話を聞いて獨協大学の整形外科へ行った。
ここでは患者が多すぎ2時間待ちの10分診察、CTスキャンの検査は19日まで順番待ちで、
詳しいことは分からず、当面痛み止めなどの3種の薬をもらって飲んでいるだけだそうだ。
結局今まで治療らしい治療が受けられず、苦痛に耐える日々をすごしていたようである。

もう10年以上も前の話だが、私も腰痛で会社を休んだことがある。
お正月に女房の実家に車で行った時、実家に着いて車を降りた、とたんに激痛が走った。
腰と右の太腿部の激痛で動けなくなった。腰をくの字にして横たわるだけで寝返りも打てない。
お正月ということもあり、どこの医者も休診である。ただただ痛みに耐えて3ヶ日をすごした。
確か4、5日が土日で、その後も病院には行けず、仕方なく実家の近くの鍼灸医院へ行った。
2日間針に通い少し体が動くようになったので、痛みをこらえながら這う這うの体で家に帰った。
帰ってから接骨医へ行ったが、レントゲンを撮り、患部を温め、湿布薬をもらって終わりである。
「なんだ、こんな治療しかしてくれないのか」、そのおざなりな治療にがっかりした記憶がある。
その後は何とか会社には行ったが、痛みで仕事もままならない状態が続いたように思う。
そんな時に、話を聞いたS氏が「自分も腰痛でくるしんだ経験がある。だまされたと思って私の
紹介する整体師の所へ行ってみたら良いと思う。2、3回通えば絶対に良くなるから・・・」と、
埼玉県の吉川市にあるカイロプラクティックなるものを紹介してくれた。
「痛みから解放されたい」、ワラをもつかむ気持ちで、そのカイロプラクティックへ行くことにした。

10畳くらいの小さな部屋にベットと施術台があり、先生以外誰もいない怪しげな施設である。
その先生に今までの経過を説明し、この痛みを何とかしてほしいと懇願する。
ベットにうつぶせになると、腰骨の両側を木の棒を強く押しつけるような感じで揉んでいく。
手を握って指の関節の骨の部分を強く押し当て脊椎の間を広げている感じである。
それを繰り返し繰り返しやって行くことでコリをほぐしていくのであろう。しかしかなりの痛みである。
マッサージを30分した後、施術台に移る。そしてうつ伏せになっている状態で、腰や首を押さえつけ、
掌でガクンと背骨を押して衝撃を与える。それを20分程度行った。
その時はその衝撃に背骨が耐えられるか、骨がおかしくなるのではないかと不安な気持ちになった。
その後もう一度マッサージと整体が続いて、約1時間の施術が終わる。
先生の丹念な施術が功を奏したのか、痛みは和らいで、歩くのもすこし楽になった気がした。
「これで痛みから解放されるかもしれない」、その時ホッとした安ど感があったのを今も覚えている。
結局その時はそのカイロプラクティックへ3回通った。そして約1週間くらいで腰痛は治まった。
その後も2度ほど軽い腰痛は起きたが、その度に先生にお世話になっている。

私の腰痛治療に関する知識はその時の自分の体験とその先生の説明が基本になっている。
脊椎は本来、体の横から見ればS字形に、後ろから見れば真っ直ぐなっているのが基本である。
しかし姿勢が悪いと次第に脊椎のバランスが悪くなり、周りの筋肉に負担が掛かって固まってくる。
その結果筋肉が炎症を起こしたり、背骨がゆがんできたりする。そしてその歪んだ部分に神経が
触って痛みが起きる。足に向かう神経も腰を経由するから、その神経が骨に触ると足が痛んだり
しびれたりする。だから治療すには筋肉のコリをほぐし骨を正しく矯正し神経を養生するしかない。
しかし今の医者は骨に直接タッチする治療はやらない。それで患部を温めたり湿布するしかなく、
根本的な治療にはなっていないのが現状である。
バランスの崩れた姿勢で腰を使い続けると、一部分に負担がかかり、その部分が摩耗していく。
そのまま放置するとやがて髄核(中心部分)が飛び出し、椎間板ヘルニアになってしまう。
カイロプラクティックでやる施術は、骨と神経を有るべき姿に戻す手伝いをする。
そのために周りの筋肉のコリをほぐし骨を正常な姿に戻し、そして体中に張り巡らされた神経を
正常な状態に戻していく。そんな理屈である。

Mさんに電話で状況を聞いたとき、以前の私の状況と似ていると思い、
「だまされたと思って私の紹介する整体師の所へ行ってみない?」とSさんと同じことを言った。
「ただ保険がきかないから1回5、6千円ぐらいで、3、4回通ったとして約2万円はかかるが・・」
と費用がかさむことだけは付け加えておいた。
Mさんも、痛みから解放されるならお金はかかってもしょうがないという気になったのだろう。
「行く行く、すぐに紹介してください」と言いだし、その日のうちに予約し、連れて行くことになった。

何週間ぶりで会うMさんは少しやつれた感じで、立っているのも辛そうである。
少し腰を折り曲げ前かがみになり、足を開き加減で歩くMさんは障害者のような姿で哀れである。
カイロプラクティックに着き、一通りの問診を済ませた後、衝立1枚で仕切られたの施術室に入る。
ベットにうつ伏せにされ、先生が腰を触る都度、「あっ!」「う~っ!」「痛い!」と声がする。
「大丈夫、大丈夫、判ってやっていますから安心して・・」と先生はなだめながら施術を施していく。
1時間経ったろうか、丹念にマッサージされて施術室を出てきたOさんの顔に笑顔が戻っていた。
「楽になった感じで、もうビッコを引かづに歩けるんですよ。まだ腰を伸ばすのが怖い感じですがね」
次回の予約をしてカイロプラクティックを出たMさんは快方の目途がついたのか表情は明るかった。
「酒でも飲みに行きませんか?」と冗談まぎれに言ってきた。
3週間も家に閉じこもっていたから、気分を紛らわせたかったのだろう。

翌週Mさんからで電話が入った。
「これから3回目のマッサージに行きます。もうピンと腰を延ばして歩けるんですよ。犬の散歩も
できるようになったし、ただもう少し芯に痛みが残っている感じですね。来週から会社に行ける
ようになると思います」という内容であった。

『カイロプラクティック』、人は何となくなじみのない怪しげな施術のように感じるようである。
ももともと私も腰痛になるまで鍼、灸、あんまは受診した経験もなく、どこか胡散臭く思っていた。
なぜ、医学が発達した現代に、まだこの手の治療が残るのか?と疑問に思っていた部分もある。
しかし実際に自分が腰痛になったとき、現代医学がこの部分には弱いことを痛感したのである。
癌や高血圧等の成人病やウイルス等の感染症などでは現代医学は絶対の信頼がある。
しかし人間の微妙なバランスの狂いから発する腰痛や肩コリや頭痛等は置き去りにされている。
この病は個人的な要素があまりにも多く、治療効果がはっきりしないからかもしれない。
したがって、西洋医学の一律的な治療法ではカバーしきれないのだろうか。
そんなことから、どちらかと言えば非科学的ではあるが、手を当てて丹念にマッサージしたり、
つぼを探して針を打ったりする東洋医学的な療法の方が有効なのかもしれないと思ってしまう。
最近流行りのエステサロン・マッサージ・アロマセラピーなどもこれに通じるものがあるのだろう。

来週Mさんが会社に出てきたとき、何というか楽しみである。
彼がこの療法は有効だったと言えば、周りにいる腰痛持ちに勧めてみたい気もする。


朝礼当番

2008年12月09日 08時19分27秒 | Weblog
また朝礼当番が回ってきた。今回はなにを喋るか考える。
個々の目標(テーマ)を喋るわけだから、自分もそれに沿って喋らなければいけないだろう。

私の場合は皆さんのように会社の組織の中の一員としての仕事の目標とは多少違ってきます。
それは単独での商売なので、誰とも仕事をシェアできないし、引き継ぐこともできないことにあります。
この朝礼で並んでいるメンバーの中では私が一番の年長者なわけですが、
同じように今自分がやっている仕事で接している人達も私が年長でほとんどの人が年下です。
そんな中で自分が相手の人とどうコミニュケーションを取り続けていけるかが大きな課題なのです。
今流で言う「上から目線」だと「なんだ、あのオヤジ」という反発もあり商売に差しさわりがあるでしょう。
反対に相手が得意先だからとへりくだれば、何か卑屈な感じがして自分の中ではよしとしません。
やはり人間関係を長続きさせるには誰に対しても「対等」の立場で接するのがベターだと思うのです。
相手が得意先であろうと仕入先であろうと、年上であろうと年下であろうが、男性でもでも女性でも、
相手によって使い分けるのではなく、誰に対しても「対等な立場」、これが一番楽なように思うのです。

3年くらい前、今売り出し中の脳学者「茂木健一郎」が有料講演会の資生堂ワードフライデーで
「理解できないということは何か?」というテーマで講演を聞いたことを思いだします。
その時の講演の中で、人が人とコミニュケーションをするいうことは、その相手とどういう関係になるの
かということを解り易く説明していました。
例えば、初対面の相手と話をすれば、当然自分の中では相手に対する知識は皆無なわけです。
その時、解らない相手に対して、自分と同じ性質(自分の基本ソフト)を相手に仮想するそうです。
自分と同じソフトですから、相手のリアクションは自分がすることと同じことを期待するわけです。
しかし、相手は自分とは違う他人ですから、当然そのリアクションは自分のそれとは異なってきます。
そんなやり取りの中で相手に仮想したソフトを相手に合わせるようにカスタマイズしていきます。
そしてコミニュケーションが深くなればなるほど、そのソフトは相手に近いものに変更されていきます。
そうすることで、相手を予想できるようになり、やがては信頼し、人間関係が構築されるのです。
そんな話だったと思います。

ここで思うことがあります。
相手に合わせて変更しなければならない自分のソフトは、柔軟なソフトであることが前提になります。
間違ってはいけないのは決して自分自身が相手に合わせる(迎合する)ということではないのです。
相手をより深く理解するために、相手に合わせて話を聞ける柔軟な自分を持つというこということです。
自在さを持たないソフトであれば当然相手に合わせて変更できないし、相手が読めないでしょう。
若い時には考え方も発想も意外と柔軟だったものが、歳をとればとるほど頑固になって行きます。
それはソフトがバージョンアップされず旧バージョンのままだから対応しづらくなっているのでしょう。

この歳になるとすこし億劫ですが、しかし相手とコミニュケーションし続けるためには常にバージョン
アップし続けていかなければいけないのだと思います。
その為に良く言われることですが、興味を持ち続けること、チャレンジし続けることが大切なのでしょう。
今の仕事を後2年、3年続けていくためにはこれもまた自分に課せられた大きな課題だと思います。
                                                  以上

 

目的

2008年12月05日 08時18分32秒 | Weblog
1ヶ月ぶりでOさんに逢った。今回はJR鴬谷の駅前で飲むことにした。
離職してそろそろ半年になろうとしているが、相変わらず就職活動は全くやっていないそうだ。
失業保険も一応来年2月までは貰えるから、就職活動はその後に考えると言っている。
辞めた当初は今までの居場所、目的、自信など全てを失って自分がびっくりするほどにうろたえた。
しかしその後何ヶ月も経過すると、こういう状態に慣れてきてしまって、焦りもなくなってきたという。

とりたてて目的も義務的ものもない状態が続いているから、ほとんど外出する機会もなくなってきた。
さすがに家に閉じこもっているだけではまずいと思うから、1日1度は外に出るようにしていると言う。
毎週土曜日のパソコン教室。整体。土日の馬券場。何もない日も新宿の喫茶店へ行ってみる。
パソコン教室など、もう何ヶ月も通っているが、一向に覚えないし、覚えようとも思わないらしい。
行くたびに自分はこれを理解することは不可能だし、能力がないことを確認しているだけだという。
なぜ行くのか?、「今日はパソコン教室に行かなければ」と無理やり用事を作っているだけだと言う。

以前はどんなに会社に不満を持っていても「会社に行かねば」という義務感のようなものが働いた。
しかし今はやりたくなければ何にもやらないで済んでしまう。自堕落に過ごそうと思えば底がない。
何もしないと、どこまでも落ちていく恐怖感がある。だから金を使ってでも用事を作って置きたい。
「今日は買い物に行かなければ」「今日は整体に行かなければ」「今日はパソコン教室がある」
無理やり作った最低限の目的である。そうでもしないと自分が無くなってしまう気がすると言う。

Oさんが言う。
先日から世の中を騒がせている厚生次官宅連続襲撃事件の小泉容疑者、彼の人生は挫折の
連続で自分自身に生きる目的がなかったのだろう。だから子供時代の犬のことを持ち出し、
無理やり自分の目的を作り上げたのではないだろうかと思う。「犬の恨みを晴らす」という目的を。
そして彼はその目的のために周到な計画を立て実行に移した。だから彼には達成感はあっても
悔いはないのだろう。言ってみれば自分の目的が決まれば誰を殺してもよかったのではないのか。
人は生きていくための目的がなくなったら、生きている価値はないと思ってしまうものなのだろうか。
目的が見いだせない時、金を使ってでも、それが世間的に通用しなくっても、自分が生きていく
上で必須だと思い、強引にでも作り上げてしまうのかもしれない。

9時を過ぎ、飲み屋を出て2人で鴬谷の駅に向かった。
その時、何台もの消防車がサイレンを鳴らしながら鴬谷の坂を上がって駅の方へ向かって行った。
駅に着くと、小さなロータリーの周りに4、5台の消防車が停まり、赤いランプを点滅させていた。
周囲は大勢の消防員で騒然としている。続いて救急車が乗り入れてきた。
改札を入って通路の窓から下のプラットホームを眺めると、京浜東北線の列車の先頭部が右の
プラットホームの真ん中あたりで停まっていた。プラットホームを外れ止まっている電車の後続部の
お客さんが前の車両に移動しはじめ、プラットホームに接している車両の出口から降りはじめた。
「これは人身事故だね」と2人は顔を見合わせた。
何人もの隊員が線路に降りて、電車の下を点検している。「確認したぞ!」大きな声が聞こえる。
散らばっていた人が集り、反対側の車両のドアが開けられて、隊員が次々に線路に降り立った。

やがて、京浜東北のお客さんは大半が列車から降りて、反対のプラットホームに移って行った。
たぶん上野に戻り、東北線や高崎線に乗り換えるのだろう。我々は池袋新宿方面なので、
山手線に乗るために事故の列車が停まっているプラットホームへ降りて行った。
プラットホームでは前から6両目の列車の両方のドアはあけ放たれ、隊員が忙しく行き来している。
周りで10数人の乗客が心配げな表情で見守っている。その時警察官が見守る乗客に向かって
「どなたか、飛び込むところを目撃された人はいらっしゃいますか?」と言いながら周囲を見まわした。
「みられた人がいらっしゃいましたら、状況を話していただけませんか?」何度も声をかけて回った。
しかしだれも名乗り出る人はいない。
やがて山手線が動き出して列車がプラットホームに入ってきた。2人は列車に乗り込む。
山手線の乗客がぼそぼそと話している。「師走だから、飛び込みも多くなるのかもしれないね」
事故に巻き込まれた人がどんな人でどんな事情があったかはわからない。
しかし、その人もまた生きる「目的」を見失った人ではなかったのだろうかと思った。


年賀状

2008年12月02日 08時27分34秒 | Weblog
12月に入った。12月になると年賀状を書かなければならないと思うと、何となく気が重くなる。
出せば年賀状は返って来る。くるからまた翌年年賀状を出す。その繰り返しで続いてきたように思う。
毎年々、ある種、義務感のようなもので出し続けていたが、今は自分にとっては必須なことだと思う。
年賀状を初めて書いたのは7、8歳の頃、母方の同じ歳の従兄弟に宛てて出したのが最初であろう。
毎年夏休みには母の田舎に行き、1週間も10日も真っ黒になって遊んでいて、大の仲良しだった。
「元気ですか僕も元気です。今年も夏休み遊ぼうね」毎年定型の文章で親に笑われた記憶がある。
それから50数年、その従兄弟とは途絶えることなく年賀状のやり取りが続いている。
結婚し、子供が生まれ、折々の子供の成長や仕事での転居等、毎年の年賀状で消息を知っている。
今は定年して、生まれ故郷の山口県に引っ越し、夫婦2人で暮らしている。

二番目に長いのは高校の友人だろう。卒業以来一度も会っていないが今も変わらず賀状は来る。
彼は外国航路の貨物船の機関士になった。年に何回かしか日本に戻って来れない仕事のようだが、
それでも毎年年賀状は送られてきた。そして十数年前に船舶不況で船を下りたと年賀状で知った。
その後どんな仕事をしているか知らせてこないし近況も書いていない。たぶん引退したのだろう。
従兄弟にしても、この旧友にしても、もし会うことがあれば「おう、久しぶりだな・・・」と話せるだろう。
しかし敢えて逢いたいとは思わない。昔の思い出を壊される感じがするように思うからなのだろう。
自分の脳裏にあるそれぞれの面影は、無邪気に遊んでいた10代そのままの姿で保存されている。
逢えば一気にタイムスリップして現実になってしまう。それは浦島太郎の玉手箱のようなものだろう。
思い出を壊したくない。だから年賀状のやり取りだけでいい。電話で声を聞くのも遠慮したい。

社会人になってからは、年賀状の相手は儀礼的なものが多く、枚数も増えていったように思う。
しかし60歳を越してくると、年々年賀状の枚数は減り、儀礼的なものは徐々に淘汰されて来た。
今は120枚程度の賀状が行き来している、その内10年以上逢っていない人は半数くらいであろう。
もうこの先その人達に逢う事もないだろう。それでも私の方から年賀状を出さなくなることはない。
自分の人生の中でその時々で、遊び、一緒に仕事をし、酒を飲み、そして語らった人たち。
年賀状を貰うことで1年に1度その人のことを思いだし、1年に1度私のことを思い出してくれるだろう。
年賀状の人は私が生きてきた証として、かろうじて細い糸で繋がっている人達だと思うことがある。
年賀状はしだいに遠のいていく人達と、まだ繋がっていることを実感させてくれる手段かもしれない。