60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

箱根駅伝を歩く(3)(4)

2015年04月24日 08時24分42秒 | 散歩(5)
 2月11日大手町の読売新聞本社前をスタートして、国道409号から国道15号線を京急の大森海岸駅まで歩いた。これが箱根駅伝のコースを歩く第1回目である。2回目は2月28日に友人と京急大森海岸駅で待ち合わせ2人で15号線を川崎を通って京急鶴見駅まで歩く。その後は天候不順と用事が重なりしばらくご無沙汰になってしまった。

 そして3週間ぶりの3月22日に鶴見市場からJR保土ヶ谷まで、4月11日に保土ヶ谷から戸塚まで歩いた。国道15号線は横浜駅手前で終わり1号線に合流している。1号線(東海道)に入ると急に交通量が激しくなり、自動車専用道路の様相になってしまった。さらに横浜では高速道路との出入りが錯綜し、戸塚手前では横浜新道と合流する。歩道は狭く、車道は車がひっきりなしに走り抜け、散歩を楽しむ雰囲気はまったくなくなってしまう。そんなことから散歩写真も殺伐としたものが多く、今回は3回目4回目と合わせて掲載することにします。
 
                    箱根駅伝を歩く(3回目)
 
 
鶴見市場駅~保土ヶ谷まで

    

                            京急 鶴見市場駅

              

                     国道15号線

            

               鉄橋の下に鶴見線の国道駅がある

    

                     国道駅改札
              国道脇にあるから国道駅の名がついたとか

           

    

             国道沿いには所々に廃墟になった家がある

    

               この家も人が住んでいない様子

    

                 横浜環状北線の架橋工事

    
 
                      遍照院
            参道は京浜急行の線路で分断されている
 
    

          この道沿いにはラーメン屋が多く、人気の店も多い

    

                              笠のぎ稲荷神社

             

    

        「なぜこんな所に落書きが?」と思ったら、塀の上は小学校だった
 

    

            国道15号線は横浜駅の手前で1号線に合流する

    

              高速道路とその出入り口が錯綜している


     国道1号線の右手にはランドマークタワーなど横浜の中心部が望める         

    

              行く手をさえぎられた二ノ宮金次郎の像

    

                    この先が保土ヶ谷駅

    

                  国道脇にある保土ヶ谷駅
           この先は道路と鉄道とが離れるため、今日はここまで



                    箱根駅伝を歩く(4)

保土ヶ谷~戸塚まで

    

                      保土ヶ谷駅
                 朝10時保土ヶ谷駅を出発

    

                     国道1号線

    

              1号線脇にある古い商店街のアーケード

    

               横須賀線で分断された大仙寺の参道

    

                       大仙寺

    

                       大仙寺

    
 
                      外川神社

    

                 電柱の住所に権太坂の地名
           駅伝の中継でよく名が出る権太坂はここから始まる

    

                だらだらと緩やかな上り坂が続く

           

          権太坂の右手にこども植物園があったので寄ってみた

    

                     こども植物園

    

                      こども植物園

    

               再び権太坂に、この当たりが坂の頂点

    

            権太坂を過ぎると少し下ってフラットな道になる

    

                    平戸白旗神社

    

            国道1号線に横浜新道が合流し急に車が多くなる

    

                      矢沢陸橋

           

                  この橋には歩道がない
             今日はここで1号線を離れ戸塚駅に向かう

    

                       高松寺

        

                 梅ノ木の根元は朽ちかかっている

            

                しかし樹はしっかりと実をつけていた

    

                       戸塚駅











孫の入院

2015年04月17日 08時01分41秒 | 日記
 息子のお嫁さんからメールがあった。「娘が入院することになった。自分も体調がすぐれないから付き添いの応援をしてほしい」という内容である。土曜日から熱を出し、解熱剤で一旦治まったように見えたが、日曜日の夕刻から足がはれ上がり、熱も40~41度の高熱が出る。あわてた息子夫婦は市立病院の緊急外来へ駆け込んだ。診断は足蜂巣炎の疑いがあるということでその日のうちに入院になった。
 
 病院は完全看護で面会は1時から夜の8時までの7時間である。私が受け持ったのは入院3日目から5日目の3日間である。本来ならおばあちゃんである女房が応援するのだろうが、嫁姑の遠慮があるのか、孫に接する機会は私の方が頻繁でおじいちゃんに懐いているからである。
   
 入院3日目、会社を早退して午後1時に幼児病棟に入る。部屋には動物を入れるように高い柵で囲まれたベットが4つあり、孫はその窓際の一つで眠っていた。傍に点滴の装置が置いてあり、左手はそれからのチューブでつながれている。しばらく傍の椅子に座って見ていたが、他の幼児のお母さんと看護士さんの会話に反応したのか目が覚めてしまう。起きると直ぐに泣き始める。そして傍にいる私を見つけるとベットの上で両手を上げて、ダッコしてくれと激しく泣き叫び始めた。柵をおろして抱き上げてやると直ぐに泣き止んだが、私の胸にへばりついて体を小刻みに震わしている。その目は腫れぼったく、起きているときは泣き続けていたのだろうと察することができる。
 
 看護士さんが「私が食べさせても、何も食べなかったから・・」と、残してあった昼食を持ってきてくれる。私が食べさせても少しのおかずを食べ、スープを飲んだだけでほとんど残してしまった。やはり病気の影響と環境の変化に対応できず、食欲など無いのであろう。この日は私の膝に乗ったままで一時も降りようとはしなかった。オムツを変えようとベットに寝かせただけで、看護士さんが点滴の点検や熱を計りに来ても泣き出してしまい、必死に私にしがみつく。私の膝の上でおやつを食べ、夕食を少し食べて、やがて私の腕の中で寝てしまった。しかしベットに移そうとすると途端に目を覚まして泣き出してしまう。結局面会時間の8時までに寝せつけることができず、泣き喚く孫を置き去りにして退出することになった。病院を出るとき気がついたのだが、面会時間の7時間、私は1度もトイレに行っていなかった。
 
                          入院3日目

    
 
             動物の檻のような高い柵のベットで眠っていた
 
         
 
     起きている時は泣き続けていたのか、目は腫れぼったくなっている
 
                 
 
         

           左腕にはしっかりと点滴のチューブで繋がっている
 
 入院4日目 、1時に病室に行くとやはり点滴に繋がれたまま眠っていた。看護士さんによると熱も下がって、脚の赤味も消えて腫れも少しずつ引いてきたと言う。食事も自分で少し食べたそうで、プレイルームに連れて行くと一人で遊んでくれたという。 昨日よりは落ち着いた感じで、私が傍に居てやればプレイルームで一人で遊んでくれるようになった。しかし夕食を終えて私の膝の上で眠っしまっても、ベットに寝せようとすると途端に目が覚めて泣き喚く、結局この日も泣き叫ぶ孫を置いて帰ることになってしまった。
 
 
                           入院4日目

    

                   点滴に繋がれたまま眠っていた

    

                赤味は無くなったが、左足はまだ腫れている

            

                点滴の装置を持ってプレイルームに連れて行く
         点滴に繋がれた左手が思うに任せず、右手だけで遊んでいる
 
 
 入院5日目、今日1日順調であれば明日は退院できると言うことで点滴は外されていた。やはり目が覚めると泣き出すのだが、しばらく抱いてやると直ぐに落ち着きを取り戻す。靴を履かせて床に下ろすとフラフラとした足取りで歩きだすが、直ぐにお尻を着いてしまう。やはり幼児でも寝たっきりでいると足腰が弱ってくるのだろう。5日間も入院すると、ある程度は環境になれてくるのか、私が見ていれば同じ病室の4歳児と一緒におやつを食べるまでになった。椅子に座って「アンパンマン」のビデオを見たり、プレイルームでもよく遊び、付き添いも楽になった。しかし夕食が終わり外が暗くなってくると、ベットに近づこうとしなくなる。自分が置いていかれるという恐怖がそうさせるのであろう。結局この日も泣き喚く孫を置いて帰ることになってしまった。


                          入院5日目
 
             

                                 寝るときは黒のタオルケットが必須

      

                    同室のお姉ちゃんと3時のおやつ

    

                      椅子に座ってビデオ観賞
 
 金曜日、息子夫婦が迎えに行って6日ぶりに退院した。孫はアトピーが酷く、手足や体の一部に湿疹が絶ず、肌はいつもガサガサしている。そんなことから皮膚のバリア機能が弱く、傷口から蜂巣炎の細菌が入り炎症を起こしたのであろう。まだ言葉も喋れず、自分の苦痛も要求も泣くことでしか表現できない幼児にとって、入院は酷なものである。点滴に繋がれた様子は痛々しく、孫の不安と恐れを考えると、1日も早く開放してやりたい気持ちになってくる。これからこの子が成長していく過程で、何度もこんな心配事は起こるのであろう。息子夫婦とっても孫にとっても、これが最初の試練だったのだろう。
 
※ この9ヶ月、何度か息子の家に行って孫のお守りをしてきた。そんな中から撮った孫の成長記録を載せてみる。

   

                             生後9ヶ月

   

                             9ヶ月

            

                          11ヶ月
                    つかまり立ちが出来るようになった

   

                               1才

   

                      邪念のない寝顔は可愛い

          

                             1才

               

                            1才2ヶ月
                    一人立ちして、手を叩いてみせる

       

                          1才3ヶ月
            私のスマホを取って、耳に当て何かブツブツと喋っている

         

                             1才4ヶ月
                     よちよちながら何とか歩けるようになった

         

                          1才5ヶ月
              歩きも安定してきて、後ろ手を組んで格好をつける

                  

 

  

  

                   石段を登ったり降りたりを繰り返す。
           この運動で知らず知らずのうちに、高さの感覚を身につけるのだろう。

          
         
                  マドロス風に足を上げて川を見つめる
                 幼児ながら自分の格好を気にするのだろうか

                   

                 時々ドトールでお母さんに内緒でワッフルを食べる
                  こんなことで私は孫の気を引こうとしている

           

              おもちゃを全部出してその中に入るのがお気に入り

        

        煙草を吸っているおばさんの前を通ることが出来ず、固まってしまった

        

                            公園デビュー

        

        

                          1才6ヶ月
                 おじいちゃんと一緒に花見に出かける

        

                     カメラを意識してポーズを取る

       

          言葉は意味不明だが、最近は人と対話をしようとする















今年の花見

2015年04月10日 09時47分18秒 | 散歩(5)
  今年の桜はあっという間に終わった感じである。3月の末の急な暖かさで桜は一気に開花し、都心では土日に満開になったようである。しかし突然の開花で私の予定は狂い、その時の花見は見送りとした。そこで少し開花時期が遅れる郊外の花見を、4月の最初の土曜日に計画する。参加メンバーは私の共通の友人2人と、友人がいた会社で勤めていた女性社員とその友達の5人である。しかし事前の天気予報は曇り時々雨の予報である。花見だからこの機会を逃すと今年の花見は無くなってしまう。したがって多少の雨でも決行とし、自主判断で参加するよう皆に連絡をとった。
 
 4月4日、朝には多少雨が降っていたが西武線の飯能駅構内に全員が集合した。コースは私が昨年歩いた飯能から入間川に沿って仏子駅までの約6kmである。11時30分曇天の中、入間川に向かってスタートした。途中美味しいうどん屋があると聞いていたので、そこで腹ごしらえのために立ち寄った。しかし毎月第一の土日はラーメンの日ということで、メニューはラーメンしかない。最近のとんこつ系のラーメンにうんざりした私には、この煮干だしの醤油味は懐かしく新鮮な味に思えた。
 
 山間に近い当地の人にとっては花見などには関心が薄いのか、それともまだ樹が若く知名度がないからなのか、このコースは見捨てられたように人がいない。しかし私にとっては大勢の人が集まっての酒盛りの花見は好きになれないから、こんなシュチュエーションは最高である。この延々と続く桜並木、昨年歩いてから私のお気に入りの花見コースになってしまった。

 私の知る限り一緒に歩く5人ともそんなにアクの強い性格でもない。男だけであれば昔の仕事の武勇伝や共通の知人の近況などの情報交換になるのだろうが、そこに女性が混じってくると少し雰囲気は変わってくる。歩きながらや休憩しながら、時に2人で時に3人で時に全員で取り留めの無い話しになる。それぞれの近況報告や今抱えている問題や悩みなど少し重い話も、お互いに利害関係がないから素直に聞ける。桜並木を歩きながらのこんな花見も、人間観察趣味の私には趣向が変わって面白いものである。

     

                           地元で人気のうどん屋

          

                毎月最初の土日だけラーメンの日

   

        うどんのような舌触りの麺で煮干のスープ、懐かしい味である

   

                   入間川に沿って並木道が続く

   

             並木に沿った道は我々だけでほとんど人がいない

   

               時には背を屈めるよに枝が垂れ下がっている

   

               後ろの桜の右側に少し色の濃い枝がある

   

      近づいて見ると大きな1本の枝だけが色が違う(左に張り出した枝)

   

  ソメイヨシノはエドヒガン桜とオオシマ桜の交配と言われるが、何らかの先祖帰りか?

   

   

   

                      八高線の高い鉄橋

   

                     桜のトンネル

   

              川原にぽつんぽつんと花見の人がいる

   

            恋人同士にとっては想い出に残る花見だろう













2015年04月03日 10時03分15秒 | 日記
 着物販売のプロモーションイベントとして開催された「能」の単独ライブを見てきた。
 「能」と言えば、以前に浅草の浅草寺の境内で行われた「薪能」を見に行ったことがある。何の知識も無いままに見た「能」の舞台は、今までに経験したものとは全く異質なものであった。暗闇が迫る中、四方で焚かれる篝火の爆ぜる音、舞台の上では鼓が打たれ、古文のような理解しがたい謡にあわせて、煌びやかな着物をまとった舞手が舞う。舞台の上では全てがスローモーで、これが「幽玄の世界」なのか?と思う。しかし都心の真ん中ではビルの照明や自動車の音が聞こえてきて気分が散ってしまい、中途半端な気分のまま見終わったように覚えている。

   
 
 翌年もこの「薪能」を見る予定でチケットを買った。しかし当日は雨になり、急遽浅草公会堂に変更になる。会社帰りで場所の変更の戸惑いもあって、入場が遅くなり2階の後方の席からの鑑賞になってしまった。今回は外部の雑音も聞こえず、ゆったりとした席でゆっくりと鑑賞できると思った。しかし遠くで見る舞台での舞はあまりにもゆっくりで、抑揚の無い謡は内容が理解できず、自分とは無縁の世界を遠くから見ているようであった。やがて眠気を催して目を閉じる、これはまづいと再び目を開いても、以前の舞台とはほとんど何も変わっていない。それほどスローモーなのである。やがて気づくとすっかり眠っていた。

    
   

 
 3回目は千駄木にある国立能楽堂に行った。これが正式なのか、舞台には屋根がついていて、緞帳もなく欄干のある渡り廊下が伸び、その先の舞台の正面には松の木が描かれている。もともと能の舞台は野外にあり、能楽堂に収められた現在もそれが踏襲されているのだと言う。その日は狂言と観世流の能が演じられたように記憶している。やはり格式の高い能楽堂である、和服の女性も多く居ずまいを正さなければいけないような雰囲気である。こんな席で寝てしまうわけにはいかない。そう思って緊張して見ていた。
 狂言の方は昔(中世)の庶民の笑いやおかしみを演じたものである。何人かの登場人物の掛け合いのような会話、テンポの速いしぐさは現代の演劇にも通じるものがあるように思えた。能の方はやはり前回と同様に、自分の中にすんなりと入ってこなかった。それは分かりにくい謡の言葉にあるのか、それともあまりにもかけ離れたスローテンポが自分の感覚では受け入れられないのか、それとも初めから自分には異質なものという固定概念が強かったのか。・・・・結局その壁は乗り越えられず、教養として見た事があると言うことで終わってしまった。
 
     

 最後に能をみてから7年が経過していた。今回のイベントは能楽師による「能の解説」のようなものであった。シテ方観世流能楽師の人が、能の演目の中からいくつかをピックアップしてその触りの部分を謡い、また能面を付けて舞って見せる。まず背筋をピンさせ姿勢を正して地声での謡は迫力満点で圧倒されるほどである。能面を付け目の前で舞う姿は凛として、伝統芸の奥深さを感じさせた。
 そしてその解説では、・・「能」は室町時代に特に世阿弥が発展させたさせたもの、演目は源氏物語や伊勢物語、平家物語などの題材の中で登場する、どちらかと言えば脇役を取り上げたものが多いこと、ストーリとしては定型があり、たまたまその地を旅している人物(僧など)が、主人公の思いや存念を聞くが、それはその主人公の死後の霊魂だったと言う設定だそうである。何が表現され何が面白いのか等々・・・今まで能にあまり触れていなかった人に対して、ポイントを押さえてわかりやすい解説であった。今回の実演を伴う解説を聞き、私は能というものに一歩接近できたように思った。やはり歌舞伎や能などの伝統芸能は、その生い立ちや特徴などの解説があった方が受け入れやすいように思う。
 

      

 私の場合感性が鈍いから、どちらかと言えば頭で理解しようとする。例えば絵画でも、女性であればその絵を見て好きか嫌いかが先行するという。しかし私はその絵の技巧とか何を描こうとしたのか等の主題が分からないと、いつも「????・・・・」となってしまう。能にしてもいきなり薪能を見てしまうと、どう自分が反応して良いかに戸惑ってしまうのである。だから本当は今回のように少人数で真近に実演を伴っての解説を聞いてから能を見たほうが、理解が早かったのであろうと思う。それは男性と女性の違いなのか、それとも私の欠陥なのだろうか、