60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

面白スナップ

2013年02月22日 08時31分07秒 | Weblog
 毎週金曜日にブログをアップする事を自分のノルマにしている。しかしどうしても書くテーマを思いつかない時もある。今週がそんな時、そんな危機を回避するために今回は門外不出にしていた写真を出すことにした。
 散歩を始めて10年、歩くほどにいろんな面白い場面に出くわすことがある。その時に思わずシャッターを押している。本来ならこんな写真は不遜なのであろうが、どちらかと言うと世の中を斜に見て面白がっているほうである。こんな写真がたまりにたまった。今回はその中から30枚ほどを(一部はモザイクを掛けて)貼ってみた。

      
                             お疲れ家族

      
               体が左右に大きく振れる。「おっと肘掛に頭をぶつけるよ」

      
                      「口を閉じて寝ないとゴミが入るぞ!」

      
                      誰も見ていないと思ってはいけない

               
                         ここまで股を開かなくても

      
                   「短足人」、私にはこのファッション理解不能

      
                         ゆうに2mを超す巨人

      
               無防備に爆睡する娘さん、「お~い、何時まで寝てるんだ」

               
                   「もしもし、腰にホカロンが見えていますよ」

      
                       タオルで頬かむりして珈琲を飲む人

      
                        まだ1月、ここまで肩を出さなくても

      
                              潔癖症?

                 
                  浮遊する雑菌が入らないように紙ナプキンで蓋をする

      
                   隣のイスに足を上げ横柄な態度、これぞオバハン

      
                          レストランのウエーター

                 
                          このお腹は人選ミス

      
                            妹をからかう姉

      
                     「いいか、パパの言うことを聞くんだぞ!」

      
                    誰も見向きもしないのにパホーマンスする人

      
        映画「卒業」で主人公が教会に乗り込み花嫁を連れ去るシーンを思い出した

      
                          蓑虫のようなライダー

      
                   人形と散歩する老婆 なんとなく哀れを感じる

      
               橋の上で記念撮影している2人を撮っている人を撮ってみた

      
        世の中の誰かに似ていると言われる五百羅漢、頬を押さえて似た人が現れた

      
                  お地蔵様をグルグル巻き、サディスティックな信仰

      
                       自分の世界に酔っている人

      
                   浮浪生活もやはり金、現金収入が欲しい

                
                    1本100円と200円の2種類の販売

      
                全ての商品をビニール袋に入れてフック販売する雑貨店

      
                   正面に立つと叱られているような感覚になる

      
                         椿の葉を食べる恐竜
  
      
                   身代わりになりすぎて寝込んでしまった地蔵

      
                         豚との混血のような狛犬

               
                     毎日昇り降りするのは辛そうな住宅

人のスペック

2013年02月15日 09時15分59秒 | Weblog
 先週のブログに書いたことで、ある人から質問を受けた。「自分には小学生の子供がいるが、学校でインフルエンザが流行っても、罹らないように気をつけける必要がないと言うのか?」というものである。自分の子供ではないから無責任なことは言えないが、今自分の子供がその年齢で、虚弱ではなく並の体力があれば、インフルエンザに罹ることは歓迎するだろう。色々な病気に対してひとつひとつ克服していき、それに対しての抗体を持っておくことば、長い目で見れば病気に対して強い子供を作っていくことだと思っているからである。麻疹(ハシカ)でよく言われることだが、子供のときに罹っておけばそれなりで済むものを、大人になって罹れば重症化してしまう、それと似たようなものである。だから病気を避けて通ることばかりを考えるのではなく、それに立ち向かえる体を作っておいてやる。これは親としての努めのように思うのである。

 先日読んでいた本で「福岡ハカセの本棚」(福岡伸一著)という本にこんなことが書いてあった。
 人間の免疫システムを考えるとき、私たちの体にはウイルスや細菌が進入したらただちに攻撃できるように、あらかじめ100万種ぐらいの抗体をつくる準備がされています。・・・このような膨大な仕組みが胎児期に準備されるのですが、以後、その人の免疫システムが、何にどのように反応するようになるかは、置かれた環境によって決まります。そして使われないものは徐々に失われて行くことになるのです。・・・つまり生命は始めに余剰分も含めた雑多な可能性、言い換えれば「過剰さ」を用意しており、それをどう使うかは環境との相互作用に委ねられているわけです。ちょうど大きな石膏の塊を渡されて、後は環境に合わせて勝手に彫ってください、というようなものなのです。

 今「人」というものの捉え方は、子供が障害なく生まれたとき、人のスペックはおおよそ同じようなもので、その後の育っていく環境によって変化していくという考え方が主流のようである。諺にある『氏より育ち』(人間形成においては、家がらや血筋よりも、育っていく環境や受ける教育により、違ってくる) ということであろう。本には・・・免疫系と同じことが神経系にもいえます。脳内の回路も始めは非常に複雑なものとして与えられ、そこから環境や外的刺激によって強化されるものと、削りとられるのが決まっていきます。と書いてある。スポーツ選手の子供がスポーツ選手になったり、音楽家の子供が音楽家になったりすることが多いのも、生まれ持っての能力が高いのではなく、育っていく環境がそうさせていくのであろう。

 今は少子化の影響でどうしても親が子供にかまいすぎてしまう。そのため行き過ぎた英才教育や過保護が、子供達からのびのびと成長する環境を奪い、「自然な子」への妨げになっているように思うのである。著者が言っている「石膏の塊を彫って彫刻にしていく」のは、あくまでも子供本人がやるべきもので、決して親が鋳型にはめて作るものではないはずである。そのとき彫刻に使うノミや金槌になるのが知力、体力、免疫力、精神力なのではないだろうか。だから子供には自在に腕を振るうための、基礎的な力だけを作っておいてやる。それが親としての役割のように思うのである。

インフルエンザ

2013年02月08日 09時20分11秒 | Weblog
 先日の新聞に「インフルエンザが都内で猛威、99年以降3番目の多さ」という記事があった。1月は親会社の社員が2人インフルエンザで休んでいる。その内の1人の社員は夫婦と子供4人の6人家族である。最初に3番目の息子が幼稚園で感染し、次に4番目にうつり、その次が本人、そして2番目1番上の子供と次々に感染していった。しかし不思議なことに常時家族全員と接触していた奥さんだけが罹らなかったそうである。

 インフルエンザは細菌ではなくウイルスによる感染症である。ウイルスは生命体ではなく遺伝子そのものである。したがってウイルス自身では増殖することはない。空中を浮遊するウイルスが人の咽や鼻の粘膜に付着して、そこから人の細胞に入る。細胞に入るとその細胞内の遺伝子が書き換えられ増殖していくわけである。粘膜に付着して細胞内に入るのは約20分程度、そしてウイルスが1個侵入すると、8時間後には最低でも100個、16時間後には1万個以上、24時間後には100万~数千万個に増殖すと云われている。

 インフルエンザの対策として「手洗い、うがい、マスク」と言われる。しかしこれは気休めで一種の「都市伝説」という話もある。手洗いの効果は付着したウイルスを洗い流すことなのだが、しかしウイルスも花粉と一緒で頭から着衣まで全身に付着する。これを手だけ洗い落としても全体の何十分の一かでほとんど対策にはならない。次がうがい、うがいをしても咽の粘膜までは届かないそうである。したがって咽の粘膜に付着したウイルスは洗い落とせない。それと呼吸は鼻でするから、咽ではなく鼻の粘膜に付着しやすい。効果があるとすれば鼻から水を通して口から出す「鼻うがい」である。それからマスク、ウイルスの大きさは1ミリの一万分の一前後の大きさで電子顕微鏡でなければ見えない。スギ花粉の約1/300の大きさである。スギ花粉をサッカーボールに例えればパチンコの玉か仁丹粒、到底サッカーネットのような花粉用マスクではとらえることはできない。市販されているN95というマスクは粒子径0.3μmの粒子の95%以上捕集でききるというものだが、しかしウイルスの大きさは約0.1μm、くしゃみなどの飛沫は捕らえてもウイルスは通してしまう。したがって感染者が他者にうつさないためには有効だが、ウイルスを防止できるものではない。あとは医療用にあるナノフィルターというマスクが0.03μm以上で有効だが、使い捨てで3枚入り1000円程度、なかなか使いきれるものではない。

 学校や職場や通勤の中で大勢の人と接する以上、目に見えないウイルスを防ぐことはなかなか難しいことである。したがってウイルスは自分の中に取り込まれるという前提で考えたほうが良いように思う。最初に書いた家族のように同じ環境の中でインフルエンザに罹る人とそうでない人とがいる。これはあきらかに免疫力の差である。新聞などのニュースで病院内の集団感染で高齢者が亡くなったニュースがあるが、これは子供と高齢者は免疫力が弱いから感染しやすいわけである。しかし一般的な健康な成人であればインフルエンザを防御できるだけの免疫力は備わっているべきである。毎年のように風邪を引いたりインフルエンザに罹る人は基本的には自己免疫が弱い人で、やはり免疫力を鍛える必要があるように思うのである。

 では免疫力アップはどうすれば良いのか?よく言われているのが、充分な睡眠をとる、ストレスをためない、そして食生活の改善がポイントで、特に腸の健康が重要だと言われている。腸には体内にある免疫細胞の約60%が集まっていて、人体で最大の免疫器官だそうである。食べたものから栄養を吸収し、不要なものを排出している腸は、生きていくための重要な器官であり、同時にウイルスや細菌にとっては、食物に紛れて最も侵入しやすい場所でもある。そのため腸では体内に吸収されないように、最大規模の免疫が働いている。 しかし、生活習慣で食事が偏り、腸内環境が悪くなっていれば、腸の免疫力も本来の力を発揮することができない。日ごろから腸の調子を整えておくことは、免疫力を強化しておくための重要なポイントのようである。

 最近読んだ本で「脳はバカ、腸はかしこい」藤田紘一郎著というのがある。著者は東京医科歯科大学の名誉教授で、専門は寄生虫学、熱帯医学、感染免疫学の第一人者ということである。著書に「笑うカイチュウ」「清潔はビョーキだ」などあり、過去に何冊か読んだことがある。著者は自身の体内にサナダムシ(体長10m)を飼っているなど自分の主張を実践している人で、どの本を読んでも既存の常識にとらわれずユニークな学説を発表する学者である。その著者が言うにはギョウチュウ、カイチュウなど人体に寄生する寄生虫は、人と共生してる生物で害はないと言う。反対に戦後これを虫下しなどで駆除してきたから、アトピーや花粉症などのアレルギー症を引き起こす人が多くなってきたと言う。現に子供がはだしで歩き周り、汚い川で遊んで寄生虫を持っている東南アジアの人々には、アトピーや花粉症などのアレルギー症はなく、またうつ症のような気分障害も少ないと唱えている。

 著者によると人間の腸には500種類以上、その数100兆個以上細菌が生息し、その重さは大腸に生息する細菌だけでも2kg近くと、驚くほどたくさんの細菌が存在していると言う。その腸内細菌がビタミンを合成し、そのビタミンがたんぱく質の分解産物によってセロトニンやドパーミンなどの脳内伝達物質を合成する。だから腸内細菌がバランスよく数多く存在しないと、セロトニンやドパーミンなどの脳内伝達物質が不足し、うつ状態になったりイライラしたりすることになる。不安や緊張によるストレスが腸内細菌のバランスを乱し、それによってさらに脳の不安と緊張を増強されるという脳と腸の相関ができているという。したがって健康な体は細菌や微生物や寄生虫などと調和した自然な生き方が必須であるという。人はそれを自己の脳の要求(好き嫌いや清潔感や稚拙な知識)のまま行動してしまい、そのバランスを壊してしまっていると書いている。

 「水清ければ魚棲まず」のたとえではないが、「この世の中は雑菌だらけ」と思い、その中で生き抜いていくのだと自覚しておかなければいけないのだろう。免疫力の衰えた高齢者でもない限り、若いうちは大いに風邪やインフルエンザに罹り、それをクリアーしていくことで、自己免疫を鍛えておくべきだと思う。そしてそんな積み重ねが結果的には心身とも丈夫な体を作ることになるように思うのである。ちなみに私は洗面とトイレ意外は手は洗わないし、うがいもマスクもしない。若いときは必ず1年に2回は風邪で扁桃腺を腫らし学校や会社を休んでいたが、しかしこの25年間は風邪にもインフルエンザにも罹ったという記憶はない。

水彩画教室(5)

2013年02月01日 08時27分05秒 | 美術
 上の絵は雲を描いたものである。画用紙にたっぷり水を付けて薄いブルーを敷く、そして乾かないうちにティッシュペーパーで絵の具を拭き取る。すると画用紙の白が現れて雲のようになる。それから雲の下部に薄いグレーを付けると、雲の厚みが表現できる。今水彩画教室では白いものの描き方を勉強している。水彩画は一旦塗った色の上に白を重ねると、下の色が溶けて混ざり合い、白が表現できない。白いものを描くときは画用紙の白を残し、そのまま使うようにする。これは慣れないとなかなか難しいものである。下の絵は海岸に打ち寄せる波である。波頭は当然白い。白は使わず波頭の部分だけを抜いてブルーで波を描いていく。

      
                              犬吠埼

               
                         白い部分は画用紙の白

 下の絵は以前北海道の富良野に行ったとき撮った写真を元に描いたものである。当然白い色は全く使っていない。バックの色は画用紙の色である。ただそれだけでは雪の風景にならないから、部分部分をブルーの濃淡で影を付けている。

      
                              富良野

      
                         富良野付近の根室本線

      
                              富良野  
   
 水彩画教室も通い始めて1年もすると、描くことへも慣れてきて、表現方法も少しづつ身についてくる。最近は自分でも「良く描けたな!」と思える絵が何枚か描けるようになってきた。中学生のようなぎこちなかった絵が少しさまになってくる。すると少し自信が着いてきて描くことが楽しくなってくる。そうなると不思議なもので、次はこんな絵を描いてみたい、次は・・・・と、意欲が湧いてくるものである。

 下の絵は昨年の10月~12月に描いた絵を順番に並べてみた。

      
                         新宿御苑 ポプラ並木

      
                           皇居二重橋

      
                         高幡不動 親水公園

      
                          所沢市 小手指ケ原

      
                          世田谷区 上野毛

      
                   市川市 かつて江戸川に流れ込んでいた旧坂川跡