60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

夢の島

2016年11月25日 08時11分49秒 | 散歩(6)
 東京湾の沿岸はほとんどが埋立地である。その中でも有名なのが「夢の島」。1950年代からゴミの処分場として埋め立てが進んだが、今では隣接の辰巳地区から都内有数の緑地面積を誇る海に浮かぶ緑の島の様相を呈している。先週までの郷愁を求めて郊外の散歩から、今日は正反対の湾岸の人工の地を歩いてみることにした。
 有楽町線の辰巳駅で降り、夢の島を通って新木場方から若洲へ向かって歩く。新しい埋立地に造られたのは国際水泳場や熱帯植物園などの公共施設、さらに都心には建設しづらい清掃工場やヘリポートや地下鉄の車両基地。そしてそれらをカバーするように大型の公園や緑道が計画的に配置されている。
 
 歩いてみて感じるのは「まだ人が住む環境にはない」と言うことである。江戸時代の木場(貯木地)から移転したきた新木場付近は、材木商や木材加工、合板工場、それに物流会社などの営業所があり、駅前はオフィスビルもあるものの住宅地はない。したがってスーパーなどの小売店は無く、工場やオフィスの需要でコンビニが少しある程度である。散歩の最後に行った東京ゲートブリッジの先の人工島は今も埋め立が行われいるようである。この地域は全体的に人の温もりの欠けた物寂しさのようなものも感じる。人がいなくなっていく田舎町とは少し違った寂しさである。 

   
 
                     辰巳水門
 
   
 
                     辰巳運河
 
   
 
               辰巳から夢の島公園に向かう
 
   
 
                  辰巳の森緑道公園
          TVドラマ「HIRO」のロケ地にも使われた桜並木
 
   
 
                  辰巳国際水泳場
 
   
 
                     砂町運河
 
   
 
                    夢の島公園
 
   
 
              公園内にある第五福竜丸展示館
 
         
 
      「第五福竜丸」は昭和29年に太平洋のマーシャル諸島にある
     ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けた。
 
   
 
 
   
 
                 夢の島熱帯植物園
 
   
 
          
 
          
 
  
 
   
  
 
   
 
                    ウチワヤシ
 
   
 
                    夢の島カフェ
 
   
 
                    夢の島公園
 
         
 
   
 
                  夢の島緑道公園
 
   
 
                  新江東清掃工場
 
   
 
                荒川の河口 手前が京葉線
 
   
 
                 新木場緑道公園
 
   
 
             新木場緑道公園の東側は荒川の河口
 
          

                    海鵜?河鵜?
 
   
 
                  河口の先は東京湾
           潮目が変わった先の貨物船は浮いたように見える
 
   
 
                    対岸は浦安
 
   
 
             ズームすると遠くにデズニーランドが見える
 
         
 
                   さらにズーム
 
         
 
                  これが目いっぱい

   

                     東京ヘリポート

   
 
                   東京ヘリポート
 
     
 
                    ヨット訓練場
 
   
 
                    ヨット訓練場
 
 
   
 
                   若洲海浜公園
 
   
 
                 陸側は若洲ゴルフリンクス
 
   
 
                  海側は自転車道
 
   
 
               自転車道の先は東京ゲートブリッジ
 
    
 
                  橋をスケッチしている女性 
 
   
 
            東京ゲートブリッジは恐竜橋の愛称で知られる
 
   
 
                 東京ゲートブリッジ展望台から
      橋の先は埋め立て処分地、右側は歩道があり向こう岸まで行ける。
      しかし人は通り抜けられないので、又戻ってくるしかない。(往復50分)
 
 
   

廃村(新川村)

2016年11月18日 08時06分01秒 | 散歩(6)
 今日は雑誌に載っていた新川村を歩いてみることにした。村がある行田市は大宮から高崎線で35分、都心への通勤圏でありながら『廃村』という言葉に興味を引かれた。江戸時代荒川の瀬替え(新しく河道を掘削して河川を付け替え)とともに生まれたこの村は、河川敷の宿命ともいえる度重なる洪水によって、昭和47年に300年の村の歴史に終止符を打った。そして今は住民は堤防の外に居住し、河川敷で農業をする形になっているようである。
 
 行田駅西口から真っ直ぐに歩くと5分で荒川の堤防にぶつかる。上がって見ると眼下には広大な河川敷が広がっている。そこは石ころだらけの河川敷ではなく見渡す限りの畑になっていた。ここにかつて新川村と呼ばれた村があったのであろう。早速土手を下り、畑の中の一本道を歩き始めた。
 
    
 
             河川敷にあった看板に村の歴史が書かれていた。
 
 「ようこそ幻の村、新川へ」・・・・新川村は戦後間もなく廃村になりましたが、江戸時代のはじめの頃から三百年間、五百人余の人々がここに暮らし、舟運や養蚕の村として栄えました。河岸には回船問屋や筏問屋、塩問屋、油問屋が軒を並べ、江戸浅草と武州新川を結ぶ荒川を帆掛け舟が往復し、荷が着く日には大八車や馬を引く人達で賑わいました。又秩父山中から流した木材は筏職人たちが筏舟にして江戸へと運びました。
 
 明治十六年、鉄道の開通で舟運は姿を消しましたが、度々この地を襲う大水は豊かな土壌をもたらし良質な桑が特産となり、養蚕が盛んとなりました。やがて絹からナイロンなどの化学繊維の時代となり養蚕も廃れると、大水に追われるように人々はこの新川村を去って行きました。荒川の瀬替えとともに生まれ、文明の進化により滅びた村新川。私たちはここを幻の村、新川と呼びます。今この地は荒川の遊水地であり、野鳥や野生の動物達の住家となり、ここを愛する人たちのこころのふるさととして息づいています。
 
   
 
                  行田駅西口
 
   
  
                  今の荒川の堤防
 
   
 
                 荒川の堤防の決壊碑
    昭和22年のカスリーン(キャサリーン)台風による荒川と利根川の堤防決壊で
    死者は1,077名、行方不明者は853名と関東地方に甚大な被害があった。
 
                                 
 
  
 
                  水没地域
 
   
 
                堤防の外側にある行田市街
 
   
 
                 堤防内側の遊水地
 
   

            遊水地には車1台が通れるほどの道が続いている
 
   
 
   
 
   
 
   
 
   
 
   
 
   
 
      
 
   
 
              自己責任で遊んでくれと書いてある遊び場
   
   
 
   
 
   
 
   
 
       
 
   
 
                 お墓は今でも残っている
 
   
 
                村にあった石仏を集めたのか?
 
   
 
                遊水地から堤防へ向かう
 
   
 
                    旧中山道
 
   
 
                    東竹院
 
   
 
   
 
        
 
                  
 
   
 
   
   
 
                    元荒川
 
          
 
    都市化などの影響で生息が確認されている地域が急激に減少していった。
    今確実に生息が確認されているのは熊谷市の元荒川源流域のみである。
 
   
 
                    万平公園
 
   
 
                   万平公園
 
   
 
                   熊谷駅西口
 
   
 
                 熊谷駅に停まっていたミニバス
 
        
 
              バスには「ムサシトミヨ」の名が付いている














郷愁

2016年11月11日 08時08分46秒 | 散歩(6)

 《郷愁》を辞書で引くと、他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。過去のものや遠い昔にひかれる気持ち、と書いてある。自分の事を考えると、郷愁は故郷を離れて東京に就職し、故郷の下関に帰郷するようになって感じ始めた。しかし両親が下関を離れ新潟に引越して帰郷先が変わると、郷愁という感情も昭和という時代の懐かしさに変化していったように思う。それは里山などの日本の原風景、昔ながらの漁村の風景、昭和の町並みなど、近代的なものが入り込まない昔懐かしいものに郷愁を感じるようになってきたように思う。

 今水彩画教室での私のテーマは「郷愁」である。したがって歩く場所もそんな風景を求めて歩いている。先週歩いたのは秩父の寺坂の棚田である。昨年ホタルが舞う7月と曼珠沙華の咲く9月に行った。四季折々どんな風景になるか楽しみで、今回は秋も深まった先週行ってみた。まだ紅葉には早かったが、快晴でぽかぽかと暖かく、こんな陽気を「小春日和」というのだろうと思いながら写真を撮って歩いた。若いときにはあまり感じない郷愁という感覚、歳を取るに従ってより深く感じることができる感情のように思うのである。
 
   
 
                        西武線 横瀬駅
 
   
 
   
 
                     ここは秩父郡横瀬町
 
   
 
   
 
                        横瀬川
 
   
 
                         横瀬川
 
   
 
                         寺坂棚田
 
   
 
   
 
   
 
   
 
   
 
   
 
   
 
          
 
          
 
          
 
          
 
   
 
                  棚田から秩父巡礼五番札所へ
 
   
 
                            秩父巡礼五番札所語歌堂
 
   
  
                           秩父巡礼五番札所語歌堂
 
   
 
              語歌堂の仁王像はちょっとマンガチック
 
   
 
                     五番納経所長興寺
 
   
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                           武甲山 
    こんな風景を見ると昔NHKの新日本紀行で流れたテーマ曲を思い出す。













 

八王子城址&十国峠

2016年11月04日 08時15分15秒 | 散歩(6)

 八王子城は、小田原城に本拠をおいた北条氏康の三男北条氏照が築いた山城である。豊臣秀吉が関東制圧の時、前田利家・上杉景勝に攻められて落城、この八王子城落城が決め手となって、本拠の小田原城は開城し北条氏は滅亡した。八王子城は関東屈指の山城で、急峻な山地を生かし氏照の館があった御主殿や標高460mの本丸など、山全体が戦うための城となっている。

 中央線高尾駅からバスで八王子城址入り口まで行き、そこから歩き始めた。中央線の反対側に高尾山(599m)があり、たぶんそちらは行列を作って登っているだろう。一方八王子城址から杉の頭(547m)はポツリポツリと人と行きかう細い山道、尾根伝いにぐるっと回って再び高尾駅に、私にとってはこちらの方がはるかに山に登っている感じがする。
 
 途中に富士見台があって富士山が見えると思ったが、朝は晴れていた空も、お昼には雲が出て富士山は見えない。期待していたものが見えないと無念さが残る。そこで同行の友人と話して、「では来週は十国峠に富士山を見に行こう」と意見が一致した。 
 
     
 
                 JR高尾駅
            高尾山に登るだろう人がどっと降りる
 
     
 
            関東の駅百選に選定されている高尾駅    
 
     
 
               閑窓寺(かんそうじ)
 
     
 
                宗関寺(しゅうかんじ)
      平安時代に華厳菩薩が開いた寺を北条氏照が再興したといわれている
 
         
 
            これは宗関寺と読むのだろうか?
 
     
 
           八王子城址への道はレンガで整備されている
 
     
 
              イノシシ注意の看板あり
 
     
 
     
                   
 
     
 
             竹は真っ直ぐに伸びるとは限らない
 
             
 
     
 
                曳橋(ひきはし)
      城山川にかけた橋で、敵が侵入した場合は橋を落としたと考えられる
 
     
 
                虎口(こぐち)
 
     
 
                冠木門(かぶきもん)
 
     
 
               御主殿跡(居館)
 
     
 
     
 
     
 
        
 
     
 
     
 
     
 
     
 
                本丸跡(標高460m)
 
     
 
                 八王子神社
 
     
 
                中は荒れ放題
 
     
 
          
 
                  詰の城
 
     
 
                 富士見台
 
     
 
                  富士見台
      晴れていれば富士山が見えるのだろうが、雲がかかって見えない
 
        と言うことで、翌週富士山を見に十国峠に行くことにした。
 
 
 
 熱海から箱根行きのバスに乗り十国峠登り口で下車。ケーブルカーで十国峠に登り、富士山を見てから石仏の道を徒歩でJR来宮駅まで下りる予定だった。しかし、天気予報は昼から晴れだったのに、朝方まで雨が残るまったくの曇天である。しかも十国峠は風が強く気温も3度前後、立っているだけで寒さを感じる。これでは下り4時間のコースは辛いだろうからということで、再びバスに乗って熱海まで引き返した。今年は天候不順の年、このところスッキリ爽やかな散策をしていないように思う。
 
     
 
             十国峠登り口からケーブルカー
 
     
 
     
 
                 3分で十国峠へ
 
     
 
              標高770mからの眺望
                真鶴半島方向
 
     

        十国峠は昔の伊豆、相模、駿河、遠江、甲斐、信濃、安房、
       上総、下総の10国を展望できるということから名前がついた。

 
     
 
           晴れていればバックに富士山が見えたはず、
 
         
 
         ストーブに当たらないと、長く外に出ているのは辛い
 
  十国峠は気温は3度、あまりの寒さに徒歩での下山は諦めバスで熱海に引き返す
 
     
 
               我々以外乗客のいないバス
 
     
 
             途中下車して来宮神社に立ち寄る
 
     
 
                来宮神社(きのみや)
 
     
 
       
 
                大楠(おおくす)
 
     
 
        樹齢2000年超、キリスト生誕の時からあったことになる。
         本州一位の巨木、日本一位の巨木は鹿児島県の楠