60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

WFP ウォーク・ザ・ワールド

2012年05月29日 17時12分06秒 | 散歩(1)

 27日日曜日、ファミリーマートに勤める友人に誘われて、WFP ウォ-ク・ザ・ワールドというイベントに参加してきた。ファミリーマートは特別協賛企業なのだそうである。WFPとはWorld Food Programme 国連世界食糧計画という非営利団体の食糧支援機関である。〈地球の飢餓を救え〉というキャンペーンの一環で毎年横浜でウオーキングイベントをやっているらしい。コースは10kmコースと5kmコースがあり、申込金1500円を払うと、地図やブルーの帽子やドリンクをくれる。

 集まった人は約3000人、特に主催者側から挨拶があるわけでもなく、AM10:00に横浜臨海パークをスタートした。先導者は旗を持って先頭を歩く。そしてコースのとことどころにも旗を持って誘導員が立っている。我々は先頭付近を歩いていたが、そのスピードは予想外に速く、少し気を抜いて歩いたり写真を撮ったりしていると、あっという間に距離が開いてしまう。スピードを競うわけではなく、思い思いの歩調で歩くわけだから、先頭と後続とはしだいに間延びしていき、長い長い行列になっていった。

 コースは赤レンガ倉庫、山下公園、港の見える丘公園、外人墓地、山手通り、と横浜の観光スポットをぐるっと回るコースである。しかし皆が脇目も振らずに歩いていると、私だけ止まって見学するわけにも行かず、結局横目でそれ見ながら歩きとおすことになった。ゴールに着いたのは12:15分である。写真を撮りながら10kmを2時間15分で歩いたことになる。

 このようなイベントには初めて参加したがその感想は、あれだけの素敵なコースをひたすら歩いているだけではもったいない気がした。少人数で気の向くままに歩き、気に入ったところに立ち寄ってゆっくりと見学する。そして疲れたら「こじゃれた」カフェに入って一服。そんなのんびりしたウオーキングの方が私には性に合っているように思った。
     
      
                              臨海パーク

      
                              臨海パーク

      

      
                             スタート準備

      
                           AM10:00スタート

      
                           列は次第に長くなっていく

      

      
                             赤レンガ倉庫

      

      
                             プロムナード

      
                              山下公園

      
                               氷川丸

      
                     ところどころに旗を持った誘導員が立っている

      

      

      
                            港の見える丘公園

      
                              イギリス館

      
                              外人墓地

      
                              山手資料館

      

      
                               山手234

      

      
                               エリスマン邸

                

      
                             山手カトリック教会

      
                            旧内田邸 外交官の家

      

      
                             横浜スタジアム

      
                              歴史博物館

      
                               汽車道

      
                           横浜ランドマークタワー

      

      
                               日本丸

      

      
                            ゴール 12:15分

朝カフェ

2012年05月25日 09時19分05秒 | Weblog
                         EXCELSIOR CAFFE

 朝、食事もせずに家を出てくるので、途中どこかコーヒーショップに立ち寄り、ゆっくり新聞を読むのが習慣になっている。池袋に着いても7時前の営業の店は限られている。そんな中で西武線の改札を出たところにあるエクセルシオールという喫茶店をよく利用していた。「EXCELSIOR CAFFE」という店はドトールコーヒーの別ブランドで、低価格の「ドトールコーヒー」よりワンランクアップをねらった店のようだ。店内の調度や装飾も黒を基調に高級感を出している。ブレンドもドトールが200円に対して290円である。2年前ぐらいに店内改称してからよく使うようになっていた。しかし最近はこの店のあまりにも画一的なマニュアル用語が耳障りで、居心地の悪さを感じるようになってしまった。

駅の改札を出て、店の自動ドアを開けて中に入ると、
入り口に一番近いところで店内調理しているスタッフから、
「いらっしゃいませ、おはようございます」と、声がかかる。
列の後ろに並んで順番を待っていると、同じスタッフから、
「ご注文までしばらくお待ちくだいませ」、と作業しながら声だけが飛んでくる。
さらに「只今、お得なモーニングセットをご用意いたしております。是非ご利用下さいませ」
と言うセールストークまで発するのである。

レジは2台あり、どちらかのレジが空くと、
「2番目でお待ちのお客様、お待たせいたしました」と声が掛かり、レジ前に進む。
「ご注文はお決まりですか?お決まりでしたらお伺いいたします?」と注文を聞かれる。
「ブレンド」と注文すると、
「お客様は店内でお召し上がりでございましょうか?」とまた聞かれる。
「店内」と答えると、
「はいかしこまりました」と、後ろを振り向きカップをコーヒーマシーンの注ぎ口に置く、
そして、「ドリップ入りま~す」と少し大きめの声で周りに合図するかのように声をかける。
それを聞いて周りのスタッフ2~3人が、「お願いしま~す」いっせいに答えている。

その後、トレーにソーサーとスプーンを置き、注がれたコーヒーをセットする。
「お会計、290円頂戴いたします」と言われ、300円を出すと、
「お客さま、Tポイントカードをお持ちですか?」と、問われる。
「ない」と返事すると、「失礼いたしました」と答え、
「300円お預かりいたします」「10円のお返しでございます」「こちら、レシートでございます」と
つり銭の確認を行い、10円玉とレシートを渡される。
トレーに手をかけると、「砂糖などはお好みで奥のカウンターにご用意しております」と
右手でそちらを指し示す。
トレーをもって離れようとすると、「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」と頭を下げられた。

20分ほどでコーヒーを飲み新聞に目を通してから、カップとトレーを返却棚に持っていくと、
「恐れいります」「ありがとうございます」と、どこからともなく声が飛んでくる。
そして出口に向かって歩き始めると、「ありがとうございます」「またお待ちしております」
「いってらっしゃいませ」と言う言葉が、矢継ぎ早に背中の後ろから聞こえてくる。

 毎日毎日同じ対応を受け、毎日毎日同じ言葉を聞けば、その言葉が耳に付いてきて、反対に耳障りになってくる。ドトールよりグレードアップということは、ドトールよりマニュアル用語を増やしたと言うことなのだろうか? 事細かなマニュアルを作れば、サービスがよくなり顧客満足につながると思っているのだろうか? これを実行させている店長は本当に顧客の心理をわかっているのだろうか?と疑問に感じるのである。

 まず入り口で声をかける「いらっしゃいませ」から、「注文までしばらくお待ちください」までの言葉はまったく無意味である。作業しながら、お客の顔も見ず、だだ声を発しているだけである。セルフの店で並んで自分の順番を待っているわけだから、おおよその時間は計算できる。そこに毎度毎度「ご注文まで、しばらくお待ち・・・」と無機的な言葉を発せられても心に響かないし、反対にその言葉に不快感を感じるほどである。その次に「店内でお召し上がりですか?」は、カップで出すか、紙コップに入れるか、次の作業にかかわってくるから重要な確認事項なのだろう。しかしこの店で同じ朝の時間帯にきている客の70%は私でも見知っている。同じ時間帯に勤務しているスタッフも見知っていて当然のはずである。それでも毎度毎度確認しなければいけないのだろうか。しかもテイクアウトの客は50人から100人に一人の割合しかいないように思えるのだが、
 
 次が「Tポイントカードお持ちですか?」である。〈Tポイント使えます〉の幟のPOPがレジ横にドンと掲げてある。ポイントカードを持っているにもかかわらず提示し忘れたからといって、それが店の落ち度だと感じる客はいないだろう。それより、持ってない客が毎回確認されることの不快感のほうが大きいように思うのである。あるとき、前に並んでいた中年の男性客が、注文を聞かれる前に、「ブレンド、店内、ポイントカードなし」と一気にしゃべった。私もこの客の気持ちがわかる。いつも来ている店で、毎度毎度同じことを聞かれ、毎度毎度それに返答しなければいけないことが、うっとうしいのである。銀行のタッチパネルのように相手が機械なら一つ一つの確認事項を入力しなければいけないと諦めがつく。しかし接客とは生身の人間同士の相対での対話である。そこに馬鹿丁寧なマニュアルを持ち込んで、それを金科玉条のように思って、スタッフに教え込んでいる会社が認識不足なのではないかと思ってしまうのである。

 こんなことをドトールに直接言っても、相手は聞く耳を持たないだろう。大勢のアルバイトスタッフを使って、多くの店で均質なサービスや間違いのない接客をしていくには、マニュアルによってスタッフを教育していくしかない。多分そう言うだろうことはわかっている。しかし、これは「過ぎたるは及ばざるが如し」である。工場などの作業マニュアルと違って、接客マニュアルは接客に不慣れな人に基本を教えるためのものである。基本を覚えれば、あとはそれぞれの顧客に臨機応変に対応していくのが接客業なのではないだろうか。いつまでたってもマニュアル接客から抜け出せない「EXCELSIOR CAFFE」という店は、ある意味三流の喫茶店のように思ってしまうのである。

               
                              ロッテリア

 そんなことから最近、別な店を探している。少々遠くなるが、ひとつは駅ナカで一番はずれにある「ロッテリア」である。接客はアルバイトの素人ぽさが残っていて、時々韓国人学生のアルバイトも混じっている。その韓国学生の舌足らずの日本語での接客の方がエクセルシオールの接客より、はるかに親しみが持てるから不思議である。しかし席の間隔を詰めての一人席が中心で、地下1階という立地は閉塞感がある。また赤い帽子のユニホームは野暮ったく感じて、朝のひと時を「ゆっくりくつろぐ」という気分にはなれない。

 もう1店が一旦東口を出てパルコの1階にある「ベッカーズ」という店である。ここは1階と2階(喫煙)を合わせると200席近いマンモスカフェである。そのためかオーダーカウンターで注文すると、ナンバーの入った受け取り券をもらい、それを持って5~6mはなれたピックアップカウンターで待つ。レジ打刻と同時に調理室にオーダーが伝わるのだろう、2~3人のスタッフが手早く商品を整え、オーダー番号順に手渡していく仕組みである。マンモス喫茶だから完全な流れ作業である。したがって余計な接客用語も使わず、あくまでもスピード重視である。東口に面して窓も広くとってあり、店内も広いから開放感がある。これが満席になれば今度は人数で圧倒されるのであろうが、朝の7時前はまだお客もまばらで席と席の間も余裕があって意外とゆったりとくつろげるのである。今はこの「ベッカーズ」が中心になってしまった。

 人により喫茶店に対する要求は違っているはずである。メニュー、品質、単価、雰囲気等々の総合点が個人の選択基準になっていると思う。私の場合はメニューやコーヒーの味や単価というものより、どちらかといえば「居心地」を重要視する。1時間40分をかけての通勤途中のオアシス的な存在なのである。そんな場所で人間マシーンのような店員から、丁寧なマニュアル用語で対応されると、反対に殺伐とした気分になってしまう。これはやはり歳をとったからの感覚なのだろうか?

               
                              ベッカーズ

散歩(早稲田~秋葉原)

2012年05月22日 10時38分10秒 | 散歩(2)
                            湯島聖堂

駅からの散歩

No.338    早稲田~秋葉原          5月20日

 山手線大塚駅から都電で早稲田へ、そこから歩き始めて早稲田通りを東に向かう。神楽坂、飯田橋、九段下、神保町、御茶ノ水、そして秋葉原へ。今まで個別に見ていたものを通して見て歩くと、山手線の内側は意外と狭く、それぞれの場所が隣接していることに改めて気づかされる。それはいつも地下鉄を利用して、モグラのように地表に出てきたとき、方向性や距離感を見失っているからだろう。

      
                             JR大塚駅

      
                 都電荒川線 線路の脇はバラの街道になっている

              
                              都電

      
                            都電 早稲田駅

              
                             Cafe125

      
                            早稲田大学構内

      
                         大隈重信像と大隈講堂

      
             休みで学生がいないと、ひっそりとして映画のセットのように感じる

      
                              穴八幡宮

      
                              穴八幡宮

              
                        穴八幡宮 布袋(ほてい)様

                   
                東京メトロ東西線早稲田駅前 夏目漱石生誕の地碑

      
                              夏目公園
                夏目漱石の旧居跡 他界するまでの10年を過ごした

      
                               神楽坂

      
                            神楽坂 包丁研ぎ

      
                   神楽坂 肩ほぐし500円、眉の整え500円

      
                       善國寺 神楽坂の毘沙門天で有名

      
                            赤城神社
          モダンに建てかえられ、レストランも併設して結婚式専門のような神社

      
                          結婚式  お色直し?

      
                           神楽坂 石畳の道

      
                               神楽坂

                 
                               神楽坂

      
                               神楽坂

      
                           若い人が並ぶ店も多い

      
                               外濠

      
                             東京大神宮

              
                   縁結びの神様ということで若い女性が多い

      
                             絵馬も今風

      
                              靖国神社

              
                       舞台では柳生新陰流の模範演技

      
                           靖国神社 骨董市

      
                          神田神保町 古書店街

      
                            御茶ノ水駅と聖橋

      
                              神田明神

      
                              神田明神

      
                              湯島聖堂

      
                              湯島聖堂

                 
                            湯島聖堂 孔子像

      
                               秋葉原

      
                       神田川 万世橋から昌平橋を望む

      
                           秋葉原 歩行者天国

      
                              秋葉原駅前




故郷下関

2012年05月18日 09時05分17秒 | Weblog
                       長崎 風頭公園から稲佐山を見る

                    
                        長崎 亀山社中への登り道

  知人が長崎の旅行記を写真とともにメールしてくれた。メールという通信手段ができて、便利になった一つに、写真を手軽に送れるようになったことがある。送ってもらった長崎の風景を順を追って見ていくうちに、昔行ったときの長崎の雰囲気を思い出していた。長崎と言う街は九州の西に突き出た半島にあり、周りを海に囲まれ、海岸線の間近かまで山が迫っている。海岸線と川筋のわずかな平地に市街地が集まり、住宅は小高い山に段々畑のように張り付いている。昔何度か仕事で長崎に行ったことがあるが、その都度、故郷の下関に似た雰囲気を持った街だと思ったものである。3方を海に囲まれていて港があり漁港がある。山が迫り坂や石段が多く、維新の歴史を刻む史跡が点在するという共通点も多いのである。

 長崎の山に囲まれた街や坂や石段の風景を見て、ひさびさに故郷下関を思い出した。昔の我が家も小高い山の上にあって、石段と坂とを昇っていかなければいけなかった。車が入らないから、ごみ捨ても平地まで往復15分の距離がある。子供たちは全員故郷を離れて行き、残された両親にとっては日々の買い物など、長い石段と坂道は歳とともに負担になっていった。父が80歳を越すころ、さすがにその環境で老夫婦だけが暮らすことが困難になってしまった。一時は市内の老人ホームも考えるようになったが、ちょうど新潟にいた弟が新潟での永住を決め家を建てることになった。それを機に父は下関の家を売り、建築資金を援助することで新潟で同居することにしたのである。それは今から17年前のことである。生まれ育った故郷を離れ、遠く新潟へ引っ越さなければならなかった両親の切なさは、どれほどだったろうと思う。しかし両親はその寂しさをわれわれ子供たちに口にすることはなかった。移住してしばらくして下関にあったお墓を新潟に移し、今はそのお墓に眠っている。

 両親が下関を離れたことで、私は帰るべき故郷を失い、新たに新潟へ里帰りするようになった。下関にはわずかな親戚あるものの、わざわざ訪ねていくほどの用事もなく、生まれ故郷は次第に縁遠くなっていった。10年ぐらい前だったろうか、仕事で福岡に行くことがあり、その帰りに下関に立ち寄ったことがある。やはり生まれ育った地は懐かしく、時間の許す限り市内を歩き回っていた。「今度いつ来れるか分からない」、そんな思いもあって、小学校や中学校、母と行った市場、家族で花見に行った公園、子供のとき遊んでいた神社などと、子供の頃の行動範囲をくまなく歩いてみたのである。10年ぶりの故郷とはいえ、就職をしてからは1年に1度程度の帰郷であったから、ほとんど40年ぶりの懐かしさであった。

 子供の頃は戦後復興の真っ只であった。街にはスーパーがあるわけでもコンビニがあるわけでもなく、まだ商店街が活況をていしていた時代である。町には人があふれ子供があふれ、そのエネルギーが町全体を包み、人々に明日に向かって進んでいていると言う実感を持たせてくれていた。そんな故郷のイメージが40年経って改めて街を歩いてみたとき、その様相は見る影もないほど変わり果てていたのである。あれほど賑わっていた商店街や市場が、子供たちの遊びでにぎやかだった民家の路地裏が、今は閑散として人の気配も感じられないほどである。若い人が都会に出て行き年寄りだけが残っている街、それは無人の街に迷い込んだような錯覚を覚えたほどであった。

以下10年前に撮った写真を何枚か貼ってみた。

         
        
                                下関駅前

        
                            駅のそばにある下関漁港

                

        
                                 小瀬戸
                  下関漁港から漁船はこの狭い水路を通って日本海に出る。

        
                         関門海峡 対岸が北九州市門司区

        
                          関門橋 右が北九州市門司区

        
                               赤間神宮
             源平壇ノ浦の合戦に敗れ、8歳で入水された安徳天皇を祀ってある。

                   
                            旧秋田商会ビル
                      屋上に日本庭園と日本家屋がある。 

                
                            旧下関英国領事館

        
                            日和山からの眺望

        
                    桜の名所 日和山公園に立つ高杉晋作の陶像

        
                       下関のランドマーク 海峡夢タワー

        
                         昔の商店街はシャッター通り

        
                          廃墟のようになった商店街

        
                    戦後からある住宅地は今もひっそりと残っている

        
                      石段が多く車は入れなし、自転車も使えない

        
                石段が迷路のように入り組んで、初めての人は100%迷う
                     
        
                        この道を下ってごみ捨てに行く
             若い人を見ると、貴重なものを見るように感じるほど若者が少ない
                   
                
                   毎日母が買い出しに行っていた長い石段
                       
        
                      ひっそりと静まり返っている実家への道
                     入り口が閉ざされた家もあり空き家が目立つ

                
                    小高い山の頂上付近にあった昔の実家

        
                       生まれてから20年暮らした実家の庭、
     一つ一つの石の配置まで思い出すことができる。今はどんな家族がすんでいるのだろう。







フェルメール

2012年05月11日 08時27分05秒 | 美術
  お客さんと会って商談を終える。別れたのはまだ2時であった。せっかく銀座まで来たのだからと、フェルメール作品だけの展示館に行ってみることにした。場所は銀座松坂屋の裏手のビルの4階である。入り口に「フェルメール光の王国展」と銘打って「フェルメール全37点のリ・クリエイト作品を一堂に展示」とある。当然世界に散らばる本物の作品を一堂に集めることは不可能である。フェルメール作品を最新のデジタルマスタリング技術によって、彼が描いた当時の色調とテクスチャーを推測し原寸大でカンバスにプリントし、所蔵美術館と同じ額装を施して展示したものである。ある意味現存する作品より当時に近い色彩なのであろうが、しかしあくまでも印刷である。入場料1000円(解説のイヤホーンは1000円)である。フェルメールの本物1点を混雑の中で見るか、イミテーションではあるが現存する全作品37点を一気に見るか、それはそれぞれの価値観であろう。

               
                         真珠の首飾りの少女

 私は最近まで全く絵に興味がなかったから、当然「フェルメール」という画家のことも知らなかった。確か10年前ぐらいだったか、「真珠の耳飾りの少女」という映画を見たのがフェルメールを知るきっかけである。絵のモデルになった少女が、フェルメール家に下働きとして来るところから映画は始まる。その少女は陰影、色彩、構図に隠れた天分を持っていた。その才能を見出したフェルメールは彼女に遠近法や絵の具の調合を教える。そんなある日、フェルメールはこの少女をモデルとした絵の製作を決意する。画家が使用人とアトリエに篭りきっている事に、あらぬ噂を呼び、妻は主人が少女に恋愛感情を抱いていると誤解してしまう。そしてとうとう妻は逆上し、立ち入らないはずのアトリエに乱入する。そのアトリエで妻が見たものは、自分の耳飾りをつけたその少女の肖像画だった。そんな映画である。それ以来フェルメールの名は私の頭に残り、時々海外からの美術展にフェルメールが紹介されたポスターなどで、何点かの作品は見覚えていた。
 
 今まで色々な絵画を鑑賞してきたが、私はその技巧のすばらしさは多少理解できても、描かれている内容についてはほとんど理解不能である。例えば果物が並ぶ静物画を見て、例えばピカソの絵を見て、これは何を書こうとしたのか?何を訴えたいのか?どこに価値があるのか?まったく理解できないでいた。だから周りの人(特に女性)に、「どういう風に絵を見をているのか?」と聞いてみたことがある。そのときほとんどの人が「好きか嫌いかだ」という答えであった。私にはその「好きか嫌いか」という感覚が鈍い、だから絵を見て好き嫌いの仕分けができないのである。結果、絵を頭で理解しようとすることから抜け出せないでいる。

 入り口で入場料を払い解説のイヤホーンを借りる。会場では作品は製作年代順に並んでいる。展示室は人がまばらだから、それぞれの作品の前で吹き込まれた解説を聞きながらたたずんでいても、ほかの人の邪魔にはならない。一作一作解説を聞きながら丁寧に見て行くと、フェルメールの真価のようなものが見えてくる気がする。

               
                             デルフト眺望
 
 上の絵はフェルメールには珍しい風景画である。「時計台の針は朝の7時10分を指している。朝のやわらかい光が、時間と空間を超え、雲を超えて光りは始め・・・・・」、そんな解説を聞くと、なんとなくこの絵のすばらしさが解かるようなきがするのである。(写真撮影はフラッシュを使わなければ自由にできる)

               
                             信仰の寓意

 上の絵はオランダ絵画の特徴のひとつである寓意的な表現の作品である。胸を押さえた女性が地球儀を踏みつけている。手前には血を吐く蛇が描かれている。作品中にちりばめられたさまざまな寓意、これは解説を聞かないと解からない。

               
                             音楽の稽古

                
                              絵画芸術       

               
                             牛乳を注ぐ女
         
 フェルメールの作品は、左側の窓から差し込光の構図が多い。この光を反射して輝くところを明るい絵具の点で表現している。この技法はポワンティエ(pointillé)と呼ばれ、フェルメールの作品における特徴の1つに挙げられるそうである。またフェルメールの絵に見られる鮮やかな青は、フェルメール・ブルーとも呼ばれる。この青は、天然ウルトラマリンという高価な顔料に由来しているそうである。

               
                             レースを編む女

 人物など作品の中心をなす部分は精密に書き込まれた濃厚な描写になっているのに対し、周辺の事物はあっさりとした描写になっており、生々しい筆のタッチを見ることができる。この対比によって、見る者の視点を主題に集中させ、画面に緊張感を与えている。『レースを編む女』の糸屑の固まりなどが典型的な例として挙げられるということである。

                
                        ヴィージナルの前に座る若い女         

 これはフェルメールの娘がモデルと言われている小さな小さな作品である。この作品が最近のオークションで30数億円で取引されたとか? フェルメールは22年の画歴の中で37点しか残っていないような寡作な作家である。しかも十数人の子供がいたという大家族であったから、生活は困窮してしていたようである。没後に絵の評価が上がるが、残された家族は大きな借金に追われたようである。芸術家の中で、画家がもっとも恵まれない存在のようだ。


 一通りの絵を見て、私なりに感じたことがある。
 今まで特定作家の作品展を何度か見たことがあるが、年代順に並べてある作品を見ていくと、ある時期からガラリと画風が変わっている場合が多い。それは美を追求していくときのある種の開眼とでも言うのだろうか、画風が定まるというのだろうか、その作家の個性が決まるのであろう。しかしフェルメールの全作品を見てもその画風に際立った変化が無いように感じてしまう。それは20年という短い間に残された作品だからなのか、それとも若くして自分の画風を極めたからなのか、と思ってみる。しかし解説を聞きながら見つめると、同じような構図の絵の中にも、フェルメールが対象に注いだまなざし、奥に展開する隠れたドラマのようなものが見えてくるように思える。そしてそのまなざしは時を経るごとに、愛に満ちたものになって行く。これがフェルメールの価値なのだろう。この企画展、絵を鑑賞するというより、フェルメール研究にはうってつけのように思えた。(7/22まで開催)

               
                         ヴィージナルの前に立つ女

               
                         ヴィージナルの前に座る女

有罪か無罪か

2012年05月03日 16時43分54秒 | Weblog
 ある本にこんなことが書いてあった。「相関性と因果性は異なる」と、

 連続放火事件が発生した。放火現場に急行してみると、またあの挙動不審のあやしい人物が付近をうろついているではないか。写真まで撮っている。あなたはその男を放火犯人だと決めつけることができるだろうか?、否である。10の火事現場で10回とも、その男が目撃されたとしても、彼を犯人だということはできない。たとえそれが100の現場で100回同じことがあったとしても。なぜなら放火事件と現場における彼の存在の間に、確かな相関関係はあるとしても、そこに因果関係があるかどうかは未だ見極められないからだ。彼は火事と聞くと、いても立ってもいられない火事オタクであるだけかもしれない。つまりその場合は火事の原因ではなく結果である。そういうことも充分考えられる。彼がまさに放火をするその現場を押さえるしかない。かように相関関係を因果関係に転じるには大きな質的転換が必要なのだ。相関関係をどれほど注意深く観察しても、そこから因果性を導き出しことはできないのである。

 それにもかかわらず、わたしたちは実に多くの場合、相関関係から因果関係を導きだす。長寿者が多いこの村落では、伝統的手法で作られたヨーグルトがたくさん食べられている。だからそのヨーグルトには長寿の秘密がある。お茶どころのこの地域では、胃がんの発症率が低い。だからお茶には抗ガン活性がある。そして今、世界の人々の大きな関心が向かっているのが地球温暖化の問題である。すなわち、過去150年、大気中の二酸化炭素は確実に上昇し続けている。他方、気温も、増加傾向を示している。両者には相関関係があると言える。しかしだからといって、一方の増加が原因となり、その結果、他方も増加したとは一概に言えない。両者に因果関係があるかどうかは、この観測データーからは判らないのである。

 さてこれはあくまでも自然科学の話であるが、これを人の裁判に当てはめたら、相関関係が状況証拠や動機で、因果関係が直接証拠になるのであろう。今回2つの裁判が注目を集めた、一つが練炭自殺に見せかけて3人もの人を殺したといわれる木嶋佳苗被告の裁判である。もう一つは政治資金規正法の罪で強制起訴された小沢裁判である。両裁判とも状況証拠はそろっているが、直接証拠というものはなかった。しかし片方は「有罪」であり、片方は「無罪」ということになった。もう少し穿った見方をすれば、一般民間人である裁判員は90%以上黒であれば有罪とし、プロの裁判官は90%黒ではあるが、直接証拠が無いから「疑わしきは罰せず」で無罪とした。そんな感じであろうか。

 裁判員制度が導入され、裁判でも被害者の意見陳述が認められるようになったりで、国民参加の裁判制度の方向になりつつある。そうなれば庶民感情としてはどうしても被害者側の立場に立っての判断になってしまうように思われる。3人が3人とも練炭で死亡し、その3人と付き合いがあって、しかも被告が練炭を購入しているとすれば、やはり「それは黒だろう」とするのは庶民感覚としては当然の帰結のように思う。相関性がここまであれば因果性も成り立つとする。いってみれば地球温暖化の犯人は二酸化炭素であるとするようなものであろう。今は重大な刑事裁判にのみ裁判員制度があるわけであるが、これが小沢裁判にも適用されていたとすれば、秘書任せで一切知らないと言い張る不自然さに、やはり有罪になる可能性は高いように思われる。

 同じ裁判で、庶民感覚を入れる入れないで判決の白黒が変わっていいのであろうか? そんな疑問を感じた人は多いのではないかと思う。 ではどう考えればいいのだろうか?
 冒頭に書いた本の抜粋のあとにこんなことが書いてあった。
 温暖化と二酸化炭素の因果関係が認められない現象について、当面私たちは静観することが正しいあり方なのか。そうではない。科学の粋をつくして究明を極めたけれど、現時点ではどうしても究明しつくせない限界点というものがある。このまま放置すれば地球環境は長い時間の中で取り返しのつかないことになるかもしれない。だからその場合に備えて何らかのアクションを取るべきなのではないだろうか。こんな時の「べき」はもはや科学だけの問題では無い。しいて言えば科学の限界の問題である。ここで初めて判断のレベルが、真偽を見極めるレベルから、善悪を見極めるレベルに移行する。現在、科学技術を巡る諸問題の判断において、この判断のレベルの切り分けが極めてあいまいになっている。それを見分ける能力が本当の意味の教養と呼べるものではないか。と

 今までの裁判は「疑わしきは罰せず」ということで、因果性が証明できなければ無罪とされてきた。言ってみれば温暖化が二酸化炭素だと証明されるまでは排出規制をする必要は無い、とするようなものである。それでは殺人者を野放しにする可能性もある。だから真偽が見分けられなければ、善悪で見極める。刑事裁判の場合この善悪を庶民感覚を取り入れたわけである。国民から無作為に選ばれた6人の裁判員が考え考えた末に「有罪」としたわけである。これが国民の良識による善悪の判定だとすれば、これに従うしかない。しかしそれでも大きな疑問が残り、被告として納得できなければ上告できる救いがある。反対に小沢裁判の場合、プロの判定は無罪とした。しかしそれで終わったわけではない。いづれ総選挙のときに、その善悪の裁定が国民によってなされるわけである。